続:「検察の、捜査の名を借りた人権侵害を問う」シンポジウムに行ってきた
(昨日の続き)
そして、佐藤栄佐久氏の事件は、「知事抹殺」という書籍にもなっている。
国による原発プルサーマル計画や道州制に徹底して反対の立場を取って、国と対立してきた佐藤氏の疑獄事件。苛烈きわまりない取り調べに自殺者3人、自殺未遂者一人が出たという。
また、氏の妹さんも取調中に倒れたのに救急車も呼ばずに放置され、緊急入院したとか。
また、政治家としての後援会組織を徹底して潰したともいう。
結果として、氏は供述調書に署名した。裁判を信じて希望を託したわけだが、結果的には、贈賄額ゼロと裁判所自身が認定しながらも有罪判決となり、上告中である。
郷原氏は、先日の第三種郵便不正事件の村木厚子元厚生労働省局長の虚偽公文書作成・行使事件での無罪判決が、検察を追い込んでおり、この事件が、検察を変えるきっかけになるのではないかと語られるが、さて、どうだろう。
しかしこの方、けっこうな戦記ヲタマニアであることがわかる。
台湾沖航空戦なんてみんな知りませんて。でも、たいへん勉強になりました。ああ、世の中に勉強しなくちゃいけないことは多いなあ。
皮肉にもこの日、福島県はプルサーマル受け入れを表明している。
教訓:冤罪逮捕されたら、何が何でも否認を貫くことだ。いったん供述調書に署名したら、裁判でいかに被告有利な証拠や証言が出てこようと、そして、検察が証拠を挙げることができなくても、それでも有罪にされてしまう可能性が高い。
で、第二部が、「我が国で『裁判員制度』が運用されて」
推進派筆頭の四宮弁護士のレクチャーである。
裁判員制度から1年を経て、事前の「反対派の予測」を裏切り、実際に裁判員に選ばれた人たちは、「参加して良かった」という意見が大多数であり、裁判後に、裁判員の精神的トラブルが問題になるケースもなく、また、この制度が審理の短縮などにつながるというメリットを強調されるものであった。
パワーポイントやグラフを多用した解説は論旨明快でわかりやすく、また、四宮氏自身、3Dなどの高度なグラフィックも使用した資料による説明が裁判員に対して行われたことが語られる。
そして、この裁判員制度によって裁かれたのは601人。無罪0件(ごく最近3人)。
.......資料上は、驚きの有罪率100%である。(おい!)
なので、質疑応答では、かなりいろいろな質問が出た。
死刑を裁判員が決めることはどうなのか。
「そのリスクはプロの裁判官だけでも同じ。ただ死刑に関しては、もっと論議されるべきだろう」
「推定無罪」の原則に基づかないヒステリックなメディアの報道が裁判員に影響を与える可能性はないのか。
「米国で、メディアで激しく被告人が犯人と決めつけられてバッシングされても、版新評決で無罪になった例はある。必ずしも裁判員が、メディアに簡単に影響されるとは思わない」
...つまり、四宮氏は、性善説に立っておられるのである。
その意味では、彼の「日本人を信じ、その民間人の司法参加」の理想は美しいし、もちろん間違ってはいない。
ただし、よりによって第一部がアレですわ。
検察がいかにあの手この手で冤罪を作り出すか、みたいな話のあとなんである。
悪の秘密結社でもなんでもない、高い知性を持つ人たちの集団であるはずの検察が、暴走して拷問的手法によって冤罪を作り出す、という怖い話をこれでもかと聞かされたあとの性善説は、どうも分が悪い。
で、私も、例の「性犯罪被害者の人権問題」や「『キューバの5人』事件に極端な形で出てしまったような、『思想団体』や『暴力団』による裁判員への有形無形の圧力という事態に対抗できるのか」を質問させて頂く。
こうなると、やはり性善説からは、「そういう極端なことは起こらないことを信じる」という回答しか得られない。
いや、四宮氏がとてもいい人だというのはわかるんだけど、そもそも世の中がまっとうな常識人ばかりではないから犯罪は起こるわけなんで...。
ましてや「検察の取り調べが可視化されていない状態」で「検察がメディアにぼろぼろ虚偽リークし、それを御用マスコミが嬉々として報じる」状態での「迅速な裁判」は、世にも怖ろしい結果を引き起こしかねない、とさえ思う。
で、皆さん気にかかっていたと思う、有罪率100%の件。
これは、裁判員制度開始後、行われた裁判の圧倒的多数が、既に「容疑者も問題なく罪を認めていて、どっちにしたって有罪に決まっている、ややこしい問題のないケース」だったからだという。
をい、ちょっと待てよ。
だとしたら、裁判員の満足度が高いのも、心身のケアが必要になるケースがほとんどないのも当たり前じゃん。(と私は思った)
「3Dなども使用した資料による説明」というのも怖ろしい。
実際に米国ではそういう事例があるが、大金持ちの被告であるなら、広告代理店や心理学者を雇って、裁判員にアピールする「弁護側説明」を作れば、それだけ有利になるってことだからだ。
むろん、一般的には、組織でこれをやる検察側が圧倒的に有利になる。
ただし、四宮氏は、ごく最近無罪になった3件のケース(ただし、2件で検察が控訴)は、従来の裁判なら確実に有罪になったケースだということで、そのあたりに裁判員制度の価値があると。
それが事実なら、確かに裁判員制度は、日本の裁判を変える可能性はある。
ただ、そのケースの具体例がわからないので何ともいえないが。
しかし、そうなのだとしたら、裁判員制度の検証は、今やってもほとんど意味がないわけで、あともう1年経たなくては検証は無理ということになる。
それに、いずれにしても、問題点があるのは確かだし。
このあと、お誘いを受けて懇親会に。
ここで、すぐ横で、推進派筆頭四宮氏と反対派筆頭郷原氏との興味深い論戦が始まる。濃ゆっ。
むろん、観戦しつつ、ツッコミを入れる八木。私はもちろん反対派。べつにいい男の肩を持つとかじゃなくて。
四宮氏は「文化の違いを問題にするべきではない」というご意見。
確かに、何でもかんでも、「文化の違い」で片づけるのは危険である。しかし、文化人類学的・社会学的に見て、明らかに文化の違いは存在するわけで、それをまったく見ない方のも危険かと。
「あなたは日本人を信頼しないのですか?あなただって日本人ですよ」
そう言われると、ますます信頼できないなあ。
私はDNAは日本人だが、生涯の半分近くを日本以外で過ごし、日本以外の文化を体感している人間。だから、あえて日本の特殊性を言う。でかい声で。
たとえば、「自由」という概念を、多くの欧米人はごく普通に「闘って勝ち取るもの」と考える。
彼らが具象的にイメージする「自由」とは、「戦いの女神」である。
私だって、スペイン語で思考するとき、LIbertadとは槍を持った美しく理知的な女性の姿だ。
しかし、ふつうの日本人にはその概念はない。自由といえば、日本人の大半は別のことを考えるだろう。
少なくとも、闘って守るとか闘って勝ち取る、という意識を持つ人はほとんどいないはずだ。
日本の自由は、常に「一番強いものに与えられるもの」である。つまり、水戸黄門文化なのだ。
一方で、だからこそ、四宮氏の言いたいことがわかる部分もある。
「であるからこそ、市民の司法参加が必要である」
その理念自体はちっとも間違いではないからだ。
ただし、その裁判員制度も、これまた日本人の世論から湧き上がり、国民が闘いとったものではない。
「そもそも、なんで決まったんですか。まさかアメリカの圧力?」
「それはないですよ。財界などから声が上がったのですよ」
ほう。財界ですか。で、それだとすぐ決まるのですね。夫婦別姓なんて全然決まらないのに。
で、そこが、たぶん、根本的な問題であり、賛成派と反対派の話が噛みあわない理由なのだな。
だって、国民の大多数がそれを望み、選んだ制度でもなんでもないからだ。結局、水戸黄門的。そこがなんとも痛い。
イタリア料理と赤ワインで懇親会を終え、地下鉄に乗って家に帰りつく。
メールを読み、Twitterにアクセスすると、なんか異様な盛り上がりがあった。
日本語じゃなくて、スペイン語で。
キューバ人Twitter参加者からはじまって、スペイン語圏参加者たちの大フィーバー。
フィデル・カストロという文字が躍りまくっている。
フィデルが、国会で......演説??
反キューバ的な人たちまで話題にしている。
おおお。なんかすごそう。
と私も勢いに呑まれて、Cubavisionの生中継にアクセス。
......思えばすごい時代である。
だが、重い、異常に重い。
大したことないサーバに全世界からアクセスが集中している感じ。
.....ついに停まる。
なんでも、1時間の間で、Twitterで#Cubaというタグが200万回近く参照されたらしい。
いやーさすがだわ。私もなんか、肝心のシーンをリアルタイムで見損ねたのに、雰囲気で盛り上がってしまった。
で、翌日には、この10分演説の全文とビデオがYoutubeにアップロードされていたので、それを参照する。
フィデル・カストロは、全世界に、「オバマがイランと戦争を始めないように説得しよう」と呼びかけたのだ。とりわけ、この米国とイランの戦争が、核戦争を誘発する可能性があるがゆえに。
http://www.cubadebate.cu/fidel-castro-ruz/2010/08/07/message-to-the-national-assembly-read-by-comrade-fidel/(英語)
ひたすら、熱い男で始まり、熱い男で終わった、猛暑の濃ゆい一日であった。
そして、佐藤栄佐久氏の事件は、「知事抹殺」という書籍にもなっている。
国による原発プルサーマル計画や道州制に徹底して反対の立場を取って、国と対立してきた佐藤氏の疑獄事件。苛烈きわまりない取り調べに自殺者3人、自殺未遂者一人が出たという。
また、氏の妹さんも取調中に倒れたのに救急車も呼ばずに放置され、緊急入院したとか。
また、政治家としての後援会組織を徹底して潰したともいう。
結果として、氏は供述調書に署名した。裁判を信じて希望を託したわけだが、結果的には、贈賄額ゼロと裁判所自身が認定しながらも有罪判決となり、上告中である。
郷原氏は、先日の第三種郵便不正事件の村木厚子元厚生労働省局長の虚偽公文書作成・行使事件での無罪判決が、検察を追い込んでおり、この事件が、検察を変えるきっかけになるのではないかと語られるが、さて、どうだろう。
しかしこの方、けっこうな戦記
台湾沖航空戦なんてみんな知りませんて。でも、たいへん勉強になりました。ああ、世の中に勉強しなくちゃいけないことは多いなあ。
皮肉にもこの日、福島県はプルサーマル受け入れを表明している。
教訓:冤罪逮捕されたら、何が何でも否認を貫くことだ。いったん供述調書に署名したら、裁判でいかに被告有利な証拠や証言が出てこようと、そして、検察が証拠を挙げることができなくても、それでも有罪にされてしまう可能性が高い。
で、第二部が、「我が国で『裁判員制度』が運用されて」
推進派筆頭の四宮弁護士のレクチャーである。
裁判員制度から1年を経て、事前の「反対派の予測」を裏切り、実際に裁判員に選ばれた人たちは、「参加して良かった」という意見が大多数であり、裁判後に、裁判員の精神的トラブルが問題になるケースもなく、また、この制度が審理の短縮などにつながるというメリットを強調されるものであった。
パワーポイントやグラフを多用した解説は論旨明快でわかりやすく、また、四宮氏自身、3Dなどの高度なグラフィックも使用した資料による説明が裁判員に対して行われたことが語られる。
そして、この裁判員制度によって裁かれたのは601人。無罪0件(ごく最近3人)。
.......資料上は、驚きの有罪率100%である。(おい!)
なので、質疑応答では、かなりいろいろな質問が出た。
死刑を裁判員が決めることはどうなのか。
「そのリスクはプロの裁判官だけでも同じ。ただ死刑に関しては、もっと論議されるべきだろう」
「推定無罪」の原則に基づかないヒステリックなメディアの報道が裁判員に影響を与える可能性はないのか。
「米国で、メディアで激しく被告人が犯人と決めつけられてバッシングされても、版新評決で無罪になった例はある。必ずしも裁判員が、メディアに簡単に影響されるとは思わない」
...つまり、四宮氏は、性善説に立っておられるのである。
その意味では、彼の「日本人を信じ、その民間人の司法参加」の理想は美しいし、もちろん間違ってはいない。
ただし、よりによって第一部がアレですわ。
検察がいかにあの手この手で冤罪を作り出すか、みたいな話のあとなんである。
悪の秘密結社でもなんでもない、高い知性を持つ人たちの集団であるはずの検察が、暴走して拷問的手法によって冤罪を作り出す、という怖い話をこれでもかと聞かされたあとの性善説は、どうも分が悪い。
で、私も、例の「性犯罪被害者の人権問題」や「『キューバの5人』事件に極端な形で出てしまったような、『思想団体』や『暴力団』による裁判員への有形無形の圧力という事態に対抗できるのか」を質問させて頂く。
こうなると、やはり性善説からは、「そういう極端なことは起こらないことを信じる」という回答しか得られない。
いや、四宮氏がとてもいい人だというのはわかるんだけど、そもそも世の中がまっとうな常識人ばかりではないから犯罪は起こるわけなんで...。
ましてや「検察の取り調べが可視化されていない状態」で「検察がメディアにぼろぼろ虚偽リークし、それを御用マスコミが嬉々として報じる」状態での「迅速な裁判」は、世にも怖ろしい結果を引き起こしかねない、とさえ思う。
で、皆さん気にかかっていたと思う、有罪率100%の件。
これは、裁判員制度開始後、行われた裁判の圧倒的多数が、既に「容疑者も問題なく罪を認めていて、どっちにしたって有罪に決まっている、ややこしい問題のないケース」だったからだという。
をい、ちょっと待てよ。
だとしたら、裁判員の満足度が高いのも、心身のケアが必要になるケースがほとんどないのも当たり前じゃん。(と私は思った)
「3Dなども使用した資料による説明」というのも怖ろしい。
実際に米国ではそういう事例があるが、大金持ちの被告であるなら、広告代理店や心理学者を雇って、裁判員にアピールする「弁護側説明」を作れば、それだけ有利になるってことだからだ。
むろん、一般的には、組織でこれをやる検察側が圧倒的に有利になる。
ただし、四宮氏は、ごく最近無罪になった3件のケース(ただし、2件で検察が控訴)は、従来の裁判なら確実に有罪になったケースだということで、そのあたりに裁判員制度の価値があると。
それが事実なら、確かに裁判員制度は、日本の裁判を変える可能性はある。
ただ、そのケースの具体例がわからないので何ともいえないが。
しかし、そうなのだとしたら、裁判員制度の検証は、今やってもほとんど意味がないわけで、あともう1年経たなくては検証は無理ということになる。
それに、いずれにしても、問題点があるのは確かだし。
このあと、お誘いを受けて懇親会に。
ここで、すぐ横で、推進派筆頭四宮氏と反対派筆頭郷原氏との興味深い論戦が始まる。濃ゆっ。
むろん、観戦しつつ、ツッコミを入れる八木。私はもちろん反対派。べつにいい男の肩を持つとかじゃなくて。
四宮氏は「文化の違いを問題にするべきではない」というご意見。
確かに、何でもかんでも、「文化の違い」で片づけるのは危険である。しかし、文化人類学的・社会学的に見て、明らかに文化の違いは存在するわけで、それをまったく見ない方のも危険かと。
「あなたは日本人を信頼しないのですか?あなただって日本人ですよ」
そう言われると、ますます信頼できないなあ。
私はDNAは日本人だが、生涯の半分近くを日本以外で過ごし、日本以外の文化を体感している人間。だから、あえて日本の特殊性を言う。でかい声で。
たとえば、「自由」という概念を、多くの欧米人はごく普通に「闘って勝ち取るもの」と考える。
彼らが具象的にイメージする「自由」とは、「戦いの女神」である。
私だって、スペイン語で思考するとき、LIbertadとは槍を持った美しく理知的な女性の姿だ。
しかし、ふつうの日本人にはその概念はない。自由といえば、日本人の大半は別のことを考えるだろう。
少なくとも、闘って守るとか闘って勝ち取る、という意識を持つ人はほとんどいないはずだ。
日本の自由は、常に「一番強いものに与えられるもの」である。つまり、水戸黄門文化なのだ。
一方で、だからこそ、四宮氏の言いたいことがわかる部分もある。
「であるからこそ、市民の司法参加が必要である」
その理念自体はちっとも間違いではないからだ。
ただし、その裁判員制度も、これまた日本人の世論から湧き上がり、国民が闘いとったものではない。
「そもそも、なんで決まったんですか。まさかアメリカの圧力?」
「それはないですよ。財界などから声が上がったのですよ」
ほう。財界ですか。で、それだとすぐ決まるのですね。夫婦別姓なんて全然決まらないのに。
で、そこが、たぶん、根本的な問題であり、賛成派と反対派の話が噛みあわない理由なのだな。
だって、国民の大多数がそれを望み、選んだ制度でもなんでもないからだ。結局、水戸黄門的。そこがなんとも痛い。
イタリア料理と赤ワインで懇親会を終え、地下鉄に乗って家に帰りつく。
メールを読み、Twitterにアクセスすると、なんか異様な盛り上がりがあった。
日本語じゃなくて、スペイン語で。
キューバ人Twitter参加者からはじまって、スペイン語圏参加者たちの大フィーバー。
フィデル・カストロという文字が躍りまくっている。
フィデルが、国会で......演説??
反キューバ的な人たちまで話題にしている。
おおお。なんかすごそう。
と私も勢いに呑まれて、Cubavisionの生中継にアクセス。
......思えばすごい時代である。
だが、重い、異常に重い。
大したことないサーバに全世界からアクセスが集中している感じ。
.....ついに停まる。
なんでも、1時間の間で、Twitterで#Cubaというタグが200万回近く参照されたらしい。
いやーさすがだわ。私もなんか、肝心のシーンをリアルタイムで見損ねたのに、雰囲気で盛り上がってしまった。
で、翌日には、この10分演説の全文とビデオがYoutubeにアップロードされていたので、それを参照する。
フィデル・カストロは、全世界に、「オバマがイランと戦争を始めないように説得しよう」と呼びかけたのだ。とりわけ、この米国とイランの戦争が、核戦争を誘発する可能性があるがゆえに。
http://www.cubadebate.cu/fidel-castro-ruz/2010/08/07/message-to-the-national-assembly-read-by-comrade-fidel/(英語)
ひたすら、熱い男で始まり、熱い男で終わった、猛暑の濃ゆい一日であった。