PANDORA REPORT 南極~チリ震災編・その23
約束の時間、ブルーノは、食堂「セブン・コンチネンツ・レストラン」の前で待っていた。
「神経質すぎるかもしれないが、戒厳令という言葉は嫌いでね」と、ブルーノ。
それは、そうでしょう。
「それで、君に贈りたいものがある、私が持っていても仕方ないから」
ブルーノは脇に抱えていた封筒を取り出した。
「私の想い出に。なにより、これを持って、戒厳令の中を突っ切りたくないんだ」
「いまのチリは平和よ」
「軍隊には、まだいろんなやつがいる」
私は封筒を開けて、息を飲んだ。
「これを......受け取るわけにはいかないわ」
「いいかね」
ブルーノの目がまた厳しくなった。
「これは、誰かが持つべきものだ。あの記憶を語り継ぐためにね。そして、私はかつてビクトルに命を助けられた」
「でも、私はビクトルの縁者でもなんでもない。ただ、本を書いただけ」
「しかし、それ以上にいろいろなことを知っている」
「本に書けるのは、知っていることの一部だけだから」
「では訊くけど、なぜ、90年代になって、本を書いたの?」
「その理由なら、あなたは気付いているくせに」
「たぶんね。それは、誰かを護るためだ。別の誰かを」
彼はやっぱり、気付いていた。
あの『禁じられた歌』という本を私が書いた、その理由を。
本を読んですらいないのに。ただ内容を少し説明しただけで。
「その別の誰かのことを、個人的に知っているのね?」
「ああ、私は彼を知っているよ......あの時代、何度か私たちの会合に顔を出していた」
ああ、やっぱりね。まあ、そんなことだろうとは思っていたけど。
「でも、もういまは時代が違うわ。あのときほどの危険はもう彼にはない。これからもね。だから、もう私がお節介を焼く必要だってないのよ」
「けれど、あなたの本質が変わるわけではない」
私は眉をひそめた。
「私の本質?」
ブルーノは応じる。
「私は、かつて、この身を盾にして護らなくてはならないものがあることを知っていた。あなたも同じ種類の人間だ。そして、私はもう年だけれど、あなたにはこれからも、護るべきものが出てくるだろう」
その目の光に私はたじろいだ。
「私はそんなに立派な人間じゃないし、だいたい、いまの私に何を護れと言うの? それに、やっぱりこんな貴重なものを受け取れないわ」
ブルーノは微笑んだ。
「では、預かってくれ。値打ちがわかる人が預かっていてくれた方がいい。私たちが、同じ道にいる限り、きっとまた会うことがあるだろうから」
それは、偶然だけれど、昔、ある国で会った、ある人と同じ科白だった。
「私たちが同じ道にいる限り、世界のどこかで、きっとまた会うことがあるでしょう」
あの内戦の国の、灼熱の難民キャンプで。

けれど、その人とは二度と会っていない。私が歩く道を変えたからだ。
私は、手の中のものを見つめた。
GAP.....Grupo de amigos Personales。
あの時代、大統領の盾となった若者たちの身分証明。
......それで、この私に、いったい誰の盾になれと?
翌日、バルパライソの港沖には、港に入ることのできないいくつもの船が所在なげに漂っていた。
死者700人被災者数百万を超えているチリの都市には戒厳令が敷かれ、その中をブルーノとチリラテンアメリカ人学生たちがボートで下船していく。
震源地に実家があるというマヌエルは、幸いにも、両親の無事こそ確認されたが、家は全壊に近い状態になったという。
彼は南に向かう。そしてブルーノも。
サンティアゴから被災地までの200キロ。道路交通網も寸断されている中を南下する彼らと、私たちは、抱き合って別れを惜しみ、見送った。
一方、結果的に、どの援助団体より早く被災地に到着する形になったピースボートの船では、予備の毛布やシーツなどを提供するほか、乗客の募金や被災地で要望のあったコート類のカンパが行われていた。
給油を終え、美しすぎる夕暮れが静かに夜に変わっていく中、船はゆっくりチリの港を離れる。
「チリ地震の犠牲者に黙祷を捧げます」

ピースボートスタッフの声に、デッキに集まった乗客は、動き始めた船の中で黙祷を捧げた。
黙祷に続いて流れたのが、阪神大震災を契機に生まれたソウルフラワーの「満月の夕」。
配られていた歌詞カードに合わせて、乗客の合唱の声が広がった。
そして、まるで申し合わせたように、歌が終わったあと、たくさんのカモメの群れが船を通りすぎ、若い人たちの歓声が上がる。
私は、誰知らず、赤い布を握りしめていた。
......それで、この私に、何を護れと?
「神経質すぎるかもしれないが、戒厳令という言葉は嫌いでね」と、ブルーノ。
それは、そうでしょう。
「それで、君に贈りたいものがある、私が持っていても仕方ないから」
ブルーノは脇に抱えていた封筒を取り出した。
「私の想い出に。なにより、これを持って、戒厳令の中を突っ切りたくないんだ」
「いまのチリは平和よ」
「軍隊には、まだいろんなやつがいる」
私は封筒を開けて、息を飲んだ。
「これを......受け取るわけにはいかないわ」
「いいかね」
ブルーノの目がまた厳しくなった。
「これは、誰かが持つべきものだ。あの記憶を語り継ぐためにね。そして、私はかつてビクトルに命を助けられた」
「でも、私はビクトルの縁者でもなんでもない。ただ、本を書いただけ」
「しかし、それ以上にいろいろなことを知っている」
「本に書けるのは、知っていることの一部だけだから」
「では訊くけど、なぜ、90年代になって、本を書いたの?」
「その理由なら、あなたは気付いているくせに」
「たぶんね。それは、誰かを護るためだ。別の誰かを」
彼はやっぱり、気付いていた。
あの『禁じられた歌』という本を私が書いた、その理由を。
本を読んですらいないのに。ただ内容を少し説明しただけで。
「その別の誰かのことを、個人的に知っているのね?」
「ああ、私は彼を知っているよ......あの時代、何度か私たちの会合に顔を出していた」
ああ、やっぱりね。まあ、そんなことだろうとは思っていたけど。
「でも、もういまは時代が違うわ。あのときほどの危険はもう彼にはない。これからもね。だから、もう私がお節介を焼く必要だってないのよ」
「けれど、あなたの本質が変わるわけではない」
私は眉をひそめた。
「私の本質?」
ブルーノは応じる。
「私は、かつて、この身を盾にして護らなくてはならないものがあることを知っていた。あなたも同じ種類の人間だ。そして、私はもう年だけれど、あなたにはこれからも、護るべきものが出てくるだろう」
その目の光に私はたじろいだ。
「私はそんなに立派な人間じゃないし、だいたい、いまの私に何を護れと言うの? それに、やっぱりこんな貴重なものを受け取れないわ」
ブルーノは微笑んだ。
「では、預かってくれ。値打ちがわかる人が預かっていてくれた方がいい。私たちが、同じ道にいる限り、きっとまた会うことがあるだろうから」
それは、偶然だけれど、昔、ある国で会った、ある人と同じ科白だった。
「私たちが同じ道にいる限り、世界のどこかで、きっとまた会うことがあるでしょう」
あの内戦の国の、灼熱の難民キャンプで。

けれど、その人とは二度と会っていない。私が歩く道を変えたからだ。
私は、手の中のものを見つめた。
GAP.....Grupo de amigos Personales。
あの時代、大統領の盾となった若者たちの身分証明。
......それで、この私に、いったい誰の盾になれと?
翌日、バルパライソの港沖には、港に入ることのできないいくつもの船が所在なげに漂っていた。
死者700人被災者数百万を超えているチリの都市には戒厳令が敷かれ、その中をブルーノとチリラテンアメリカ人学生たちがボートで下船していく。
震源地に実家があるというマヌエルは、幸いにも、両親の無事こそ確認されたが、家は全壊に近い状態になったという。
彼は南に向かう。そしてブルーノも。
サンティアゴから被災地までの200キロ。道路交通網も寸断されている中を南下する彼らと、私たちは、抱き合って別れを惜しみ、見送った。
一方、結果的に、どの援助団体より早く被災地に到着する形になったピースボートの船では、予備の毛布やシーツなどを提供するほか、乗客の募金や被災地で要望のあったコート類のカンパが行われていた。
給油を終え、美しすぎる夕暮れが静かに夜に変わっていく中、船はゆっくりチリの港を離れる。
「チリ地震の犠牲者に黙祷を捧げます」

ピースボートスタッフの声に、デッキに集まった乗客は、動き始めた船の中で黙祷を捧げた。
黙祷に続いて流れたのが、阪神大震災を契機に生まれたソウルフラワーの「満月の夕」。
配られていた歌詞カードに合わせて、乗客の合唱の声が広がった。
そして、まるで申し合わせたように、歌が終わったあと、たくさんのカモメの群れが船を通りすぎ、若い人たちの歓声が上がる。
私は、誰知らず、赤い布を握りしめていた。
......それで、この私に、何を護れと?