5/23「検察、世論、冤罪」シンポジウム・そして爆弾発言が...
さて、それで肝心のシンポジウムの話。

市川さんの登場があまりにセンセーショナルでしたので、その陰に隠れた形になりましたが、実は他のパネリストの方々のお話ももの凄く濃いものでした。
最初の発言者として、私は、2005年のメキシコの大統領候補AMLO(Andres Manuel Lopez Obrador)の訴追事件で起こったメディアの捏造報道と検察の暴走と、まったく同じといっていいほど酷似した事件が2009年の日本で起こった件。そして、さらに大阪の村木さん事件を目の当たりにしているうち、どこかで誰かが暴走検察に石を投げるべきと考えて、特別公務員職権濫用罪での告発状を出した経緯を語りました。

そのあとを続けて、郷原信郎弁護士。
相撲の狭い世界で親方になり、出世して協会幹部になる。全ては内部で決める…それはどこかでゆがみが生じる。検察は大相撲と同じ構造。そしてまた、原発事故と検察問題の共通点としての、安全神話と検察神話。「絶対安全を信じさせていた」「正義を維持するためには、少々のことは許される」という点で、原発と検察は似ているという理論的分析。「検察の正義神話」を維持するためには少々の逸脱は許される、という空気。その空気の中で調書の改ざん、証拠隠しも行われてきた、と。
ちょうどその前に、御著書を読んでいたので、この分析、非常によくわかります。
そして、3.11のドサクサにまぎれて、ふたたび検察は暴走。検察の在り方検討会議が骨抜きにされてしまった顛末。

次いで、元最高検アドバイザーでもあった山下幸夫弁護士。
山下さんは、いつも温厚に微笑みながらなにげに鋭いことをおっしゃるのですが、この日も凄い。まずいきなり検察審査会問題です。日弁連で検察審査会の勉強をしていても、この検察審査会の動きが読めなかったこと。そもそも小沢氏の議決にもかなりの違和感があり、さらに、今回の前田元検事の不起訴相当議決は驚いた、完全に検審が検察に操作されている、と。
そして、あっと驚く発言が。検審の補助弁護士がどうやって選ばれているのか、日弁連ですらわからないというのです。つまりブラックボックス。
審査員がどう選ばれているのかが不透明であることは、森ゆうこ参議院議員が問題にされていましたが、山下氏は、それ以上に補助弁護士の責任が大きいと指摘されます。つまり審査会には、検察官が説明に来る。そのうえ、補助弁護士をも検察が都合の良い人を選ぶことができるなら、素人の審査員を誘導することは簡単だということです。つまり、検察審査会は検察を縛るものではなく、補完するものであったことが明らかになった、と。(これ、充分、爆弾発言)
.....そうだったのか。
そして、震災と失速した「検察のあり方検討会議」を利用して、さらに検察に都合の良い法体系法制度が作られようとしている現実的な危惧までが語られます。

その次が、週刊朝日前編集長の山口一臣氏。なぜかこのシンポ「や行」で始まるパネラーが多いですね。(もちろん偶然ですが)
検察の大半の問題はメディアの責任ではないか、と、この方ものっけから大胆発言。
検察が捕まえようとしている人間の虚像を作り出してしまう、自分もまたそれに加担したことがある、とライブドア事件の例を挙げて。
新聞社としては検察の捜査を批判するというのはありえないこと。駆け出しの記者でさえわかるおかしさも組織の中にいると見えなくなる。検察批判をする者は、地動説を唱えているガリレオみたいなものだった、と。これ名言。
さらには、週刊朝日で検察批判を始めてから、ここだけの話(って、Ustとニコ動でダダ漏れなんですが)だが、社会部の皆さんから口を利いてもらえなかった。エレベーターで一緒になっても無視され、一人でお弁当食べていた。(中学生のイジメかよ)
この山口さんのご発言については、こちらにもまとめられています。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw67167
そして、(おそらく皆が固唾を呑んで待っていた)市川寛さんの出番。
当たり前ですが、彼はこのような場で発言するのははじめてです。しかも、彼自身が封印してきたことを話すのです。それもテレビで報道された以上のことを。それだけに、当然ながら声は固かったですが、けれど滑舌よくよどみなく、彼は話し始めます。

いかにして「暴言検事」ができあがるのか。すべての検事は被疑者に暴言を吐きたくて検事になるわけではない。私は検察庁が求めるところの『検事』になることはできなかった。上司に反論することができなかった、と。
生々しい先輩検事の指導。「ヤクザと外国人に人権はない」「千枚通しを突きつけろ」「生意気な被疑者は机の下から蹴るんだよ、特別公務員暴行陵虐罪をやるんだ。それが特捜部のやり方だ」
さらに話は供述調書の取り方に続きます。被疑者が一言も話していなくても、勝手に検事が事件について喋り、事務官が筆記する。それに署名を迫る。抵抗したら「これはおまえの調書じゃない、俺の調書だ」
(....これじゃ検察が死にものぐるいで取り調べの可視化に抵抗するわけです)
自分の問題は、おかしいと思っても、上司にそれを言えなかったことに尽きる。と、彼は言います。
さらに任官1年目から、このような体育会的な指導を受け、家に帰してもらえない。東京地検などでは、うまく調書が取れないと、バッジをはずせと怒鳴られたという。おそろしいのは、数年経つと、そういった教育を肯定して「あれで育てられた」と本気で言いだす同僚が出てくること。虐待の連鎖。
検事には大きく3つのタイプがいます、と彼は語ります。どんな上司が相手であろうと必ず自分の主義主張を通せる人・何も考えずに上司からの命令ならなんでも従うロボット検事・上司からの命令をおかしいと思いながらも従ってしまう半端者。そして、私は半端者の検事だった、と。
この市川さんのお話は、こちらで全文掲載。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw66706
会場騒然、あまりの内容にパネラーの方々も啞然。ここまで言うか。いや、検察ってそこまでえぐいものだったのか。
わたくしも目論見通りの瞠目するほどの、すごいことになりました。
そして、そのものすごい緊迫感の中、シンポジウムは、後半に。
(続く)
【写真:岡部好】

市川さんの登場があまりにセンセーショナルでしたので、その陰に隠れた形になりましたが、実は他のパネリストの方々のお話ももの凄く濃いものでした。
最初の発言者として、私は、2005年のメキシコの大統領候補AMLO(Andres Manuel Lopez Obrador)の訴追事件で起こったメディアの捏造報道と検察の暴走と、まったく同じといっていいほど酷似した事件が2009年の日本で起こった件。そして、さらに大阪の村木さん事件を目の当たりにしているうち、どこかで誰かが暴走検察に石を投げるべきと考えて、特別公務員職権濫用罪での告発状を出した経緯を語りました。

そのあとを続けて、郷原信郎弁護士。
相撲の狭い世界で親方になり、出世して協会幹部になる。全ては内部で決める…それはどこかでゆがみが生じる。検察は大相撲と同じ構造。そしてまた、原発事故と検察問題の共通点としての、安全神話と検察神話。「絶対安全を信じさせていた」「正義を維持するためには、少々のことは許される」という点で、原発と検察は似ているという理論的分析。「検察の正義神話」を維持するためには少々の逸脱は許される、という空気。その空気の中で調書の改ざん、証拠隠しも行われてきた、と。
ちょうどその前に、御著書を読んでいたので、この分析、非常によくわかります。
そして、3.11のドサクサにまぎれて、ふたたび検察は暴走。検察の在り方検討会議が骨抜きにされてしまった顛末。

次いで、元最高検アドバイザーでもあった山下幸夫弁護士。
山下さんは、いつも温厚に微笑みながらなにげに鋭いことをおっしゃるのですが、この日も凄い。まずいきなり検察審査会問題です。日弁連で検察審査会の勉強をしていても、この検察審査会の動きが読めなかったこと。そもそも小沢氏の議決にもかなりの違和感があり、さらに、今回の前田元検事の不起訴相当議決は驚いた、完全に検審が検察に操作されている、と。
そして、あっと驚く発言が。検審の補助弁護士がどうやって選ばれているのか、日弁連ですらわからないというのです。つまりブラックボックス。
審査員がどう選ばれているのかが不透明であることは、森ゆうこ参議院議員が問題にされていましたが、山下氏は、それ以上に補助弁護士の責任が大きいと指摘されます。つまり審査会には、検察官が説明に来る。そのうえ、補助弁護士をも検察が都合の良い人を選ぶことができるなら、素人の審査員を誘導することは簡単だということです。つまり、検察審査会は検察を縛るものではなく、補完するものであったことが明らかになった、と。(これ、充分、爆弾発言)
.....そうだったのか。
そして、震災と失速した「検察のあり方検討会議」を利用して、さらに検察に都合の良い法体系法制度が作られようとしている現実的な危惧までが語られます。

その次が、週刊朝日前編集長の山口一臣氏。なぜかこのシンポ「や行」で始まるパネラーが多いですね。(もちろん偶然ですが)
検察の大半の問題はメディアの責任ではないか、と、この方ものっけから大胆発言。
検察が捕まえようとしている人間の虚像を作り出してしまう、自分もまたそれに加担したことがある、とライブドア事件の例を挙げて。
新聞社としては検察の捜査を批判するというのはありえないこと。駆け出しの記者でさえわかるおかしさも組織の中にいると見えなくなる。検察批判をする者は、地動説を唱えているガリレオみたいなものだった、と。これ名言。
さらには、週刊朝日で検察批判を始めてから、ここだけの話(って、Ustとニコ動でダダ漏れなんですが)だが、社会部の皆さんから口を利いてもらえなかった。エレベーターで一緒になっても無視され、一人でお弁当食べていた。(中学生のイジメかよ)
この山口さんのご発言については、こちらにもまとめられています。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw67167
そして、(おそらく皆が固唾を呑んで待っていた)市川寛さんの出番。
当たり前ですが、彼はこのような場で発言するのははじめてです。しかも、彼自身が封印してきたことを話すのです。それもテレビで報道された以上のことを。それだけに、当然ながら声は固かったですが、けれど滑舌よくよどみなく、彼は話し始めます。

いかにして「暴言検事」ができあがるのか。すべての検事は被疑者に暴言を吐きたくて検事になるわけではない。私は検察庁が求めるところの『検事』になることはできなかった。上司に反論することができなかった、と。
生々しい先輩検事の指導。「ヤクザと外国人に人権はない」「千枚通しを突きつけろ」「生意気な被疑者は机の下から蹴るんだよ、特別公務員暴行陵虐罪をやるんだ。それが特捜部のやり方だ」
さらに話は供述調書の取り方に続きます。被疑者が一言も話していなくても、勝手に検事が事件について喋り、事務官が筆記する。それに署名を迫る。抵抗したら「これはおまえの調書じゃない、俺の調書だ」
(....これじゃ検察が死にものぐるいで取り調べの可視化に抵抗するわけです)
自分の問題は、おかしいと思っても、上司にそれを言えなかったことに尽きる。と、彼は言います。
さらに任官1年目から、このような体育会的な指導を受け、家に帰してもらえない。東京地検などでは、うまく調書が取れないと、バッジをはずせと怒鳴られたという。おそろしいのは、数年経つと、そういった教育を肯定して「あれで育てられた」と本気で言いだす同僚が出てくること。虐待の連鎖。
検事には大きく3つのタイプがいます、と彼は語ります。どんな上司が相手であろうと必ず自分の主義主張を通せる人・何も考えずに上司からの命令ならなんでも従うロボット検事・上司からの命令をおかしいと思いながらも従ってしまう半端者。そして、私は半端者の検事だった、と。
この市川さんのお話は、こちらで全文掲載。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw66706
会場騒然、あまりの内容にパネラーの方々も啞然。ここまで言うか。いや、検察ってそこまでえぐいものだったのか。
わたくしも
そして、そのものすごい緊迫感の中、シンポジウムは、後半に。
(続く)
【写真:岡部好】
テーマ : 政治・経済・時事問題
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