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カウントダウン段階になってきたキューバ・米国の国交回復

 共同通信から最新のニュースが入った。
「米CNNテレビは7日、米国務省当局者の話として、同省が8日にもキューバに対するテロ支援国家指定解除をオバマ大統領に勧告する見通しだと報じた。
 キューバ側は指定解除を強く求めており、1959年のキューバ革命以来、半世紀以上にわたって敵対してきた米国との国交正常化交渉が一気に加速する可能性が高まった。

 10日からパナマで開かれる米州首脳会議に出席するオバマ氏とキューバのカストロ国家評議会議長による正式な首脳会談が実現する公算も出てきた。」
 http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/international/international/1-0120928.html

 これで、一気にキューバと米国の国交正常化が加速することになりそうだ。

 ここで、4ヶ月ほど前に書いたキューバ・米国関連のブログ記事がよく読まれているようなので、少し補足しておく。

 キューバの首都ハバナには、世界文化遺産に指定されている、美しい植民地建築の残る旧市街と、20世紀前半に米国スタイルで建築された新市街がある。
 数年前の段階で、すでに、キューバの新市街のランドマークで、革命前はヒルトン・ホテルだったホテル・ハバナ・リブレのロビーは、英語を話す観光客で一杯だった。米国とキューバとの国交がないという事実は、まるでそこにないようだった。30年前からハバナで見かける観光客と言えばロシア人やドイツ人ばかりだったし、20年前なら、メキシコ人かヨーロッパ人だったが、いまでは、ハバナの街では普通に米国人観光客を見かける。

 それもそのはず。メキシコやジャマイカからの便に加えて、1999年から、チャーター便という形式ながら、米国財務省の許可を受けて、フロリダ州タンパやマイアミ、カリフォルニアからも毎日飛んでいるのだ。
 
 これらのチャーター便を飛ばしていたのは、カリフォルニアの旅行代理店キューバン・トラベル・サービス社。まず、ロサンゼルスからハバナまでの直行便をチャーター機で飛ばし、さらに2001年には、マイアミーシエンフエゴ便を開設。さらに、フロリダ州タンパとラスベガスに支店を開設して、マイアミーハバナ間のチャーター便も毎日定期運行されるようになっていた。さらに、細々とながら、このチャーター便はキューバの地方都市にも路線を拡充していた。
 そして、今年、2015年1月には、オバマ大統領が、米国とキューバ間の旅行がもっと自由にできるようにと発言したことを受けて、3月18日から、ニューヨーク・ハバナ間の定期便をボーイング727-800機で週1回運行させることが発表された。価格も片道849ドル、往復で1334ドルと、少し高いがリーズナブルともいえる。この第1回のフライトの144席はあっという間にソールド・アウトになったという。

 この歴史的なフライトのニュースは、英国や米国では大々的に報じられた。
 http://www.theguardian.com/travel/2015/mar/18/new-york-to-cuba-first-direct-charter-flight-takes-off
 http://nypost.com/2015/03/18/nyers-enjoy-first-jfk-to-havana-flight-since-easing-of-travel-restrictions/

 最初の頃の、「親戚訪問」のためのチャーター便ではなく、公式には米国人はキューバに訪問できないはずであるにもかかわらず、すでに完全に、米国人のための、観光便である。

 いまだに日本では、海を越えて越境するキューバ人をニュースで流したりしているが、これが20年前なら「政治的迫害」を受けたことにしての「政治亡命者」扱いをしていたところが、すでに、その実態が「経済難民」であることは隠しようもなくなっている。
 実際に、技能の高い人たちの間では、すでに「亡命」ではなく米国で普通に活動するキューバ人も数年前から普通になっていた。
 とっくに実態は、硬直した政治よりも先を進んでいたのである。共和党がいかに反対しようとも、もはやせき止められない流れになっていると言って良いと思う。
 
 ちなみに日本からキューバに行かれる場合は、この米国のチャーター便は座席数が少ないので、あまりお勧めはできない。米国の大手エアラインが正式にキューバに就航するまでは、エア・カナダのトロント経由便(これが一番安くて便利)、または、メキシコ観光も楽しむなら、メキシコからアエロメヒコやLCCのInterjet社を使うのが一般的だろう。
 キューバのホテルは、すでにネットで簡単に予約できる。

 というところでライブのお知らせです。
◆4月23日(木) 六本木 ノチェーロ
(東京都港区六本木6-7-9 川本ビルB1) お問い合わせ/03-3401-6801
1st 19:30 2nd 20:45 3rd 22:00(入れ替えなし) Charge:2,600円(おつまみ一品付)
アクセス/日比谷線・大江戸線六本木駅より徒歩2分   地図
メキシコでの充電を終え、六本木駅至近の最高の立地の音響の良いステージで、美しい歌曲の数々、是非ご堪能あれ! ギター福島久雄さん


 公式サイトも全面リニューアルしましたので、ぜひごらんください。
 http://nobuyoyagi.com
 Videoページ、CDページからは、キューバで絶賛を浴びたラテンジャズ&サルサバンドHAVATAMPAのライブ音源もお聴きになれます。

キューバと米国:国交回復協議の裏に

 キューバと米国の国交回復に向けての協議が正式発表された。
 寝耳に水、あまりに意外、と取る向きもあるだろうが、実のところは時間の問題だったと言っていい。

 昨夜の報道ステーションでは、「キューバが革命後社会主義国との傾斜を強めたため、米国が反革命攻撃を行い、対立が深まった」と解説していたが、事実はそうではない。革命後、カストロ兄弟やゲバラらが真っ先に挨拶に向かったのは他ならぬ米国である。もともと、キューバ革命政権には、米国と敵対する気はなかったのである。
 このキューバ革命政権側を冷遇したばかりか、訪米団の中に黒人がいるという理由でホテルまで追い出したという扱いをしたのは米国の方で、さらに、ついには、反革命派をまとめて、CIA主導でピッグス湾攻撃までが行われた。
 このような米国の仕打ちの中で、フィデル・カストロが、革命を護るために出したのが、社会主義宣言とソ連東欧圏への接近だったのである。

 その後、米国とキューバは犬猿の仲とされ、米国はキューバに過酷な経済制裁を科すだけではなく、米国民はキューバに行くだけで罰金や禁固刑などの制裁を科されることになっていたが、経済制裁はともかく、渡航制限の方はとっくに有名無実のものとなり、実質的にはすでに年間数千人の米国人が、文化交流や観光目的でキューバを訪れているというのが、ここ数年の現状だった。

 実際には、この「雪解け」はすでに90年代後半から始まっていた。

 ベルリンの壁が倒れ、東欧諸国とソ連邦が解体し、いわゆる冷戦構造が崩壊したとき、キューバは孤立し、『ペリオド・エスペシアル(特別な時代)』といわれる非常に厳しい時代が始まった。90年代初頭から95年ぐらいまでの間である。
 多くの人の目に、キューバももはやこれまでという印象があったのだろう。負けと決まった側につきたくないという意識からだろうか、日本のいわゆる左翼系の人々の間ですら、当時のキューバ政府を積極的に擁護する声はほとんどなかった。
(拙著『PANDORA REPORT』(文庫版『喝采がお待ちかね』)は、当時のそのような趨勢に徹底的に反発して、パソコン通信のNIFTY-Serve(現@NIFTY)のフォーラム上に書かれたものである)

 その孤立したキューバはしかし、大方の予想を裏切って崩壊することはなかった。むしろ、逆境を乗り越えて、無農薬有機栽培などのモデル国家となったことはご存じの方も多いだろう。
cubanmusic.jpg
 むろん、それだけで国家の危機を乗り切れたわけではない。ソ連東欧圏が消滅し、貿易相手国を失ったキューバに手を差し伸べたのは、最初は、スペインとフランスを中心とするヨーロッパ諸国だった。とりわけスペインは合弁会社を積極的に作り、キューバの観光事業に積極的に貢献した。フランスでも、キューバ音楽ブームが仕掛けられ、キューバへの観光が煽られた。コンパイ・セグンドを中心とした、映画とCD『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』の大ブレイクは、じつは、その流れの中にある。

「なんで、キューバ本国では誰も知らないような爺さんの、コードが3つしかないような無名の曲がキューバを代表することになるんだ」と、当時、キューバのミュージシャンたちはひどくむくれたものだったが、国際的にヒットするというのは、そういう「誰でも口ずさめるわかりやすさ」や「クサいお涙頂戴ドラマ」が必須だと見抜いたヴィム・ヴェンダーズの作戦勝ちだろう。

 すでにジャズのゴンサロ・ルバルカーバがモントルー・ジャズ・フェスティバルで脚光を浴びたことをきっかけに、東芝EMIがはじめて、キューバのアーティストと世界契約を結ぶなど、キューバのジャズの水準が日本でも話題になっていた数年後である。

 このブエナビスタの大ヒットもあって、ついに米国のサルサ界もキューバ人ミュージシャンの獲得に乗りだし始める。97年、ニューヨーク・サルサ界を牛耳るRMMがキューバの若手人気サルサ歌手イサーク・デルガードと契約したのをきっかけに、次々に米国の大手レコード会社がキューバ人ミュージシャンとの契約に踏み切り始めたのだ。
 つまり、90年代後半から、亡命しなくても「キューバのキューバ人」が堂々と米国の会社と契約できるという現実が生まれてきていた。
 一方で、私も、当時所属していたラテンジャズバンドHAVATAMPAとともに参加していたハバナ・ジャズ・フェスティバルにも、ハービー・ハンコックをはじめ、多くの米国やプエルトリコのミュージシャンが参加するようになっていた。
 2000年に入るころには、反キューバの本拠地であるはずのマイアミのショッピングセンターですら、キューバ音楽のCDが販売されているような、「なし崩し」的な状況になっていたのだ。この時期にも、キューバと米国の国交回復も間近と言われていた。

 一方、ラテンアメリカでも、ベネズエラのチャベス政権をはじめ、ボリビア、エクアドル、エルサルバドル、ニカラグアなどで次々に左派政権が生まれ、キューバはラテンアメリカでは孤立どころか、むしろ、こういった左派政権国家のブレーン的存在として、重要な地位を占めるようになった。とりわけ、石油産出国であるベネズエラとの「医師と石油のバーター取引」は、キューバのエネルギー危機を解決に導いた。キューバ政府が倒れる公算がない以上、アメリカ大陸で唯一、キューバと国交のない国は、米国だけになっていたのだ。

 とはいえ、2000年から2008年まで、共和党ブッシュ政権下で、ふたたび状況は逆行する。そのキューバの最有力支援国ベネズエラでのクーデター計画にブッシュ政権が加担していた疑いのため、米国・キューバ関係は悪化する。2006年のフィデル・カストロ健康悪化説が流れた際には、ブッシュは露骨なまでにキューバ政府転覆を呼びかけたほどである。
 しかし、なんといっても、「実勢」はすでに流れを止められなくなってきていた。

(このあたりの実情は、拙著「キューバ音楽」に詳しい)

 この時代ですら、米国人の「事実上のキューバ観光」は増加していた。西海岸の米国人はメキシコ経由、東海岸の米国人はジャマイカ経由で、「事情に通じた」旅行代理店で中継地までのチケットを買い、経由地で、現地提携代理店からキューバまでのチケットとホテルクーポンを受け取るという手口で、千人単位の観光客が口コミでキューバを訪れるのが常態化していたのだ。
(ジャマイカ航空は、ほとんどそのための、乗り継ぎのよい便を新設したほどである)
23通りとL通りの角にあり、新ハバナ市街のランドマークで、革命後に「ハバナ・リブレ・ホテル」と名前を変えた旧ヒルトンホテルに、米国人観光客が驚くほどぞろぞろいる日が、実際に再来していた。

 そのような状況の中でオバマが大統領になったわけだが、そもそも彼は、選挙前から対キューバ政策の変更を公約の一つに掲げていた。だからこそ、2008年のフィデル・カストロの引退宣言もその国交回復の布石の一つであったと私は見る。
 マイアミの強硬な反カストロ組織もなくなったわけではないが、実際には、革命直後に亡命した、もっとも強硬な旧富裕層世代はすでに55年を経て、ほぼ影響力を失った。その子孫たちは、むしろ、いまさら万一キューバ政府が転覆したとして、革命前の資産が自分たちに戻ってくるという非現実的な夢よりも、ビジネスを求めている者が目立つ。
 キューバ沖の油田開発には、米国のメジャー石油会社も興味を示していると言われているし、なにより、リゾート地としてのキューバの価値は高い。キューバと米国が正式に国交回復したら、米国からキューバへの渡航者は年間100万人を超えると推定されているほどだ。
 このビジネスチャンスを前に、旧態依然の反キューバを掲げる団体とビジネスを求める新世代の間に、軋轢も生まれてきていた。さらに、ここ数年、好景気に沸くブラジルからのキューバ投資が急増したことで、ビジネス派に(ブラジルに美味しいところをどんどん持っていかれる)危機感が増加していたことも圧力となっていっただろう。

 今回の国交回復、ローマ法王の尽力ということももちろんながら、米国・キューバの国交回復は、民主党政権下においては、時間の問題であったと考える所以である。そして、オバマとしても不人気のままでレイムダック化するよりも、いまいちど、歴史に名を残す機会を選んだといえる。

スノーデンはなぜ、エクアドルを選んだか

 元CIA職員で、コンサルタント会社ブーズ・アレン・ハミルトンの元契約社員、という経歴よりもなによりも、NSAが個人情報を収集していたことを香港で暴露したことで、世界的な注目を浴びることになったエドワード・スノーデンが、エクアドルに亡命することになったことが24日、はっきりした。
 当初は、スノーデン氏は、アイスランドに亡命を希望しているとされたが、昨日、滞在先の香港からアエロフロート機でロシアに向けて出国したと報道され、ロシア経由で、キューバもしくはベネズエラに向かうとみなされた後、モスクワでエクアドル大使が接触したことが報道。さらに、ツイッターで、同国のリカルド・パティーニョ・アロカ外務通商大臣が亡命申請を受け取ったことを表明したことで、ハバナ経由でエクアドルに向かうことが明らかになった。

 ところで、なぜ、アイスランドではなく、キューバでもベネズエラでもなく、エクアドルなのか。
 ちなみに、Wikileaksのジュリアン・アサンジもエクアドル亡命を希望して認められ、現在も、ロンドンのエクアドル大使館に滞在している。(大使館外に出ると、保釈違反でイギリス当局に逮捕されるため)
 ここでも、出てくるエクアドル。なぜ、エクアドルなのか。あそこにはガラパゴス諸島以外に何があるのか、と思った方は少なくないだろう。

 2000年以後、中南米には、ベネズエラのチャベス政権誕生後、反米左派政権と呼ばれる政権が次々に誕生している。これらの政権の特徴は、80年代の軍事政権時代に新自由主義を導入したことで、貧富の差が拡大し、挙げ句に中南米の多くの国で財政破綻した「痛み」への反動から、生まれている側面が大きい。
 ベネズエラの故ウーゴ・チャベスが、キューバのカストロを師と公言していたことは有名だが、その後、立て続けに生まれた、ボリビアのエボ・モラレス、ニカラグアのダニエル・オルテガ、エクアドルのラファエル・コレア、エルサルバドルのマウリシオ・フネス、ウルグアイのホセ・ムヒカなど、すべて、単に左派というより、はっきりと「社会主義」を公言しているのが特徴だ。
 
 日本では「社会主義」というと、イメージされるのが、スターリン時代のソ連や、北朝鮮や中国であり、ポルポト時代のカンボジアであったりするため、「社会主義」のイメージはすこぶる悪いが、中南米で「社会主義」という言葉から連想されるのは、キューバ革命であり、ゲバラであり、アジェンデといった「強きをくじく弱者の味方」のヒーローである。

 そのため、これらの「社会主義」政権では、富裕層への課税、石油などのエネルギー資源の国有化、貧困層に対する福祉政策や教育・医療政策を強化したことで、主に富裕層が牛耳っているマスメディアからは、「ポピュリズム」「ばらまき政策」と批判され、選挙の度に猛烈なメディア・バッシングを受け、にもかかわらず、選挙では強い支持を受けて、再選を繰り返している点でも共通している。
 今年3月、その流れのキーパーソンだったベネズエラのチャベスが癌で死去したものの、後継者のマデロが当選しているのもその現れだ。

 ちなみに、このところ、ブラジルで連日大規模な反政府デモの嵐が吹き荒れているが、これも、左派を標榜して大統領に当選した労働党のジウマ・ルセフ大統領が、公約に反して新自由主義的な政策をとっていることに反発するものだ。

 話を戻そう。それでは、なぜ、エクアドルなのか。

 これら左派政権は、反米・反富裕層政権であるがゆえに、メディアからのバッシングに常に晒され、また、軍事クーデターの危機にも晒されている。
 軍事クーデターと言えば、1973年のチリのアジェンデ政権を転覆させたクーデターが有名だが、チャベスも数度のクーデターの危機に遭った。また、実際に、ホンジュラスは、左派寄りの政策をとろうとしたセラヤ大統領は軍事クーデターで失脚しているし、パラグアイも、「ねじれ国会」によって大統領が罷免されるという、国会クーデターが起こっている。

 その中で、エクアドルのラファエル・コレアは、かの有名な、チャベスの「ここに悪魔がいる」とブッシュを痛烈に皮肉った国連演説の翌日に、「ブッシュを悪魔に例えるのは、悪魔に失礼だ。少なくとも悪魔には知性がある」と記者会見で語って、一躍、世界に名前を轟かせた政治指導者だ。元々、経済学者でもあり、「一部の富裕層と大多数の貧困層ではなく、豊かな中流層こそが内需を拡大させ、経済を活性化させる」ということを目標に、新自由主義でぼろぼろになっていたエクアドル経済を建て直した。

 彼も、2010年9月末に、一度は、前大統領派によるクーデター未遂を経験しているが、そうはいっても、毎回、選挙では圧勝し、国民の支持率と政権の安定度という点で、これら中南米の左派政権の中では群を抜いているのが、亡命する側にとっては魅力だろう。
 ベネズエラは、チャベスの後継者マデロの就任で安定はしているが、チャベスほどのカリスマ性のないマデロの手腕はまだ未知数だし、治安の点でも、まだ問題が多い。ボリビアは、首都が3800mの高地にある、最貧国のひとつだ。
 その点、エクアドルは、日本では知られていないが、観光地としても美しく豊かな自然もあり、世界遺産にも登録されている首都のキトは赤道直下ではあるが、標高が2800メートルほどあるので、年間を通じて、涼しく過ごしやすい気候だ。エクアドル人はのんびりとした気質で、中南米で最も美しいスペイン語が話されていることでも知られている。さらに言えば、エクアドル料理は旨い。

(ちなみに、1960〜80年代に共和国派のスペイン人亡命者や軍政からの中南米亡命者を積極的に受け入れることで有名だったメキシコは、目下、麻薬戦争による治安悪化のうえ、親米政権でそれどころではないし、一部の日本人に「戦争を放棄した中立国」と思われて礼賛されているコスタリカは、単なる米国従属国であって、米国に基地を提供し、その傘の下にあることで、80年代の中米紛争に巻き込まれなかっただけなので、もちろん、アメリカ様に逆らえるようなことはできない国であるので、このような場合、論外である)

 政治的な安心感でも、暮らしやすさの点でも、エクアドルは、アメリカに睨まれた亡命者にとって「いい選択」といえるのだ。

 エクアドル:社会革命の賛歌(ラファエル・コレアの選挙キャンペーンソング)

テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

満月の夕

震災半年を前に、「満月の夕」ラテンアメリカ連帯バージョンを公開しました。
メキシコ・ペルー・アルゼンチンの音楽家が参加した豪華バージョンです

というか、これは3月はじめの震災前に、もともと私がスタジオでの新作アルバムのレコーディングのあと、時間が余ったので、デモのつもりでピアノと一発取りで録ったのが、ベースとなっております。

そのあと帰国して震災に遭い(って東京だから、たかが帰宅難民になっただけですが)、さらにミックスダウンで6月にメキシコに戻ったとき、ちょうどメキシコで、6.11に、チャリティ関連のイベントにいくつか出演することになり、さらに、テレビの歌番組に出演したときに、3曲の枠を頂けたので、司会者の了解を得て、最後に日本語のこの曲を歌ったのです。

原曲は、関西のロックバンド、ソウルフラワーユニオンの中川敬さんとヒートウェーブの山口洋さんが、阪神淡路大震災のあと、瓦礫の中から立ち上がろうとする人たちをテーマにつくられたもので、ヨナ抜き長調の美しい旋律が耳に残ります。

それを聴いていたミュージシャン(もちろんプロの)たちから、

「あの曲いいね。録音しないの?」
「デモならあるんだけどね」
「完成させようぜ」
「でも、あさってには、私、もう日本帰るんだけど」
「きみが帰ってからでも、作業は続けられるし。日本への連帯のためにやろう」

というノリで、フェイスブックで盛り上がって、集まった、というそういう流れでできあがったものです。

実際に録音してみると、日本語を真似て歌うのも一苦労なら、日本人ならそう難しくないヨナ抜き音階のさびのメロディラインが、彼らにとっては非常に難しい音程だったりと、いろいろ意外な発見もあったようですが、でも、みなさん、一流の音楽家揃いで、いい出来になりました。

ぜひ、お楽しみ下さい。なお、9月12日が満月だそうです。



Vocal:
カルミナ・カンナビーノ Carmina Cannnavino(ペルー)
カルロス・ポルセル  Carlos Porcel "Nahuel" (アルゼンチン)
パトリシア・カリオン Patricia Carrion (メキシコ)
ラファエル・メンドーサ Rafael Mendoza (メキシコ)
八木啓代 Nobuyo Yagui (日本)、
Piano: ホセ・モラン José Morán(メキシコ)
Guitar: カルロス・ポルセル Carlos Porcel "Nahuel" (アルゼンチン)
Violin: エルネスト・アナヤ Ernest Anaya (メキシコ)
Bandoneon: セルヒオ・バティス Sergio Bátiz (アルゼンチン)

Recorded at Masruido Studio, Mexico City
Recording Engeneer: マヌエル・モラ Manuel Mora
スペイン語詞: Patricia Carrion, Rafael Mendoza

写真提供:
被災地写真 石田昌隆 Masataka Ishida
日本の自然 岡部好  Koh Okabe

テーマ : 音楽のある生活
ジャンル : 音楽

カナリアに手を出すなかれ

 翌々日、私はリカルド・ロチャのオフィスにいた。インスルヘンテス大通りの豪華で最先端で警備厳重なビルの10階に。
 テレビでおなじみの顔が、私のために立派な椅子を引いてくれた。

「君のことは前から知っていて、興味は持っていたんだ」
「光栄ですわ」有名テレビキャスターが?
「音楽トーク番組の中で、君には4曲たっぷり歌ってもらいたい。ミュージシャンは好きなだけ雇ってもらって構わないし、そのギャラももちろんお支払いする」
「私はピアニスト一人で十分です。それに、普通、出演者の持ち分は2曲だと聞いていますが」
「4曲だ。ただし、選曲は私がやらせてもらう、その話し合いのために、今日、わざわざ来てもらった」
 ロチャはテレビと同じ、親しみやすい笑顔を私に向けた。
「といいますと?」
「君のレパートリーから美しいボレロを歌ってほしい。君の声の美しさと表現力が視聴者によくわかるようにだ。テレビの視聴者というのは、君のライブにチケットを買って行くような、知的で洗練された文化人ばかりではない。大衆は気まぐれで、有名な歌手の有名な曲だけを聴きたがる」
 要するに、私のようなインディーズ系なら、なおさらマイナーな曲は歌うなというわけね。

 彼は、私の持ち歌の中から、有名曲と言える3曲をあげた。ビセンテ・ガリードの「わたしのすべて (Todo y Nada)」、イソリナ・カリージョの「Dos gardenias (二輪のくちなし)」。どちらも美しくて、歌唱力を試される曲だ。それから、オスカル・チャベスの「Por ti (あなたのために)」。どれも、私のレバートリーだ。

「4曲目は私に選ばせていただけます? それともボレロの名曲でなくては駄目ですか」
「なにが歌いたい?」
「マルシアル・アレハンドロの曲を」
 ロチャは微笑みながら一蹴した。
「君が大ブレイクして、君の存在だけで視聴率が取れるようになったら、なんでも好きな曲を歌うといい。今はまだ駄目だ」
「では、『ジョローナ』では? あれは、この国では誰でも知っている曲です」
 一瞬、ロチャの目が細くなり、笑顔が広がった。
「確かに」
「それで、詩がマルシアルというのがあります」
 ロチャはいったん顔をしかめてみせてから、破顔した。
「曲は誰でも知っていて、詩は誰も知らない。.......いいだろう。セーフだ」

 一方的に電話で、誰でも知っている有名曲だけ歌えと言われたら、私は出演を断っていただろう。
 完全に性格を読まれていた。しかも、ベサメ・ムーチョやキサス・キサスをリクエストして歌えと言っているわけではない。新聞記事を熟読し、私のCD2枚をしっかり聴いたうえでの愛情のあるオファー。
 私みたいなしがないインディーズ歌手に、そこまで気を遣ってくれるか? リカルド・ロチャ。素敵すぎてファンになりそうだぜ。

 と、ここで私は気づく。
 おくびにも出さないが、まさか彼は、例の件を承知のうえで、自分が身銭を切ってまで、私をラテンアメリカ中に配信しようとしている?

 そして、金曜日。
 好事魔多しという。幸運に多少のミソはつく。
 私のテレビ出演がよほど気に入らない人がいたらしく、朝から家の前でチンピラに喧嘩を売られて、警察沙汰になり、あやうく冤罪で警察署に連れて行かれそうになりながら、日頃の行いが良かったせいで、ピアニストのホセの車でなんとかぎりぎりにテレビ局に滑り込んだ。
 そういう事情で、ボサボサの頭と化粧のはげた顔。芸能人というよりは、掃除のおばちゃんみたいなルックスで到着したにもかかわらず、一番奥の楽屋と、番組オープニングの一番視聴率の高い時間帯が、私に用意されていた。
 その立派な楽屋に落ち着く暇もなく、ロチャの秘書が顔色一つ変えずに私をメイク室に連れて行き、3人がかりでの化粧とヘアアレンジが始まり、30分で、ドレスを着た歌手が出来上がる。

 その本番で、ロチャはさらに私を仰天させた。
「新しいCDを録音中なんだよね、素晴らしい出来なんだろう? 発売はいつ?」
 目を剥きそうになった。とりあえず録音したばかりで、ミックスダウンも終わっていない。発売もなにもまだ何も決まっていない。そもそも、そんな話は打ち合わせではしていなかった。このシーンでは、ロチャは、すでに発売中の私のCDを紹介するはずだったのだ。私は慌てて、とりあえず答える。
「できれば数ヶ月後に」
「すばらしい! その待望の新作が出たらこの番組で発表をしよう、もちろん出演してくれるね。私からのお願いだ」
 え? また出演? それも新作プロモーションまで?!

 こうして、ラテンアメリカ中が知る。私は新作CDを録音したばかり。その発売はテレビで発表される。
 私に万一なにかが起これば、その場合もラテンアメリカ中が知ることになる。まさか、あなたはそれを言いたいのか....?

 収録が終わって着替えをし、楽屋を出ると、そこにロチャがいて、私を見て微笑んだ。
「マルシアル・アレハンドロは私の友達だった。......それから、シルビオも、だ」
 私は驚いて彼を見る。やはりあなたも.......私の背中を護るために......

テーマ : どうでもいい報告
ジャンル : 日記

プロフィール

PANDORA

Author:PANDORA
ラテンアメリカと日本を拠点に活動する音楽家・作家 八木啓代のBlog
公式サイト http://nobuyoyagi.com

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日本の刑事司法の何が問題か、どのような改革が求められているか。刑事法研究者、実務法曹の他、八木も執筆しております。
禁じられた歌ービクトル・ハラはなぜ死んだか(Kindle版)
長らく絶版状態だった書籍をリクエストにより電子書籍で再版いたしました。八木啓代の原点です。
検察崩壊 失われた正義(毎日新聞社)
5刷。この一冊が検察にトドメを刺すことになるかもしれません
リアルタイムメディアが動かす社会(東京書籍)
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キューバ音楽(青土社)
ラテン音楽ファン必読!キューバ音楽のすべてが理論も歴史もわかります。浜田滋郎氏激賞
貧乏だけど贅沢(文春文庫)
沢木耕太郎氏との対談収録
ハシズム!(第三書館)
共著で橋下大阪市長を解剖します。

★ライブ情報
11月29日(水) 六本木・Nochero
Vo. 八木啓代 G. 福島久雄

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