同調圧力と思考停止
先日の8月12日、神田の東京堂書店で、歴史学者の小菅信子さんとジャーナリスト吉田敏浩さんのトークセッションを聞く機会を得た。

「赤紙と徴兵: 105歳最後の兵事係の証言から
」という吉田氏の著書の発売記念のイベントで、貴重な兵事書類のコピーも見せて頂くことができた。
兵事係とは、町や村の役場で兵事書類を扱う担当者で、兵事書類とは、戦前戦中の兵事行政にかかわる公文書のことである。
これは、徴兵検査で現役や補充兵役などを決め現役兵を入隊させるための徴集名簿、戦時に在郷軍人を軍隊に呼び出す召集票、軍馬の動員記録などの文書すべてを指す。これらを、主に、当時の自治体の役場にいた兵事主任が取り扱ったわけだ。
これらの名簿を元に、赤紙を出すのは軍部だったが、赤紙を配達するのが役所の兵事係だったため、一般には、兵事係が赤紙を誰に出すか決めているかのように誤解されてことが多かったという。
敗戦直後、軍は、軍や市町村にすべての兵事書類の24時間以内の焼却命令を出した。戦争責任の追及を回避するためだったとされているが、このことによって、いまだに徴兵などが具体的にどのようにおこなわれたかが、不明になっている。
そのような状況下で、滋賀県大郷村〈現・長浜市〉で、その兵事係であった西邑仁平さんは、軍からの焼却命令に納得できず、命がけで大量の兵事文書を隠した。
「焼却命令には合点がいきませんでした。村からは多くの戦没者が出ています。これを処分してしまったら、戦争に征かれた人の労苦や功績が無になってしまう、遺族の方にも申し訳ない、と思ったんです」
そして、100歳を超えてから、もういいだろうと、このことを公開したのである。
吉田氏の著作は、この大量の兵事文書を分析することによって、当時の普通の人たちが、戦争下でどう暮らしていたのかという状況を浮かび上がらせたものだった。
しかし、私の注意を引いたのは、単に8月のこの時期になされた、興味深い戦時中の話ということではなかった。
トークの後も、頭から去らなかったのは、そこで象徴的に語られた「同調圧力」という言葉である。
同調圧力とは「嫌と思っても言えない」「おかしいと思っても口に出せない」こと。そして「肩身が狭い」というキーワード。
ここに、さらにメディアの「煽り」がそれに輪をかけて、「ノーと言えない状況」を作り上げていく様が語られたのである。
陰では号泣しながら、表では「名誉の戦死がめでたい」と言って(言わされて)しまう、その空気。そのこと自体は悲劇性を帯びるドラマだが、そこから玉砕や集団自決までは一直線となる。
もうひとつは、そういう状況下で、人間の感覚が麻痺してしまうこと。自分には忸怩たる被害者意識はあるが、それだけに一方で他者(敵方)に対する想像力がなくなり、外地において、悪気無く(結果的に)残虐な行為をおこなってしまったという事実。
つまり、後になって冷静に考えたら、ひどいことだと思うようなことを、そのときは大きな問題意識もなくやってしまったという事実である。
この話を聞いていて、私は「戦争は全然終わっていない」と感じたのだった。日本社会の中で、おそろしいほど、まったく同じ問題は生きているではないか。
昨年から、私は検察問題に取り組んできたが、ここでまったく同じ言葉が聞かされるのである。
一人一人は決して悪人ではない。かつて佐賀農協事件で冤罪を作る立場になったことを告白した市川寛元検事にしても、非常に真面目で誠実な人である。
しかし、おそろしいまでの同調圧力の中で、ノーと言うことができず、被疑者や参考人に対しての人権侵害的な取り調べがまかり通り、冤罪さえも生み出されてしまうという構図がそこにあった。
私はこの点を、社会心理学でいうミルグラム実験やスタンフォード監獄実験で起こったようなことが、検察で起こっているのではないかと考えてきた。しかし、それ以上に、この日本的な「同調圧力」のほうが、問題の本質に近いのではないかと感じたのだ。
そしてそれは、もちろん、検察問題だけではない。
福島原発事故でも、まったく同じ連鎖が起こっているのではないかと。
つまり、そういう意味では、戦争はまったく終わっていないわけだ。
この「同調圧力」とは何なのか。どうしたら防げるのか、それを解かないと、同じ問題は永久に繰り返されるだろう
このことをTwitterで書いてみたところ、ある方から「日本の文化である稲作は周りと同調せざるを得ない。だから、自然に強いものには巻かれるしかいない精神風土が育っている。良い意味では助け合いなんですがね」というリプライが返ってきた。
一理ある。
しかし、その直後、別の方から別のリプライがあった。
「助け合いと同調圧力は似て非なる物だと思います。皆のために知恵を出し合うのが助け合い。思考停止して形骸化したルールを押し付けるのが同調圧力です」
おそらく、同調圧力の強い中では「思考停止する」というのが最も「楽な生き方」となる。それこそが「起こってしまったこと」であり、最大の問題であるのかもしれない。
そんなことまでも考えさせられたこのトークイベントは、非常に濃い内容で、中継や録画がなかったのが惜しいと思ってしまったのは、私が、すっかりUstream中継やYouTubeに慣らされてしまったからだろう。

「赤紙と徴兵: 105歳最後の兵事係の証言から
兵事係とは、町や村の役場で兵事書類を扱う担当者で、兵事書類とは、戦前戦中の兵事行政にかかわる公文書のことである。
これは、徴兵検査で現役や補充兵役などを決め現役兵を入隊させるための徴集名簿、戦時に在郷軍人を軍隊に呼び出す召集票、軍馬の動員記録などの文書すべてを指す。これらを、主に、当時の自治体の役場にいた兵事主任が取り扱ったわけだ。
これらの名簿を元に、赤紙を出すのは軍部だったが、赤紙を配達するのが役所の兵事係だったため、一般には、兵事係が赤紙を誰に出すか決めているかのように誤解されてことが多かったという。
敗戦直後、軍は、軍や市町村にすべての兵事書類の24時間以内の焼却命令を出した。戦争責任の追及を回避するためだったとされているが、このことによって、いまだに徴兵などが具体的にどのようにおこなわれたかが、不明になっている。
そのような状況下で、滋賀県大郷村〈現・長浜市〉で、その兵事係であった西邑仁平さんは、軍からの焼却命令に納得できず、命がけで大量の兵事文書を隠した。
「焼却命令には合点がいきませんでした。村からは多くの戦没者が出ています。これを処分してしまったら、戦争に征かれた人の労苦や功績が無になってしまう、遺族の方にも申し訳ない、と思ったんです」
そして、100歳を超えてから、もういいだろうと、このことを公開したのである。
吉田氏の著作は、この大量の兵事文書を分析することによって、当時の普通の人たちが、戦争下でどう暮らしていたのかという状況を浮かび上がらせたものだった。
しかし、私の注意を引いたのは、単に8月のこの時期になされた、興味深い戦時中の話ということではなかった。
トークの後も、頭から去らなかったのは、そこで象徴的に語られた「同調圧力」という言葉である。
同調圧力とは「嫌と思っても言えない」「おかしいと思っても口に出せない」こと。そして「肩身が狭い」というキーワード。
ここに、さらにメディアの「煽り」がそれに輪をかけて、「ノーと言えない状況」を作り上げていく様が語られたのである。
陰では号泣しながら、表では「名誉の戦死がめでたい」と言って(言わされて)しまう、その空気。そのこと自体は悲劇性を帯びるドラマだが、そこから玉砕や集団自決までは一直線となる。
もうひとつは、そういう状況下で、人間の感覚が麻痺してしまうこと。自分には忸怩たる被害者意識はあるが、それだけに一方で他者(敵方)に対する想像力がなくなり、外地において、悪気無く(結果的に)残虐な行為をおこなってしまったという事実。
つまり、後になって冷静に考えたら、ひどいことだと思うようなことを、そのときは大きな問題意識もなくやってしまったという事実である。
この話を聞いていて、私は「戦争は全然終わっていない」と感じたのだった。日本社会の中で、おそろしいほど、まったく同じ問題は生きているではないか。
昨年から、私は検察問題に取り組んできたが、ここでまったく同じ言葉が聞かされるのである。
一人一人は決して悪人ではない。かつて佐賀農協事件で冤罪を作る立場になったことを告白した市川寛元検事にしても、非常に真面目で誠実な人である。
しかし、おそろしいまでの同調圧力の中で、ノーと言うことができず、被疑者や参考人に対しての人権侵害的な取り調べがまかり通り、冤罪さえも生み出されてしまうという構図がそこにあった。
私はこの点を、社会心理学でいうミルグラム実験やスタンフォード監獄実験で起こったようなことが、検察で起こっているのではないかと考えてきた。しかし、それ以上に、この日本的な「同調圧力」のほうが、問題の本質に近いのではないかと感じたのだ。
そしてそれは、もちろん、検察問題だけではない。
福島原発事故でも、まったく同じ連鎖が起こっているのではないかと。
つまり、そういう意味では、戦争はまったく終わっていないわけだ。
この「同調圧力」とは何なのか。どうしたら防げるのか、それを解かないと、同じ問題は永久に繰り返されるだろう
このことをTwitterで書いてみたところ、ある方から「日本の文化である稲作は周りと同調せざるを得ない。だから、自然に強いものには巻かれるしかいない精神風土が育っている。良い意味では助け合いなんですがね」というリプライが返ってきた。
一理ある。
しかし、その直後、別の方から別のリプライがあった。
「助け合いと同調圧力は似て非なる物だと思います。皆のために知恵を出し合うのが助け合い。思考停止して形骸化したルールを押し付けるのが同調圧力です」
おそらく、同調圧力の強い中では「思考停止する」というのが最も「楽な生き方」となる。それこそが「起こってしまったこと」であり、最大の問題であるのかもしれない。
そんなことまでも考えさせられたこのトークイベントは、非常に濃い内容で、中継や録画がなかったのが惜しいと思ってしまったのは、私が、すっかりUstream中継やYouTubeに慣らされてしまったからだろう。