40年前の本当に怖い話
時差の加減で一日ずれてしまったけれど、昨日は、メキシコ人にとって深い意味のある一日だった。
40年前の1968年10月2日。
メキシコ・オリンピック開催を直前に、高まる学生運動に業を煮やしたメキシコ政府は、その日、集会のためにメキシコシティ中心部のトラテロルコ三文化広場に集まった学生たちを弾圧したのだ。
ちなみに、三文化広場とは、この広場に面してアステカ時代の遺跡・植民地建築・現代建築の三種類の文化が存在することからつけられている。
そのトラテロルコ三文化広場に集まった学生たちは、気がつくと軍に包囲されていた。不穏を察して、リーダーたちが集会を解散したその瞬間、私服で学生に混じっていた狙撃隊が発砲を開始し、それを皮切りに、広場は地獄と化したのだ。
マシンガン、ダムダム弾、戦車と上空からのヘリの乱射。
この広場の周囲の団地群は、その少し前から電気と電話を止められ、住人たちは惨状を目撃しながらも、外部に伝えることができなかったという。
そして、わずか30分ほどの間に、数百人の死者と数千人の逮捕者・行方不明者が出た。
60年代の学生運動は、フランスやアメリカなどを筆頭に、日本も含めて世界中で盛り上がったが、その中で、間違いなく最も残虐な事件だった。
にもかかわらず、当時、メキシコ政府の極めて厳しい情報統制によって、事実が広く知られることはなかったのだった。当時の新聞は、学生の過激派が最初に銃撃を始めて軍と衝突し、29名の死者が出た、とある。
しかし、街は緊張に包まれた。
「死体を積んだトラックが走るのを見た」
「死体を積んだ地下鉄を見た」
事件は、都市伝説として語られ、数日後、なにごともなかったかのようにメキシコ・オリンピックは開催された。
オリンピックの要人エスコート・リーダーだった女性もこの事件で殺されていたのだったが。
関連写真1(凄惨なので、気の弱い方はご遠慮ください)
http:// www.cam acho.co m.mx/tl atelolc o68/uni versal/ foto.ht ml
関連写真2(政府側カメラマンの撮影写真)
http:// www.cam acho.co m.mx/tl atelolc o68/pri ncipal. html
その後、当時のディアス=オルダス政権下で、内務大臣としてこの弾圧の責任者であるエチェベリアが大統領に就任し、メキシコでは20年にわたって「汚い戦争 (Guerra Sucia)」と呼ばれる反政府派への静かな弾圧が続いた。
2000年、右派野党PANから、ビセンテ・フォックス大統領は、この事件の徹底調査を公約のひとつに掲げて当選したが、彼の任期の終わる直前になって、やっと、ルイス・エチェベリア元大統領の逮捕を命じた。もっとも、84歳という高齢ゆえにエチェベリアは自宅拘束となり、そのわずか数日後には、時効として、自由の身となっている。
また、2001年には、トラテロルコ事件に関する資料を公表した学生運動の元リーダーが、数日後に変死している。
40年前の1968年10月2日。
メキシコ・オリンピック開催を直前に、高まる学生運動に業を煮やしたメキシコ政府は、その日、集会のためにメキシコシティ中心部のトラテロルコ三文化広場に集まった学生たちを弾圧したのだ。
ちなみに、三文化広場とは、この広場に面してアステカ時代の遺跡・植民地建築・現代建築の三種類の文化が存在することからつけられている。
そのトラテロルコ三文化広場に集まった学生たちは、気がつくと軍に包囲されていた。不穏を察して、リーダーたちが集会を解散したその瞬間、私服で学生に混じっていた狙撃隊が発砲を開始し、それを皮切りに、広場は地獄と化したのだ。
マシンガン、ダムダム弾、戦車と上空からのヘリの乱射。
この広場の周囲の団地群は、その少し前から電気と電話を止められ、住人たちは惨状を目撃しながらも、外部に伝えることができなかったという。
そして、わずか30分ほどの間に、数百人の死者と数千人の逮捕者・行方不明者が出た。
60年代の学生運動は、フランスやアメリカなどを筆頭に、日本も含めて世界中で盛り上がったが、その中で、間違いなく最も残虐な事件だった。
にもかかわらず、当時、メキシコ政府の極めて厳しい情報統制によって、事実が広く知られることはなかったのだった。当時の新聞は、学生の過激派が最初に銃撃を始めて軍と衝突し、29名の死者が出た、とある。
しかし、街は緊張に包まれた。
「死体を積んだトラックが走るのを見た」
「死体を積んだ地下鉄を見た」
事件は、都市伝説として語られ、数日後、なにごともなかったかのようにメキシコ・オリンピックは開催された。
オリンピックの要人エスコート・リーダーだった女性もこの事件で殺されていたのだったが。
関連写真1(凄惨なので、気の弱い方はご遠慮ください)
http://
関連写真2(政府側カメラマンの撮影写真)
http://
その後、当時のディアス=オルダス政権下で、内務大臣としてこの弾圧の責任者であるエチェベリアが大統領に就任し、メキシコでは20年にわたって「汚い戦争 (Guerra Sucia)」と呼ばれる反政府派への静かな弾圧が続いた。
2000年、右派野党PANから、ビセンテ・フォックス大統領は、この事件の徹底調査を公約のひとつに掲げて当選したが、彼の任期の終わる直前になって、やっと、ルイス・エチェベリア元大統領の逮捕を命じた。もっとも、84歳という高齢ゆえにエチェベリアは自宅拘束となり、そのわずか数日後には、時効として、自由の身となっている。
また、2001年には、トラテロルコ事件に関する資料を公表した学生運動の元リーダーが、数日後に変死している。