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みなが勘違いしている中で、オリンピックがやってくる

スペイン女性といえば、「カルメン」をイメージする人は未だに多い。

しかし、原作を読めばわかるが、カルメンは、民族的にはジプシー(ロマ)女性であって、スペイン人ではない。そもそも原作者のメリメも、オペラを作ったビゼーもフランス人。(だからオペラ自体もフランス語で歌われる)。つまり作品そのものも、スペインのものではない。
もっとも有名なアリアの「ハバネラ」も、スペイン音楽ではなくキューバ民謡の転用だ。(厳密に言えば、オペラが作曲された、1875年にはまだキューバは独立しておらず、スペイン領であったので、そういう意味では「スペイン」だったが)
それでも、いまだに「カルメン」といえば、スペインがイメージされ、スペイン女性は「奔放な魔性の女」的に描かれることが多い。

ステレオタイプな印象とはそういうものだ。そして、そのようなイメージほど、実態とかけ離れていても、一人歩きする。

そして、悲劇なのは、80年代から90年代の日本は、間違いなく「世界でも有数の豊かな国」であり、「国民は働き蟻に例えられるほど真面目で勤勉で、当時の日本の売り物だった電気製品に代表されるように、最先端の精密な作業を確実にこなすことができることで世界に名を馳せていたこと」だった。

この「日本がもっとも豊かだった時代」、90年代の初頭、ある南米の大女優さんのお宅でお食事をごちそうになっていたときのことだった。
「そういえば、夫が、蚤の市でこんなものを見つけてきたの」
と見せられた、東洋的な文様が精緻に描かれた有田焼風の陶器の皿の裏には、「Made in Occupied Japan」の文字が記されていた。

占領下日本。それは、1945年〜52年の、日本が連合国に占領されていた時代に、日本で輸出用に作られた皿だったのだ。

当時、ニューヨークを買い占めかねないほどの勢いがあった日本にも、わずか40年前にそのような時代があったという歴史的事実に、皆が感銘を受けていたとき、当時80歳を超えていた女優さんの母上が漏らした一言は、その場にいた人たちをもっと驚かせた。

「日本製品が『優秀』なんていわれて、みんな欲しがるようになったのは、ほんの最近のことよ」
ええっ、という皆の顔の中、彼女は静かにこう言った。
「私の若い頃はね、日本製品と言えば、『安かろう悪かろう』の典型みたいなものだった。それがいつからかしらねえ、日本の人が努力したんでしょうねえ。でも、お嬢さんには悪いけど、私はまだ、なんとなく日本製品ってちょっと抵抗があるの」

人にもよるだろうが、高齢者が記憶にとどめるもっとも鮮明な印象が、30歳〜40歳ぐらいの、もっとも活動していた壮年期のものであるなら、それは不思議ではない。彼女にとっていちばん記憶に深く刻まれている日本製品の印象は1960年代のもの。戦後の貧しい日本が、1ドル360円のレートのもと、繊維製品を主要な輸出品とし、機械製品についてはアメリカ製品をまねて試行錯誤をし、『暮しの手帖』誌に罵倒されるような粗悪製品が堂々と売られていた時代だからだ。まさにその時代の日本製品は、「安かろう悪かろう」だったのだ。

しかし時代はさらに変わる。
80年代から90年代の「豊かで、世界で最先端の技術を持つ」日本は、すでに30年前の姿だ。
世界中の目抜き通りや空港の看板に煌めいていたSONYやPANASONICの文字が、21世紀になって、少しずつ、HYUNDAIやSUMSUNGなどに取って代わられているのに気づいてからも、すでに大分時間がたっている。いまでは、さらにそこにHAIERやLENOVO、HUAWAIといった文字が加わっている。

とはいえ、いま、50代後半以上の人たちにとっては、いまだに、「優秀な日本製品が世界をリードし、席巻していた」記憶こそが、とても鮮明に残っているものだろう。時代が変わっていたとしても、いったん強く刻みつけられた記憶から生まれる印象とはそのようなものだからだ。

それは良いことでも悪いことでもある。

不安を表明されながらも、コロナ禍のオリンピックに世界から選手団が送り込まれてくるのは、「なんやかや言っても、日本は最先端の技術を持ち、日本人は勤勉で精密な作業が得意なはず」という印象が、まさに指導者層である、ある世代以上には健在からだ。
IOCのトーマス・バッハ会長も1953年生まれ67歳。日本が最強だった時代にビジネスマンとしてのキャリアを積んだ人だ。ジョン・コーツ副会長もしかり。1950年生まれの71歳だ。
言うまでもなく、今、日本の中枢にいる与党政治家の方々には、さらにその上の世代が多い。

欧米の50歳代以上の人々のイメージの中の日本は、80〜90年頃のエネルギッシュでリッチな日本だ。
アメリカを脅かしかねない経済力を持ち、精密正確な作業を難なくこなし、最先端の技術力を持つ日本だ。

そして、70代以上の与党政治家たちの茫洋としたイメージの中の日本は、高度経済成長を前に、オリンピックをステップ台にする日本だ。

そう考えれば、彼らがあまり深く考えず「パンデミック下であっても、日本が本気を出せば、オリンピックは可能」だと思うのもむべなるかな、だろう。べつに、日本国民はどうなってもかまわないなんていうほどの悪意があるわけではないと思う。

オリンピックはどうしたって不可能だろうか?
必ずしも、そうとも言い切れない、と私は思う。

本当にオリンピックをやりたかったなら、最低限、コロナ禍が始まった昨年春の段階で、PCR検査での確定診断によって感染状況をどの国よりも完璧に管理し、日本の重症化率が欧米に比べて軽かったことにあぐらをかかず、オリンピックで、欧米・アジア・アフリカ諸国からたくさんの選手や関係者が来日することが自明である以上、若者世代を含む希望する全国民に6月までにワクチン調達と接種を完了させ、まず国民の側に、考えられる限りもっとも完璧な受け入れ態勢を作ることは最低必要条件だった。IT技術をフル活用することで、感染状況だけではなく、病床や医療資源、医療従事者の勤務状況などを的確に把握・管理し、医療崩壊が起こらないようなシステムも去年のうちに作っておくべきだったのは言わずもがなだ。

その上で、選手及び関係者には、最低、開催3週間前までの来日を必須とし、選手村、及び、一般人立ち入り禁止の指定ホテルでの2週間隔離+こまめなPCR検査を行うことも必須だった。なぜなら、選手や関係者は先進国からだけ来るわけではないからだ。

そのいずれをも、最先端の技術を駆使し、緻密でこまめな分析とシステマチックな即時対応を両輪として稼働できるなら、不可能なことではない。

そのうえで、無観客(あるいは、ワクチン接種と3日以内のPCR検査陰性と指定マスク着用を義務づけたうえでの限定観客数で)開催、というなら、コロナ禍であっても、「安心・安全」性の高いオリンピックは開催できたかもしれない。
もしかしたら、戦後の瓦礫の中から復興して先進国の仲間入りを果たした努力の記憶の生々しい80年代の日本人なら、実際にそう考え、日本の技術力を世界に見せつけたいというぐらいの意気込みで、それぐらいのことを実行できていた「かも」しれない。
(もっとも、それでも、「猛暑対策」はどうするのか、原発事故の汚染水のどこがアンダーコントロールなのか、といった問題は残るわけだが、ここでは、コロナ問題だけを論じることにする)

問題は、数十年前の颯爽としてエネルギッシュな日本のイメージは、たとえ、根強いステレオタイプとして多くの中高年世代の心に刻み込まれていたとしても、それは「いま」の現実ではないことだ。40年前の日本は、いま現在の、製造業が見る影もなく衰退し、最新のIT技術には完全に乗り遅れ、中抜きや改ざんや保身ばかりが横行するようなモラル破綻した日本ではない。

そして、現政府のやったことは、さらに時代を遡り、ほんの一瞬アジアの盟主であった大日本帝国の、光の当たった部分だけの幻影に憧れるあまり、彼らがそのすぐ後に国を破滅に追い込んだような、「神頼みのなりゆき任せ」だった。

現実が見えないまま、それぞれが過去の甘い記憶に身を委ね、そして、オリンピックがやってくる。

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非公開コメント

過去の栄光もさることながら

感染症そのものが全世代にとって未経験のことで、まさか一年後の今日に至っても終息を見ない状況が、すべてに人にとって想定外だったのかもしれませんね。また、現政権にしてみれば中止の英断が負けのレッテルにしかならないと思っていて、その意味では何が何でも決行するしかないということなのでしょうね。すでに感染の再拡大が始まっている今の段階で中止を決断すれば、それはそれで評価に値することだとは思うのですが、さて、どうなることやら、です。

No title

かつて世界の富裕国だった国と言えば、エビータとペロンの時代のアルゼンチンを思い浮かべます。農産物畜産物輸出で稼ぎ、富裕層に偏在した富をポピュリストが一般市民にばら撒いて一炊の夢を見た時代でした。それでも、ブエノスアイレスを低空飛行すれば、プール付き住宅がものすごく多くて、裕福な時代があり、今も少なからず残っていることを教えてくれます。
その時代も政治というかクーデターで終わり、長い冬の時代が続きましたね。今の日本は、ポストエビータで没落してゆく当時のアルゼンチンを彷彿させます。大女優さんもそうした体験があるからこその言葉なのでしょう。
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