先週の日曜日が濃ゆかった話
今日は久々のオフなんですが、先週の日曜日は、ジャーナリストの岩上安身さんのパーティーに参加させていただいておりました。
これがまた濃ゆい集まりでね。なんといいますか。
あらかじめ決まっていたゲストが孫崎享さん、郷原信郎さん、山崎淑子さん、上杉隆さん、畠山理仁さん、八木啓代さんて、いたって平凡な私以外は濃ゆすぎる方ばかりじゃありませんか。まあ、私はきっと「濃度を薄めるお水」の役回りですね。
などと思っていますと、さらに、平野貞夫さん、沖縄からは伊波洋一さんとすごい人たちの参加が決まり、とんでもないことに。もう私なんて座布団についた綿ゴミみたいな感じですね。

とはいえ、私は憧れの孫崎享先生にお会いできるのが楽しみで、もう岩上さんからの、まともなスピーカーもアンプもミキサーもないところで歌ってね、なんていう命知らずなご依頼にも、さらにはいつもサポートをつとめてくれている凄腕ギタリストの智詠さんに呆れて見捨てられても、ほいほいと自分でマイクスタンドとギターを担いで出かけちゃったわけですよ。ミーハーだもん。
で、きっちり、ご招待者席で、孫崎先生のお隣の席をゲットして、もうこれで満足ですわ。
べつに南米で暗躍していたCIA要員の最近の極東での動向とか、誰がモサドかFSBかとかについて論じていたわけではありません。
「ツイッターのアイコンと同じ顔ですね」「みなさんにそう言われます」
などとゆー、しごく人畜無害な会話をしていただけです。
で、以後、岩上さんをホストに、上杉さん、畠山さん(実物は写真よりはるかにイケメンだったということで、いきなり女性陣の人気が沸騰)、三者で、記者クラブ問題と官房機密費問題について濃ゆい論議。
(詳しい内容を知りたい方は、岩上さんのところで、たぶん近日発売になるDVDを買いましょう)
続いて、郷原さん、平野さんによる検察問題に関する論議。
(こちらも、詳しい内容を知りたい方は、岩上さんのところで、たぶん近日発売になるDVDを買いましょう)
そして、孫崎さん、伊波さんによる日米同盟問題と沖縄問題
....あのさ、これって、一組で十分ふつうのシンポジウムになりますよね。てんこ盛り豪華すぎ。
とその途中、ガメラ乱入。
「デートの約束があるのでちょっとだけ」と言いつつ、亀井静香氏の来襲に場内騒然。そのまま亀井氏マイクを握って30分。熱く日本を憂えてくださいました。
(こちらも、詳しい内容を知りたい方は、岩上さんのところで近日....しつこい)
亀井氏退場のあと、急遽、会場を片づけて、後半の立食宴会モードに。
どうでもいいのだが、この前日、私は、まるでこの事態を予期していたかのような、以下のようなツイートをしています。
事実です。いま読むと、すごい場に立ち会っていたな。たしか1990年の春のハバナでのこと。
もちろん、私がメインで歌うわけではなくて、他のミュージシャンやバンドも参加することになっていたイベントです。6時ぐらいから演説で、9時ぐらいからライブのはずだったのに、11時になっても演説が終わらないんで、中止になりました。
濃ゆい催しというのは常にこういうリスクがあるわけで。
で、私のライブもこれは時間切れタイムアウトで中止だなと思ったのですが、そこは岩上氏、約束を守る日本の男はすごい。「15分のところ、10分弱でお願いできますか?」
渾身の仕切りである。すごい。プロだ。
で、音を出そうとすると、今度は、シールド(ギターとアンプをつなぐコード)が切れたみたいで音がでないので、急遽、岩上スタッフの好青年一名に人間マイクスタンドになっていただく。
ところで、マイクって動かないようにホールドしていると、不自然な位置だけに、もの凄く重いんだよね。つらい裏方、お疲れ様でした。
このとき歌った歌の歌詞についてお問い合わせがありましたので、記します。
ウルグアイの詩人、マリオ・ベネデッティの詩から(抄訳)
なぜか、この詩が、そのとき、その場にいる方に、とてもぴったりな気がしたのですね。軍事政権の時代のラテンアメリカで歌われていたこの歌が。
それから、宴は二次会となり、山崎淑子さんの感動的な歌に、孫崎さん・伊波さんのトークの続き、さらにそこに郷原さんが乱入するわ、森ゆうこ議員が駆けつけて熱く語りはじめるわ.....で、もうすごいことになったのですが。まあ、これもみんな、興味ある人はDVDで(ってしつこいよ)
いずれも、会場を埋めていたのは、意外にもたくさんの若い人たち。熱い目をして聞いている人たち。
そういうこともあって、ここ数日、80年代から90年代にかけての中南米にいたころのことを思い出してしまったのですね。
私が、歌い手として「駆け出しの新人」の階段を上っていたころ。
中南米は多くの国が軍事政権下で、メキシコシティの夜は、いま思えば、驚くほど、華やかで贅沢な先輩たちで彩られていて、夜ごと、伝説的なジャズバー「アルカーノ」をはじめとするライブハウスや、レコード会社のオフィスタイム終了後のサロンに、濃ゆい人たちが集まっていたものでした。
ウルグアイの軍事政権から逃れていたダニエル・ビリエッティ、チリでの反軍政運動をメキシコを拠点に繰り広げていたイリャプのマルケス兄弟、サンディニスタ革命を成功させて国家的英雄となりながらも、メキシコによく来ていたニカラグアのメヒア=ゴドイ兄弟。やはりアルゼンチンから亡命してきていたサナンパイのメンバーをはじめとするたくさんの音楽家たち。
佐野碩の愛弟子だったオスカル・チャベスはいうまでもなく、トラテロルコでの学生虐殺事件の闇を引きずるメキシコの人たち。
そして、南米の民主化運動で「革命の象徴」としてのイコン的存在となりつつ、一方では社会主義キューバの中での表現の自由を死守する守護神だったシルビオ・ロドリゲスやパブロ・ミラネス。
歌いたいから歌うわけではない。声がきれいだからでもない。
時代が歌わせる。
結果がこわくて、声など出せるか。
そう言いきっていた彼らは、みな、きわめて濃度の高い方たちで、飲み会ともなると、刑務所や強制収容所体験だの、爆弾を仕掛けられたの追放されたのといった、いま思えば尋常ではないネタで、ふつうに盛り上がっていらっしゃったものでした。
それに加えて、メキシコはもちろん、中南米各地からの硬派なジャーナリストたち、作家たち、政治家たち。危険がデファクト・スタンダードの人たち。
連日連夜のように、濃ゆい夜が続いていた、あの綺羅星のような時代。
ごく平凡な学生上がりだった私が、なぜか、あんなにも濃ゆい人たちの隣に座っていたことを。
先週の日曜、まさにあのとき、私はちょっとその時代のことを思い出していたのです。
なぜ、わたしはここにいるんだろう。ああ、でも、あのころもそうだったな、と。
そして、あのころ、こういった彼らを、「おじ様」だの「お兄様」呼ばわりして、そういう物騒極まりない話を、デフォルトの飲み会ネタとして聴かされてきた私は、昨年でしたか、メキシコ滞在中に、ジャーナリスト志望とかいう大学生の青年に「卒論のためのインタビュー」を申し込まれて、愕然としたものです。
「だって、ノブヨさんは、すごい人たちとかかわってきて、彼らの話を聞いてきた歴史の生き証人ですから」
歴史って......
いや、かかわったっていわれても....私なんて、隣に座って呑んでただけなんですが。
「でも、ご自分だって、あちこち出かけていって、巻き添えで撃たれたり、戦争に巻き込まれたりしたんでしょ」
いえそんな。私なんてぜんぜん小物ですよ。私が消えたからって、べつに歴史が動くとかいうようなことはなかった。いまだってないでしょう。
ただ......思います。
あの連夜の酒盛り体験がなかったら、いまの私があっただろうか。
....少なくとも、お酒にはもっと弱かったでしょうね。
そして、私は、平凡な人間なのに、なぜか、すごい人たちのお隣に座って一緒に呑んでいたのだとしたら、ただ、そこにいることそれ自体が、私の役どころだったのかも、と。
とはいえ、言われてみれば、メキシコの伝説的な作曲家だったマルシアル・アレハンドロが、私に捧げてくれた歌があります。
「歌うことが、私の人生、私の仕事/歌うことによって生まれたのが、この女/私は一陣の風などではない/だって、私は嵐そのもの」
別のニカラグアの作曲家は、こんな歌も捧げてくれたな。
「わたしはあなたを試しにきた、得体の知れないもの/あなたの愛や恐怖や稲妻を解き放つ/わたしは虎」
どうも私は、なんとなく他人を巻き込むタイプの、なんか危なそうで、これからなにかやらかすやつ、と思われていたみたいですね。過大評価だと思いますが。(笑)
もっとも、一円のお金を払ったわけでもないのに、詩人や作曲家たちから歌を捧げられ、画家たちが肖像を描いてくれるというのは、贅沢極まりない話です。もちろん、それも時代のおかげ、というのが大きいでしょう。頼んだわけでもないのに、運命を占われたこともあったなあ。
でも、タダほど高いものはない。そういう身に過ぎた贅沢は、いつかどこかでお返しをしなくてはならないものです。書いてもらった歌は、歌わなくてはならない。
そういえば、私が一ヶ月半前に世界中の友達に送った、近況報告のメールへの返事の中に、印象的なものがありました。
「ラテンアメリカでの経験を糧にして、いま、あなたは、あなたの国で歌うのですね」
そんな立派なものじゃないです。
が、もしかしたら、そうなのかもしれません。たぶん、少しぐらいは、ね。
おかげさまで、ここ1ヶ月半の間で、いままで足を踏み入れたことがなかったし、踏み入れようと思ったことさえなかったような場所もたくさん訪ねることになっています。
けれど一方で、やはり私は歌い手なのだと、気づく日々でもあったりします。
今年最後のライブです。それから、来年初旬は、メキシコ公演のため、2月末までライブ活動は休止です。なので、しばらく間が空きますので、どうぞお楽しみに!
これがまた濃ゆい集まりでね。なんといいますか。
あらかじめ決まっていたゲストが孫崎享さん、郷原信郎さん、山崎淑子さん、上杉隆さん、畠山理仁さん、八木啓代さんて、いたって平凡な私以外は濃ゆすぎる方ばかりじゃありませんか。まあ、私はきっと「濃度を薄めるお水」の役回りですね。
などと思っていますと、さらに、平野貞夫さん、沖縄からは伊波洋一さんとすごい人たちの参加が決まり、とんでもないことに。もう私なんて座布団についた綿ゴミみたいな感じですね。

とはいえ、私は憧れの孫崎享先生にお会いできるのが楽しみで、もう岩上さんからの、まともなスピーカーもアンプもミキサーもないところで歌ってね、なんていう命知らずなご依頼にも、さらにはいつもサポートをつとめてくれている凄腕ギタリストの智詠さんに呆れて見捨てられても、ほいほいと自分でマイクスタンドとギターを担いで出かけちゃったわけですよ。ミーハーだもん。
で、きっちり、ご招待者席で、孫崎先生のお隣の席をゲットして、もうこれで満足ですわ。
べつに南米で暗躍していたCIA要員の最近の極東での動向とか、誰がモサドかFSBかとかについて論じていたわけではありません。
「ツイッターのアイコンと同じ顔ですね」「みなさんにそう言われます」
などとゆー、しごく人畜無害な会話をしていただけです。
で、以後、岩上さんをホストに、上杉さん、畠山さん(実物は写真よりはるかにイケメンだったということで、いきなり女性陣の人気が沸騰)、三者で、記者クラブ問題と官房機密費問題について濃ゆい論議。
(詳しい内容を知りたい方は、岩上さんのところで、たぶん近日発売になるDVDを買いましょう)
続いて、郷原さん、平野さんによる検察問題に関する論議。
(こちらも、詳しい内容を知りたい方は、岩上さんのところで、たぶん近日発売になるDVDを買いましょう)
そして、孫崎さん、伊波さんによる日米同盟問題と沖縄問題
....あのさ、これって、一組で十分ふつうのシンポジウムになりますよね。てんこ盛り豪華すぎ。
とその途中、ガメラ乱入。
「デートの約束があるのでちょっとだけ」と言いつつ、亀井静香氏の来襲に場内騒然。そのまま亀井氏マイクを握って30分。熱く日本を憂えてくださいました。
(こちらも、詳しい内容を知りたい方は、岩上さんのところで近日....しつこい)
亀井氏退場のあと、急遽、会場を片づけて、後半の立食宴会モードに。
どうでもいいのだが、この前日、私は、まるでこの事態を予期していたかのような、以下のようなツイートをしています。
そういえば、だいぶ昔、「ある濃ゆめの政治イベントのあとで余興で歌う」という仕事を受けたことがある。で、そのイベント、結局、主役とゲストの話で盛り上がりすぎて、予定時間を大幅超過。ライブは中止となった。
http://twitter.com/nobuyoyagi/status/13261263291293696
http://twitter.com/nobuyoyagi/status/13261263291293696
そのときの主賓が、カストロで、ゲストがネルソン・マンデラ。盛り上がったのはしょうがないが。うちらミュージシャンは控え室で「もう座る時間やろ」「早く終われよ」とぶーたれていたが、もちろん、それを不敬だとかいう馬鹿な官僚や議員はいなかった
http://twitter.com/nobuyoyagi/status/13262356201082880
http://twitter.com/nobuyoyagi/status/13262356201082880
事実です。いま読むと、すごい場に立ち会っていたな。たしか1990年の春のハバナでのこと。
もちろん、私がメインで歌うわけではなくて、他のミュージシャンやバンドも参加することになっていたイベントです。6時ぐらいから演説で、9時ぐらいからライブのはずだったのに、11時になっても演説が終わらないんで、中止になりました。
濃ゆい催しというのは常にこういうリスクがあるわけで。
で、私のライブもこれは時間切れタイムアウトで中止だなと思ったのですが、そこは岩上氏、約束を守る日本の男はすごい。「15分のところ、10分弱でお願いできますか?」
渾身の仕切りである。すごい。プロだ。
で、音を出そうとすると、今度は、シールド(ギターとアンプをつなぐコード)が切れたみたいで音がでないので、急遽、岩上スタッフの好青年一名に人間マイクスタンドになっていただく。
ところで、マイクって動かないようにホールドしていると、不自然な位置だけに、もの凄く重いんだよね。つらい裏方、お疲れ様でした。
このとき歌った歌の歌詞についてお問い合わせがありましたので、記します。
ウルグアイの詩人、マリオ・ベネデッティの詩から(抄訳)
私があなたを好きなのは
あなたが私の共犯者だから
だからただ並んでいるだけでも
私たちはただの二人ではない
あなたの目は真実を見つめている
あなたの手は正義のために働く
あなたの言葉は間違えることなく
闘いの叫びをあげている
そのあなたの誠実な姿ゆえ
そのたゆまない足どりゆえ
時に流す涙のゆえに
私はあなたとともにゆく
なぜならば愛とは
ただ美しい物語ではないからだ
自分が一人でいるわけではない
それを知ることが愛なのだから
だから私は今この国で
あなたを愛するといえるのだ
人々が幸せに生きるために
誰の許可などもいらないように
あなたが私の共犯者だから
だからただ並んでいるだけでも
私たちはただの二人ではない
あなたの目は真実を見つめている
あなたの手は正義のために働く
あなたの言葉は間違えることなく
闘いの叫びをあげている
そのあなたの誠実な姿ゆえ
そのたゆまない足どりゆえ
時に流す涙のゆえに
私はあなたとともにゆく
なぜならば愛とは
ただ美しい物語ではないからだ
自分が一人でいるわけではない
それを知ることが愛なのだから
だから私は今この国で
あなたを愛するといえるのだ
人々が幸せに生きるために
誰の許可などもいらないように
なぜか、この詩が、そのとき、その場にいる方に、とてもぴったりな気がしたのですね。軍事政権の時代のラテンアメリカで歌われていたこの歌が。
それから、宴は二次会となり、山崎淑子さんの感動的な歌に、孫崎さん・伊波さんのトークの続き、さらにそこに郷原さんが乱入するわ、森ゆうこ議員が駆けつけて熱く語りはじめるわ.....で、もうすごいことになったのですが。まあ、これもみんな、興味ある人はDVDで(ってしつこいよ)
いずれも、会場を埋めていたのは、意外にもたくさんの若い人たち。熱い目をして聞いている人たち。
そういうこともあって、ここ数日、80年代から90年代にかけての中南米にいたころのことを思い出してしまったのですね。
私が、歌い手として「駆け出しの新人」の階段を上っていたころ。
中南米は多くの国が軍事政権下で、メキシコシティの夜は、いま思えば、驚くほど、華やかで贅沢な先輩たちで彩られていて、夜ごと、伝説的なジャズバー「アルカーノ」をはじめとするライブハウスや、レコード会社のオフィスタイム終了後のサロンに、濃ゆい人たちが集まっていたものでした。
ウルグアイの軍事政権から逃れていたダニエル・ビリエッティ、チリでの反軍政運動をメキシコを拠点に繰り広げていたイリャプのマルケス兄弟、サンディニスタ革命を成功させて国家的英雄となりながらも、メキシコによく来ていたニカラグアのメヒア=ゴドイ兄弟。やはりアルゼンチンから亡命してきていたサナンパイのメンバーをはじめとするたくさんの音楽家たち。
佐野碩の愛弟子だったオスカル・チャベスはいうまでもなく、トラテロルコでの学生虐殺事件の闇を引きずるメキシコの人たち。
そして、南米の民主化運動で「革命の象徴」としてのイコン的存在となりつつ、一方では社会主義キューバの中での表現の自由を死守する守護神だったシルビオ・ロドリゲスやパブロ・ミラネス。
歌いたいから歌うわけではない。声がきれいだからでもない。
時代が歌わせる。
結果がこわくて、声など出せるか。
そう言いきっていた彼らは、みな、きわめて濃度の高い方たちで、飲み会ともなると、刑務所や強制収容所体験だの、爆弾を仕掛けられたの追放されたのといった、いま思えば尋常ではないネタで、ふつうに盛り上がっていらっしゃったものでした。
それに加えて、メキシコはもちろん、中南米各地からの硬派なジャーナリストたち、作家たち、政治家たち。危険がデファクト・スタンダードの人たち。
連日連夜のように、濃ゆい夜が続いていた、あの綺羅星のような時代。
ごく平凡な学生上がりだった私が、なぜか、あんなにも濃ゆい人たちの隣に座っていたことを。
先週の日曜、まさにあのとき、私はちょっとその時代のことを思い出していたのです。
なぜ、わたしはここにいるんだろう。ああ、でも、あのころもそうだったな、と。
そして、あのころ、こういった彼らを、「おじ様」だの「お兄様」呼ばわりして、そういう物騒極まりない話を、デフォルトの飲み会ネタとして聴かされてきた私は、昨年でしたか、メキシコ滞在中に、ジャーナリスト志望とかいう大学生の青年に「卒論のためのインタビュー」を申し込まれて、愕然としたものです。
「だって、ノブヨさんは、すごい人たちとかかわってきて、彼らの話を聞いてきた歴史の生き証人ですから」
歴史って......
いや、かかわったっていわれても....私なんて、隣に座って呑んでただけなんですが。
「でも、ご自分だって、あちこち出かけていって、巻き添えで撃たれたり、戦争に巻き込まれたりしたんでしょ」
いえそんな。私なんてぜんぜん小物ですよ。私が消えたからって、べつに歴史が動くとかいうようなことはなかった。いまだってないでしょう。
ただ......思います。
あの連夜の酒盛り体験がなかったら、いまの私があっただろうか。
....少なくとも、お酒にはもっと弱かったでしょうね。
そして、私は、平凡な人間なのに、なぜか、すごい人たちのお隣に座って一緒に呑んでいたのだとしたら、ただ、そこにいることそれ自体が、私の役どころだったのかも、と。
とはいえ、言われてみれば、メキシコの伝説的な作曲家だったマルシアル・アレハンドロが、私に捧げてくれた歌があります。
「歌うことが、私の人生、私の仕事/歌うことによって生まれたのが、この女/私は一陣の風などではない/だって、私は嵐そのもの」
別のニカラグアの作曲家は、こんな歌も捧げてくれたな。
「わたしはあなたを試しにきた、得体の知れないもの/あなたの愛や恐怖や稲妻を解き放つ/わたしは虎」
どうも私は、なんとなく他人を巻き込むタイプの、なんか危なそうで、これからなにかやらかすやつ、と思われていたみたいですね。過大評価だと思いますが。(笑)
もっとも、一円のお金を払ったわけでもないのに、詩人や作曲家たちから歌を捧げられ、画家たちが肖像を描いてくれるというのは、贅沢極まりない話です。もちろん、それも時代のおかげ、というのが大きいでしょう。頼んだわけでもないのに、運命を占われたこともあったなあ。
でも、タダほど高いものはない。そういう身に過ぎた贅沢は、いつかどこかでお返しをしなくてはならないものです。書いてもらった歌は、歌わなくてはならない。
そういえば、私が一ヶ月半前に世界中の友達に送った、近況報告のメールへの返事の中に、印象的なものがありました。
「ラテンアメリカでの経験を糧にして、いま、あなたは、あなたの国で歌うのですね」
そんな立派なものじゃないです。
が、もしかしたら、そうなのかもしれません。たぶん、少しぐらいは、ね。
おかげさまで、ここ1ヶ月半の間で、いままで足を踏み入れたことがなかったし、踏み入れようと思ったことさえなかったような場所もたくさん訪ねることになっています。
けれど一方で、やはり私は歌い手なのだと、気づく日々でもあったりします。
●12月22日(水) 六本木 ノチェーロ
(東京都港区六本木6-7-9 川本ビルB1) お問い合わせ/03-3401-6801
1st 19:30 2nd 20:45 3rd 22:00(入れ替えなし) Charge:2,600円(おつまみ一品付)
アクセス/日比谷線・大江戸線六本木駅より徒歩2分
レギュラーのノチェーロです。
ギター小林智詠さん。
http://www.nochero.com/
※http://www.nobuyoyagi.comからネット予約もできます。
(東京都港区六本木6-7-9 川本ビルB1) お問い合わせ/03-3401-6801
1st 19:30 2nd 20:45 3rd 22:00(入れ替えなし) Charge:2,600円(おつまみ一品付)
アクセス/日比谷線・大江戸線六本木駅より徒歩2分
レギュラーのノチェーロです。
ギター小林智詠さん。
http://www.nochero.com/
※http://www.nobuyoyagi.comからネット予約もできます。
今年最後のライブです。それから、来年初旬は、メキシコ公演のため、2月末までライブ活動は休止です。なので、しばらく間が空きますので、どうぞお楽しみに!
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2010饗宴
パーティ出席しました。楽しかったです。マリオ・ベネデッティの詩、いいですね。引用してもよろしいですか。今後ともよろしくお願いいたします。TB送ります。
大久保正雄
『地中海紀行』『地中海のほとりにて』
大久保正雄
『地中海紀行』『地中海のほとりにて』
Re: 2010饗宴
もちろん引用大丈夫ですよ。ただし抄訳です。
> パーティ出席しました。楽しかったです。マリオ・ベネデッティの詩、いいですね。引用してもよろしいですか。今後ともよろしくお願いいたします。TB送ります。
> 大久保正雄
> 『地中海紀行』『地中海のほとりにて』
> パーティ出席しました。楽しかったです。マリオ・ベネデッティの詩、いいですね。引用してもよろしいですか。今後ともよろしくお願いいたします。TB送ります。
> 大久保正雄
> 『地中海紀行』『地中海のほとりにて』