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五輪エンブレムでちょっと思ったこと

 どんな分野でも、プロの評価と素人の評価が違うというのはままあることだ。素人さんの評価はどうしても、「第一印象」とか「なじみ」に左右されるからだ。あと、「ストーリー」ね。
 美術作品でも音楽作品でもありがちなんだけど、作品そのものより、その裏の「作った人のドラマ」みたいなところに「感動」する人はとっても多い。(佐村河内守作品はその良い例だろう。曲が良ければ、誰が作ろうが、どういう経緯で作られようが関係ないはずだ)
 アート作品に限らず、工芸品でも料理でも、ある意味、なんでもそうだ。専門家の視点と素人の視点、専門家の評価と素人の評価は異なるのは仕方がない。

 でも、実際には、「その道の専門家」などというのはごく一握りしかいないわけで、消費社会において、「ものを評価する」立場にあるのは、圧倒的多数の「消費者」だ。
 だからこそ、音楽でも美術でも、「作品をより理解するため」という名目で、さまざまなドラマ(たとえば、「苦節○○年」とか「1万人のオーディションから選ばれた」とか「障害を乗り越え」とか)が語られる。そういったドラマは、できあがった作品の優劣とは、本来何の関係もないはずだが、それはそれで、否定するほどのことではないと思う。
 同様に、人間は慣れ親しんだものを好む傾向があるから、ありきたりでわかりやすいとか、それまでの露出度の高いものが好まれるということもある。要するに「無名の新人」より、「いま売れている俳優」の出演する映画の方がヒットする確率は高い。

 良くも悪くも、素人さんというのは、そういうものであるがゆえに、何かを公正に選ぶ場合、訓練を積んだ「プロの審査」というものが必要になってくるわけだ。

 そして、私たちは「プロ」に一目置くように習慣づけられている。お医者さんに命を預けるように、とまではいかないにしても、「プロ」は、その分野でそれなりの厳しい訓練を積んでおり、素人がちょっと頑張ったぐらいでは到底できないことをやってみせるのが、プロ、というのが、多くの人の認識だろう。

 今回の五輪エンブレムの問題は、そのあたりがめちゃくちゃだったために、炎上を呼んだのではないか、と私は感じている。

 最初にエンブレムの発表があったとき、私は別にダサイとは思わなかった。そして、多くの人も、「プロがデザインし、プロが選んだものだから」という意識があったと思う。

 問題は、ベルギーの劇場のロゴと「似ている」という指摘があり、かつ、そのデザイナーが非常に怒っているということが明らかになったときの、組織委と佐野氏の対応だった。

 私は微妙だと思った。この時点では、盗用だとまでは思わなかった。デザインがシンプルであればあるほど、偶然似ることはあり得るし、よく見れば字体も違う。佐野氏がベルギーの劇場のロゴまで知っていたとは思えない。
 しかし、「全然似ていない」とか、「似ても似つかない」わけではない。
 素人目には似ているし、何より、相手方のデザイナーは盗作を主張しているのだ。
 
 だから、この時点で、佐野氏と組織委は、「全然似ていない」などと頭ごなしに主張するのではなく、専門家的に、どこがどう似ていないのか、すみやかにきちんとした説明を行うべきだった。
 しかし、佐野氏側は数日にわたって、ホームページを事実上閉鎖し、8月5日になって、デザインコンセプトの説明を行った。
 とはいえ、この説明にはそれなりに説得力があったから、多くの人は納得したのではないかと思う。
 ここまでは、佐野氏も組織委も「プロ」っぽかったからである。
 
 しかし、このデザインコンセプトの解説と、この席上で発した「私はものをパクるということを一切したことはない。」という断定が、結果的に佐野氏の首を絞めることになる。

 サントリーのトートバック問題が発覚したのはその直後だった。
 この時点でも、私は、これ自体は、本当に「部下が勝手にやったこと」だったのだろうと思った。もちろん、監督責任は免れない。そもそも、サントリーの仕事であるなら、それなりの予算が出ていたはずだし、ネット上で見つけたロゴや画像を無断でそのまま使うなどということは、あってはならないのは当たり前で、そんなことは、プロ以前の常識レベルだからだ。

 しかし、それとは別に、トートバックのデザイン自体も(ものによるが)、微妙だ。と、多くの人は感じたのでないか。とりわけ問題になったフランスパンのアレなんかは、デザインという程のものなのか? と。こんなんで高いお金取っているのか、この人は、と。

 もちろん、アートとはやったもん勝ちの世界でもある。トイレの便器だって美術館に出せば、アート作品になる。「演奏をしない」という音楽だってある。ただし、それは、最初にやった人一名様限定である。
 そういう意味では、布にフランスパンの写真を載せただけ、というデザインでも、「プロのデザイナーがプロの仕事としてやったのであれば」、それは許される。
 しかし、こういうのなら、誰でもできるよね、そのへんの100円ショップでも売ってるよね、みたいな、そのなんとはない「釈然としない感じ」があればこそ、その画像が、ネットでタダで拾ってきたものだったと判明した途端に、炎上につながったのではないか。

 その釈明が、「部下のやったこと」というのも、事実ではあったのだろうけど、適切ではなかった。社内的にそういうことが許される空気があったのかどうか、詳細な事実関係はどうだったのか、社員の処分はあるのか無いのか。
 プロとして、それも大きな仕事をしたのだから、たとえ部下とはいえ、画像の盗用はプロとしてあるまじきことだった。それも1点ならともかく、8点も見つかったのだから、「うっかり見落とし」ではすまされない。(もちろん、ネット上の指摘の中には、「言いがかり」に近いものもあったが)

 バイトの店員が悪戯をしたことで店が潰れることがあるのは、食品という衛生に気をつけなくてはならない分野で、不潔な行為をしたことが「大きな不祥事」となるからだ。バイトが勝手にやったことだし、他の支店は問題ないし、食べても別に死にません、と、店側が開き直ったら駄目だろう。

 デザイナーという、クリエイティビティと著作権で食べている分野だからこそ、著作権侵害は、
部下が勝手にやったこと、で済むことではなかった。大きな不祥事としての自覚があるべきだったのだ。
 個人的には、ここで、佐野氏は「エンブレムは盗作ではないが、部下がこのような不祥事を起こした以上、もはやオリンピックのイメージにふさわしくないから」として、エンブレムは辞退するべきだった。
 そうすれば、佐野氏の傷は最小限で済んだと思う。むしろ、業界では被害者として同情されたのではないか。

 しかし、結果的に、佐野氏が「あくまで部下の問題。そのことには自分も責任があるが、エンブレムは別」と開き直ってしまったため、結果として、他の盗用疑惑までもが取り沙汰され、組織委は、原案が別にあったことを表明した。

 私が「それは決定的に問題だろう」と思ったのは、この時点だ。
 原案に問題があって、大幅に変更したものが、なぜ、コンペの勝者となるのか。

 たとえいったん入賞しても、問題になると判断されるほど似たものが他にあったら、たとえ盗用でなかったとしても、失格になるのが筋ではないのか。

 問題があったから、オリジナルとは違う物に変えてもらって、それを入選作品として発表というのでは、新国立競技場のザハ案と同じパターンである。「有力者」の強力なプッシュがあったのか、はじめから「作品」を選ぶのではなく「デザイナー」を選ぶ出来レースだったのか、と疑われても仕方がない。
 二位以下とは差があったから、と組織委は説明するが、それは応募者全員、日本のデザイナー全般に対する侮辱だろう。

 そして、8月28日に組織委が公表した、オリジナルデザインを見て、これは駄目だと確信した。当初の佐野氏のデザインコンセプトとは、まったく違うものがそこにあったからだ。つまり、デザインコンセプトについて、佐野氏は、堂々と嘘の説明をしていたことになる。
 たとえ、ヤン・チヒョルトの展覧会ポスターのデザインがなかったとしても、信憑性に欠ける説明をしてしまった時点で十分問題だし、そのあとの展覧会ポスターのロゴは、致命的だったと思う。

 むろん、これも「偶然」似てしまっただけかもしれない。
 しかし、これだけ「偶然」が続いては、デザインとは「イメージを売る」ものである以上、駄目だろう。ましてや、テーマは、オリンピックだ。
 そして、不透明な選考で、そのようなものを選び、庇い抜いてきた組織委も、プロとしての能力と公正さを疑われても仕方がない。

 展開例での写真の無断使用には、もはや啞然とするしかなかった。
 いくらクローズドの場でのプレゼン用のものだったとしても、ラフスケッチのイラストを描くとか、ストックフォトの写真を捜すとかすればいいのに、それをやらずに、copyrightの文字をわざわざトリミングで削除しているのだから、完全に確信犯である。
 悪いが、このボスにして、部下あり、職場環境あり。この事務所では恒常的に、ネットから画像を拾ってきて、ちょっと加工して、安易にそのまま使うというようなことをやっていたとしか思えないではないか。
 そして、それは、デザイナーとして、プロとして、もっともやってはならないことだという自覚がどうも今ひとつ見えないところが、救いがない。
 
 もちろん、ひょっとすると、プロのデザイナーでもみんなこれぐらいのことは多かれ少なかれやっているのかもしれない。でも、飲食店で「食品や食器をいい加減に扱う」ようなことが表に出てしまっては絶対に駄目なように、そして、馬鹿なバイトが馬鹿なことをしでかしてしまったのだとしても、店としては、最大限の危機管理対応をしなくてはならないのと同じことだ。
 プロとして仕事をするというのはそういうことではないか。
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