書籍『特捜神話の終焉』
新宿のイベントの待ち時間にこの本を読んでいたら、スタッフの方に「意外な組み合わせですねえ」と。
まあ、普通に考えれば合わないでしょうな、ラテン歌手と特捜。ましてや、ソプラノ歌手はテロリストの同類という説までありますから(笑)。
で、イベント後、某有名ブロガーの方(これもたぶん、知らない人なら意外な組み合わせだと思われるかも)と打ち上げがてら飲みに行って、そこでも、(私のカバンの中にこの本が入っていることは話題にしていなかったにもかかわらず)、この本の話題に。
というわけで、かなり注目を浴びているのは確かなようです。
検察出身でありながら、特捜検察の捜査方法に対して厳しい批判を繰り返している郷原信郎氏と、まさにその特捜検察のターゲットとされ、「悪人」として社会的な激しいバッシングを受けたホリエモンこと堀江貴文、細野祐二、「外務省のラスプーチン」佐藤優の三氏との対談である。
というと、ものすごい怨嗟漂う検察バッシング本かとおもわれるが、まったくそうではない。
むしろ、当事者の3人は、きわめて冷静に事件を振り返り、何が起こったのかが語られ、これに対して、聞き手である郷原氏が検察の論理を丁重に解説していく。その過程で、「株取引の仕組みや企業会計や政治資金記載について、根本的にわかっていない」検察が、功を焦って迷路に踏み込み、撤退することもならず、そのまま泥沼にはまっていく軌跡が、いやおうなしに浮かび上がってくるのである。
そこで浮かび上がる特捜検察の姿は、マスメディアの情報に踊らされて作ってしまったイメージで、水戸黄門的台本を思い描き、「容疑者」に、その台本に基づいた供述調書に署名をひたすら迫るというもの。
そして、その検察自体が、リークという形でメディアに情報を流すことで、そもそも罪を問えるかどうかも微妙であるようなレベルの「容疑者」が「巨悪」に仕立て上げられてゆく構図である。
思えば、とりわけ堀江氏の事件の時は、エイチエス証券副社長の野口英昭氏の自殺事件を、メディアは、連日、ネタにした。それに踊らされて、普段はマスメディアに批判的なネット世論までも、彼がヤクザによる他殺であることに、良くて「疑わしい」、ひどいものになると「確証がある」と祭りをはじめたものだった。
あのとき、リアルタイムで、あれが「他殺のわけがないだろう」と論陣を張ったのは、私ぐらいじゃないだろうか?(参照:2006年2月13日付 Monologue)
私はべつに、ホリエモンに好感を持っているわけでもなかったが、ホリエモンが裏社会とズブズブであるわけがないことぐらいは、冷静に見れば、誰だってわかったはずなのだ。
そして、私にそれがわかったのは、メキシコにいたからという理由も大きかっただろう。
私は日本のワイドショーを見ていなかったし、朝に新聞が届けられることもなかった。(正確にはネットで読んでいた)。だから、あのときのマスコミ報道の異様さに対して、覚めた目で、見られたのだ。
あれはいったい何だったのか、とあとになって思う異様な報道。ターゲットが「拝金主義者」とみなされていた「成りあがりの億万長者」であったがゆえに、イラク人質事件の時以上のヒステリックさがあのときにもあった。
そして、その祭りが去って時間が経ったいま、「あれがなんであったのか」に、改めて耳を傾ける意味は大きい。
そして、それらがすべてつながって、何とも不健全で、閉塞感の深いいまの日本があることに気づかされ、また、思いもよらぬ方法で、検察に「痛めつけられた」3人の語る「こうあってほしい検察の改革」も、興味深い。
個人的には、佐藤優氏、さすがにラスプーチンといわれるだけのことはある。相手を自分の土俵に引きずり込みつつ、持論を展開する話術の巧みさ恐るべし。(賛美しているわけでも同意しているわけでもない) 一方で、ハサン中田先生の存在といい、恐るべし同志社大学神学部。
残念なのは、写真が弱いこと。
これだけキャラの濃い4人が集まっているのだから、もっと、キャラの濃いカメラマンがいたらなあ、と。
とはいえ、小沢一郎氏自身が登場しているわけではないが、彼の政治資金規正法違反の「なにが問題で、なにが誤解であり、なぜ、そのような誤解が起こってしまったのか」が、この件に関しての第三者の公認会計士である細野祐二氏によって、見事にわかりやすく解説されているというおまけもついている。
ここだけでも、買いの一冊。
(たぶん、続く)
まあ、普通に考えれば合わないでしょうな、ラテン歌手と特捜。ましてや、ソプラノ歌手はテロリストの同類という説までありますから(笑)。
で、イベント後、某有名ブロガーの方(これもたぶん、知らない人なら意外な組み合わせだと思われるかも)と打ち上げがてら飲みに行って、そこでも、(私のカバンの中にこの本が入っていることは話題にしていなかったにもかかわらず)、この本の話題に。
というわけで、かなり注目を浴びているのは確かなようです。
検察出身でありながら、特捜検察の捜査方法に対して厳しい批判を繰り返している郷原信郎氏と、まさにその特捜検察のターゲットとされ、「悪人」として社会的な激しいバッシングを受けたホリエモンこと堀江貴文、細野祐二、「外務省のラスプーチン」佐藤優の三氏との対談である。
というと、ものすごい怨嗟漂う検察バッシング本かとおもわれるが、まったくそうではない。
むしろ、当事者の3人は、きわめて冷静に事件を振り返り、何が起こったのかが語られ、これに対して、聞き手である郷原氏が検察の論理を丁重に解説していく。その過程で、「株取引の仕組みや企業会計や政治資金記載について、根本的にわかっていない」検察が、功を焦って迷路に踏み込み、撤退することもならず、そのまま泥沼にはまっていく軌跡が、いやおうなしに浮かび上がってくるのである。
そこで浮かび上がる特捜検察の姿は、マスメディアの情報に踊らされて作ってしまったイメージで、水戸黄門的台本を思い描き、「容疑者」に、その台本に基づいた供述調書に署名をひたすら迫るというもの。
そして、その検察自体が、リークという形でメディアに情報を流すことで、そもそも罪を問えるかどうかも微妙であるようなレベルの「容疑者」が「巨悪」に仕立て上げられてゆく構図である。
思えば、とりわけ堀江氏の事件の時は、エイチエス証券副社長の野口英昭氏の自殺事件を、メディアは、連日、ネタにした。それに踊らされて、普段はマスメディアに批判的なネット世論までも、彼がヤクザによる他殺であることに、良くて「疑わしい」、ひどいものになると「確証がある」と祭りをはじめたものだった。
あのとき、リアルタイムで、あれが「他殺のわけがないだろう」と論陣を張ったのは、私ぐらいじゃないだろうか?(参照:2006年2月13日付 Monologue)
私はべつに、ホリエモンに好感を持っているわけでもなかったが、ホリエモンが裏社会とズブズブであるわけがないことぐらいは、冷静に見れば、誰だってわかったはずなのだ。
そして、私にそれがわかったのは、メキシコにいたからという理由も大きかっただろう。
私は日本のワイドショーを見ていなかったし、朝に新聞が届けられることもなかった。(正確にはネットで読んでいた)。だから、あのときのマスコミ報道の異様さに対して、覚めた目で、見られたのだ。
あれはいったい何だったのか、とあとになって思う異様な報道。ターゲットが「拝金主義者」とみなされていた「成りあがりの億万長者」であったがゆえに、イラク人質事件の時以上のヒステリックさがあのときにもあった。
そして、その祭りが去って時間が経ったいま、「あれがなんであったのか」に、改めて耳を傾ける意味は大きい。
そして、それらがすべてつながって、何とも不健全で、閉塞感の深いいまの日本があることに気づかされ、また、思いもよらぬ方法で、検察に「痛めつけられた」3人の語る「こうあってほしい検察の改革」も、興味深い。
個人的には、佐藤優氏、さすがにラスプーチンといわれるだけのことはある。相手を自分の土俵に引きずり込みつつ、持論を展開する話術の巧みさ恐るべし。(賛美しているわけでも同意しているわけでもない) 一方で、ハサン中田先生の存在といい、恐るべし同志社大学神学部。
残念なのは、写真が弱いこと。
これだけキャラの濃い4人が集まっているのだから、もっと、キャラの濃いカメラマンがいたらなあ、と。
とはいえ、小沢一郎氏自身が登場しているわけではないが、彼の政治資金規正法違反の「なにが問題で、なにが誤解であり、なぜ、そのような誤解が起こってしまったのか」が、この件に関しての第三者の公認会計士である細野祐二氏によって、見事にわかりやすく解説されているというおまけもついている。
ここだけでも、買いの一冊。
(たぶん、続く)
コメントの投稿
No title
野口英昭氏の自殺事件に関しては、「きっこのブログ」において、被害者の妻の
『絶対に他殺。捜索打ち切らないで』という悲痛な叫びに近いメール投稿(被害者と堀江との関係も)
が掲載されてましたが、あれもデタラメ(か誤り)だったのでしょうか?
『絶対に他殺。捜索打ち切らないで』という悲痛な叫びに近いメール投稿(被害者と堀江との関係も)
が掲載されてましたが、あれもデタラメ(か誤り)だったのでしょうか?
No title
出鱈目とは思いません。ご遺族の偽らざる心境であると思います。それは尊重しますし、むろん、警察の捜査が絶対であると言っているわけでもありません。
しかし、あのバッシングの最中の事件でしたから、警察もかなりちゃんと操作はしたと思います。
それ以上に、「他殺説」派の言い分は、すべて「ホリエモンがヤクザと絡んでいたようだ」という憶測に基づく感情的なもので、カプセルホテルでどうやって返り血を浴びずに刺殺ができるのかという点も含めて、説得力なり具体性のあるものはなかったように思います。
「怪しいと思っている人を、感情的に犯人と決めつける」というのとはちょっと違いますが、似たような感触である、というのが、私の感想です。
しかし、あのバッシングの最中の事件でしたから、警察もかなりちゃんと操作はしたと思います。
それ以上に、「他殺説」派の言い分は、すべて「ホリエモンがヤクザと絡んでいたようだ」という憶測に基づく感情的なもので、カプセルホテルでどうやって返り血を浴びずに刺殺ができるのかという点も含めて、説得力なり具体性のあるものはなかったように思います。
「怪しいと思っている人を、感情的に犯人と決めつける」というのとはちょっと違いますが、似たような感触である、というのが、私の感想です。