ひさしぶりの外出で、北斎
コロナ禍で、きわめてストレスがたまっている八木です。
一年以上日本に釘付けで、しかも半年以上歌うこともできないというのは........なんといいますか、数十年(爆)なかったことでして、こんな時代が来るなんていったい誰に想像できたでしょうか。
もちろん、新型コロナ Covid-19 がただの風邪などではないのは明らかで、去年の日本が『ファクターX』とやらで、あまり死者が出ていなかったとはいえ、メキシコの私の友人知人にはもう何人も犠牲者が出ています。
日本でも、死者が13000人を軽く超え、これからさらに変異株が猛威を振るいそうというその中で、オリンピックを強行開催しようとするようなディストピアがまさか21世紀に出現するとは、これまた、やはりいったい誰に想像できたでしょうか。
もちろん、7万人とか9万人ともいわれる方々が大挙して日本にやってくるというのも「ふざけんな」レベルのリスク要因ですが、それ以上に、1万5千人を擁するであろう選手村から一人の感染者も出ない、という確率ってあり得ないほど低いと思うのですが、そういう場合、どうするんでしょうね。やっぱり熱が出ても4日は選手村待機なんでしょうか。選手村クラスター発生を想定しないでのコロナ下のオリンピック開催って、なんかもう異世界ファンタジーのようです。
と、目眩がしそうなことが続く中での緊急事態宣言延長とはいえ、一部緩和したので、ひさしぶりの外出です。
去年、岡田美術館の北斎の肉筆画展を見てから気になっていた、映画「HOKUSAI」と、江戸東京博物館での北斎・広重展です。
映画「HOKUSAI」は、それなりによくできた映画、という感想。(あくまで個人の感想です)
若き日の北斎を演じる柳楽優弥がとにかく美しい。(ので、彼が推しだという方は、それだけでも10回ぐらい見に行くと思います)
そして、阿部寛演じる蔦屋のキャラが立っている。
歌麿を演じる玉木宏、晩年の北斎を演じる田中泯もそれぞれに非常に魅力的。
「隠れた才能のある孤高の青年が艱難辛苦の末にたどり着いた道....」的なストーリーが好きな人なら、感動すると思います。そういう意味では、よくできています。
史実とはまったくかけ離れてるけど。
惜しむらくは、前半の登場人物たちがキャラ立ちしていたのと比較して、後半もっともドラマチックなエピソード(これも史実ではありません)の主となる柳亭種彦の存在感が弱いとか、田中泯は好きだけど、舞踏みたいなシーンはこの映画には不要じゃないのかとか、江戸っぽさ・レトロ感を出したかったのかもしれないけど、全体に、色合いがくすみすぎだろうとか。題材、画家とその絵(正確には浮世絵だけど)なのに。
要するに、「フィクションとしては、ちゃんとお金もかけているし、よくできている」と思います。
ただ、この脚本家は、あまり北斎の作品をじっくりご覧になったことがないのかもしれない。
確かに北斎と言えば、酒や美食や女に興味ないとか、名をなしたあともボロを着てたとか、その手のエピソードには事欠かないですが、それはストイックに求道的だったからではなく、単に、そういうものに興味がなかっただけで、キャラとしては、どう考えても「アマデウス」ではないかと。
年を取っても巧く描けないと愚痴ってたという有名なエピソードもありますが、それとて、見ているところが「他人の評価」ではないからで。
そういう引っかかりを胸に、江戸東京博物館に。
6月20日までの特別展「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」です。
富嶽三十六景を改めて拝見いたします。
富嶽三十六景というと、大波(神奈川沖浪裏)や赤富士(凱風快晴)ばかりがよく取り上げられます。
もちろん、これは風景メインのシリーズなのですが、ただ、この富嶽三十六景に、北斎はたくさんの人間も描き込んでいます。
豆粒のように小さく、でも、その一人一人は驚くほどちゃんと生きています。単に「配置」として駒のように置かれている人間など一人もいない。江戸日本橋の人混みの中に描かれている群衆まで、一人一人が息をしていて、多分それぞれにドラマがあってと思わせるほど、北斎は人を描いています。
そして、その北斎の描くものには、ことごとく動きがあります。波はもちろん、人にも馬にも。
ポーズを取った静止画ではなく、動きの一瞬を切り取った、むしろスポーツ写真家のような視線です。
並外れた動体視力と、細部まで見極め把握できる緻密な視覚記憶力、そしてイカした構図力。それが、北斎です。
なにより、絵を描くこと自体が好きで好きで仕方がない。楽しくて楽しくて仕方がない。
そういう人でなければ、あんな絵を、しかも大量に描けるものではない。
とはいえ、そういうキャラだと、映画にはしにくいでしょうけどね。(下手するとのだめカンタービレになっちゃいますからね。)
で、ずいぶん久しぶりに両国に行ったついでに、開いているかなと、ORI CAFEに。
白馬さんという高級カメラバッグの会社が、社長さんの趣味丸出しでやっているお店です。なぜ、オリカフェかというと、ジャガード織りで富嶽三十六景を再現したものを飾っているギャラリーカフェだから。
そのあと、浅草で晩ご飯を食べて帰りましたが、ふだんは簡単には入れないレベルのお店が、他のお客なし。
これでは、本当に飲食店は辛いだろうなと思いつつ、(いや、私だってほぼ失業状態なんで、人の心配してる場合でもないんですが)、久しぶりの外出を終えた次第です。
美術館や映画館に足を踏み入れたのが、本当に久しぶり....ということ自体も、私にとっては、稀なる事態でありました。
一年以上日本に釘付けで、しかも半年以上歌うこともできないというのは........なんといいますか、数十年(爆)なかったことでして、こんな時代が来るなんていったい誰に想像できたでしょうか。
もちろん、新型コロナ Covid-19 がただの風邪などではないのは明らかで、去年の日本が『ファクターX』とやらで、あまり死者が出ていなかったとはいえ、メキシコの私の友人知人にはもう何人も犠牲者が出ています。
日本でも、死者が13000人を軽く超え、これからさらに変異株が猛威を振るいそうというその中で、オリンピックを強行開催しようとするようなディストピアがまさか21世紀に出現するとは、これまた、やはりいったい誰に想像できたでしょうか。
もちろん、7万人とか9万人ともいわれる方々が大挙して日本にやってくるというのも「ふざけんな」レベルのリスク要因ですが、それ以上に、1万5千人を擁するであろう選手村から一人の感染者も出ない、という確率ってあり得ないほど低いと思うのですが、そういう場合、どうするんでしょうね。やっぱり熱が出ても4日は選手村待機なんでしょうか。選手村クラスター発生を想定しないでのコロナ下のオリンピック開催って、なんかもう異世界ファンタジーのようです。
と、目眩がしそうなことが続く中での緊急事態宣言延長とはいえ、一部緩和したので、ひさしぶりの外出です。
去年、岡田美術館の北斎の肉筆画展を見てから気になっていた、映画「HOKUSAI」と、江戸東京博物館での北斎・広重展です。
映画「HOKUSAI」は、それなりによくできた映画、という感想。(あくまで個人の感想です)
若き日の北斎を演じる柳楽優弥がとにかく美しい。(ので、彼が推しだという方は、それだけでも10回ぐらい見に行くと思います)
そして、阿部寛演じる蔦屋のキャラが立っている。
歌麿を演じる玉木宏、晩年の北斎を演じる田中泯もそれぞれに非常に魅力的。
「隠れた才能のある孤高の青年が艱難辛苦の末にたどり着いた道....」的なストーリーが好きな人なら、感動すると思います。そういう意味では、よくできています。
史実とはまったくかけ離れてるけど。
惜しむらくは、前半の登場人物たちがキャラ立ちしていたのと比較して、後半もっともドラマチックなエピソード(これも史実ではありません)の主となる柳亭種彦の存在感が弱いとか、田中泯は好きだけど、舞踏みたいなシーンはこの映画には不要じゃないのかとか、江戸っぽさ・レトロ感を出したかったのかもしれないけど、全体に、色合いがくすみすぎだろうとか。題材、画家とその絵(正確には浮世絵だけど)なのに。
要するに、「フィクションとしては、ちゃんとお金もかけているし、よくできている」と思います。
ただ、この脚本家は、あまり北斎の作品をじっくりご覧になったことがないのかもしれない。
確かに北斎と言えば、酒や美食や女に興味ないとか、名をなしたあともボロを着てたとか、その手のエピソードには事欠かないですが、それはストイックに求道的だったからではなく、単に、そういうものに興味がなかっただけで、キャラとしては、どう考えても「アマデウス」ではないかと。
年を取っても巧く描けないと愚痴ってたという有名なエピソードもありますが、それとて、見ているところが「他人の評価」ではないからで。
そういう引っかかりを胸に、江戸東京博物館に。
6月20日までの特別展「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」です。
富嶽三十六景を改めて拝見いたします。
富嶽三十六景というと、大波(神奈川沖浪裏)や赤富士(凱風快晴)ばかりがよく取り上げられます。
もちろん、これは風景メインのシリーズなのですが、ただ、この富嶽三十六景に、北斎はたくさんの人間も描き込んでいます。
豆粒のように小さく、でも、その一人一人は驚くほどちゃんと生きています。単に「配置」として駒のように置かれている人間など一人もいない。江戸日本橋の人混みの中に描かれている群衆まで、一人一人が息をしていて、多分それぞれにドラマがあってと思わせるほど、北斎は人を描いています。
そして、その北斎の描くものには、ことごとく動きがあります。波はもちろん、人にも馬にも。
ポーズを取った静止画ではなく、動きの一瞬を切り取った、むしろスポーツ写真家のような視線です。
並外れた動体視力と、細部まで見極め把握できる緻密な視覚記憶力、そしてイカした構図力。それが、北斎です。
なにより、絵を描くこと自体が好きで好きで仕方がない。楽しくて楽しくて仕方がない。
そういう人でなければ、あんな絵を、しかも大量に描けるものではない。
とはいえ、そういうキャラだと、映画にはしにくいでしょうけどね。(下手するとのだめカンタービレになっちゃいますからね。)
で、ずいぶん久しぶりに両国に行ったついでに、開いているかなと、ORI CAFEに。
白馬さんという高級カメラバッグの会社が、社長さんの趣味丸出しでやっているお店です。なぜ、オリカフェかというと、ジャガード織りで富嶽三十六景を再現したものを飾っているギャラリーカフェだから。
そのあと、浅草で晩ご飯を食べて帰りましたが、ふだんは簡単には入れないレベルのお店が、他のお客なし。
これでは、本当に飲食店は辛いだろうなと思いつつ、(いや、私だってほぼ失業状態なんで、人の心配してる場合でもないんですが)、久しぶりの外出を終えた次第です。
美術館や映画館に足を踏み入れたのが、本当に久しぶり....ということ自体も、私にとっては、稀なる事態でありました。
アートの異種格闘技
三菱一号館の「カンディンスキーと青騎士展」を見に行った。
あの幾何学的なカンディンスキーの作風に至る以前の、若き日のカンディンスキーの作品展で、ドイツのレンバッハハウス美術館所蔵のものが、この美術館改築で閉館中のタイミングで、一気に日本に持ってきたという内容。
法律家から画家に転身という異色の経歴を持つカンディンスキーは、ミュンヘンの美術学校に入学。その後、美術教師になるが、そこで生徒として知り合って恋仲になったガブリエレ・ミュンターとヨーロッパに恋の逃避行に出る。
やがて、二人はミュンヘン近郊のムルナウの待ちに居を構え、仲間たちもそこに合流。
このムルナウに集った作家たちのから「青騎士」と名乗るグループが生まれる。
大胆で攻撃的で鮮やかな、このアーティスト軍団が、しかし第一次大戦の中で、仲間のマルケ、マッケが戦死し、また、カンディンスキー自身ナチスに追われ、グループが離散するまでの作品集だ。
カンディンスキーが熱愛した女子学生ミュンターは、いつもどこかしら悲しげに見える肖像は、この彼女の憂いこそを、カンディンスキーは愛したのだと伺わせる。そして、その悲しげな笑みをたたえたミュンターは、カンディンスキーとの関係が破綻したあとも、彼の若き日の作品を守り続けたのだ。
とりわけ、ムルナウで描かれた一連の作品集が素晴らしい。息を飲むような大胆に単純化された構図、鮮烈な色彩は、やがて、聴覚、とりわけ音楽を絵画化した「印象(Impression)」シリーズ、「即興(Improvisation)」シリーズ、さらに「構成(Composition)」シリーズに連なってゆく
このカンディンスキーの作品展の時代は、1896年から1913年頃、明治後半にぴったり重なる。会場が、まさにその時代の建築である三菱一号館というのもとてもいい風情だ。
抽象の好きな方は必見。

その一方で、異ジャンルのコラボレーションという展でとても面白い作品展もご紹介。
ひとつは、所用で立ち寄った下北沢で、ふと目に入り入ってみたクラフト展。
8人の作家による、陶器や彫金、ガラス、漆器などが並んでいる。どれも技術が高い。デザイン学校の講師陣のグループ展で、今回が初めてだという。
ただ、初めてのグループ展に発見があったと。
同じ学校で教えているがジャンルの違う講師たちに新たな交流が生まれたのだという。たとえば漆器と陶器、ガラスと彫金。そのそれぞれの技術と経験を生かしつつ、次回の作品展では、共同の何かを作れそうだ、と。
異種のクラフトの混合であるなら、たとえば坂田甚内氏の陶器と漆器とガラスの作品などを見たことがあるが、これはあくまで陶芸家が、他種工芸を取り入れたもの。
そうではなくて、異種のクラフトの工芸作家が対等の関係で何かをコラボレーションで作り出せたら、これはとても面白い。ぜひぜひ次回に期待。(本展自体は残念ながら、11月28日まで)
と思っていたら、銀座アトリエスズキでちょうどそんな作品展があったでないか。
「小島 秀子『dots weaving』染織展」

作家の小島秀子さんは、高度な技術をもつベテラン染織&織物作家でいらっしゃるのだが、今回は「ドット=水玉」がテーマ。で、これが仰天するほどすごいのだ。
織物の柄が多種多様なドット模様のバリエーションである、というところまでは、まあ想定内。むろん、その織物はとても素敵で、そりゃもう思わず着物が欲しくなるぐらい。(って、八木が気安く買えるお値段じゃないんですが)
しかし、それだけではない。ドット模様のテーブル。ドット模様の布小品、ドット模様のお皿にドット模様のカップ。ドット状の手縫いコースターに、さらにドット模様のお皿の水玉に完璧に会わせたドット嬢の和菓子。
かといって、そこまで細部にまで凝っていても、神経症的・脅迫観念的な印象はぜんぜんなくて、小島さんの作品展でありつつ、木工作家や陶芸家や懐石料理家の方たちとの素敵なコラボレーションに、感嘆しつつもニヤリと微笑みがこぼれ、とても温かくて前向きな気持ちになれるのはやっぱり小島秀子さんの人柄なのかもしれない。銀座にお立ち寄りの際は、ぜひお勧め。
ちなみに、ご本人、この日はドット風の大きなボタンのついたスカートにドットを思わせる石の指輪。(これは偶然だそうです)。12月4日まで。
ところで、この日記、音楽やアートネタとラテンネタ、さらにえぐめの政治ネタが気色の悪いコラボを見せております。それは八木がこーゆー人間だからですので、悪しからず。

あの幾何学的なカンディンスキーの作風に至る以前の、若き日のカンディンスキーの作品展で、ドイツのレンバッハハウス美術館所蔵のものが、この美術館改築で閉館中のタイミングで、一気に日本に持ってきたという内容。
法律家から画家に転身という異色の経歴を持つカンディンスキーは、ミュンヘンの美術学校に入学。その後、美術教師になるが、そこで生徒として知り合って恋仲になったガブリエレ・ミュンターとヨーロッパに恋の逃避行に出る。
やがて、二人はミュンヘン近郊のムルナウの待ちに居を構え、仲間たちもそこに合流。
このムルナウに集った作家たちのから「青騎士」と名乗るグループが生まれる。
大胆で攻撃的で鮮やかな、このアーティスト軍団が、しかし第一次大戦の中で、仲間のマルケ、マッケが戦死し、また、カンディンスキー自身ナチスに追われ、グループが離散するまでの作品集だ。
カンディンスキーが熱愛した女子学生ミュンターは、いつもどこかしら悲しげに見える肖像は、この彼女の憂いこそを、カンディンスキーは愛したのだと伺わせる。そして、その悲しげな笑みをたたえたミュンターは、カンディンスキーとの関係が破綻したあとも、彼の若き日の作品を守り続けたのだ。
とりわけ、ムルナウで描かれた一連の作品集が素晴らしい。息を飲むような大胆に単純化された構図、鮮烈な色彩は、やがて、聴覚、とりわけ音楽を絵画化した「印象(Impression)」シリーズ、「即興(Improvisation)」シリーズ、さらに「構成(Composition)」シリーズに連なってゆく
このカンディンスキーの作品展の時代は、1896年から1913年頃、明治後半にぴったり重なる。会場が、まさにその時代の建築である三菱一号館というのもとてもいい風情だ。
抽象の好きな方は必見。

その一方で、異ジャンルのコラボレーションという展でとても面白い作品展もご紹介。
ひとつは、所用で立ち寄った下北沢で、ふと目に入り入ってみたクラフト展。
8人の作家による、陶器や彫金、ガラス、漆器などが並んでいる。どれも技術が高い。デザイン学校の講師陣のグループ展で、今回が初めてだという。
ただ、初めてのグループ展に発見があったと。
同じ学校で教えているがジャンルの違う講師たちに新たな交流が生まれたのだという。たとえば漆器と陶器、ガラスと彫金。そのそれぞれの技術と経験を生かしつつ、次回の作品展では、共同の何かを作れそうだ、と。
異種のクラフトの混合であるなら、たとえば坂田甚内氏の陶器と漆器とガラスの作品などを見たことがあるが、これはあくまで陶芸家が、他種工芸を取り入れたもの。
そうではなくて、異種のクラフトの工芸作家が対等の関係で何かをコラボレーションで作り出せたら、これはとても面白い。ぜひぜひ次回に期待。(本展自体は残念ながら、11月28日まで)
と思っていたら、銀座アトリエスズキでちょうどそんな作品展があったでないか。
「小島 秀子『dots weaving』染織展」

作家の小島秀子さんは、高度な技術をもつベテラン染織&織物作家でいらっしゃるのだが、今回は「ドット=水玉」がテーマ。で、これが仰天するほどすごいのだ。
織物の柄が多種多様なドット模様のバリエーションである、というところまでは、まあ想定内。むろん、その織物はとても素敵で、そりゃもう思わず着物が欲しくなるぐらい。(って、八木が気安く買えるお値段じゃないんですが)
しかし、それだけではない。ドット模様のテーブル。ドット模様の布小品、ドット模様のお皿にドット模様のカップ。ドット状の手縫いコースターに、さらにドット模様のお皿の水玉に完璧に会わせたドット嬢の和菓子。
かといって、そこまで細部にまで凝っていても、神経症的・脅迫観念的な印象はぜんぜんなくて、小島さんの作品展でありつつ、木工作家や陶芸家や懐石料理家の方たちとの素敵なコラボレーションに、感嘆しつつもニヤリと微笑みがこぼれ、とても温かくて前向きな気持ちになれるのはやっぱり小島秀子さんの人柄なのかもしれない。銀座にお立ち寄りの際は、ぜひお勧め。
ちなみに、ご本人、この日はドット風の大きなボタンのついたスカートにドットを思わせる石の指輪。(これは偶然だそうです)。12月4日まで。
ところで、この日記、音楽やアートネタとラテンネタ、さらにえぐめの政治ネタが気色の悪いコラボを見せております。それは八木がこーゆー人間だからですので、悪しからず。
時代が動くとき:デューラー・写楽・尖閣ビデオに共通するもの
さて、ひさびさにアート話題。
最近見た美術展の中で、出色だったのが、国立西洋美術館のアルブレヒト・デューラー版画・素描展だった。
デューラーは15世紀から16世紀のドイツ・ルネサンス期の版画家で、非常に正確なデッサンに基づく緻密精細な宗教版画などで知られている。とはいっても、日本での認知度はそれほど高くはない。
この国立西洋美術館の作品展、意外だったのだが、大半がメルボルン国立ヴィクトリア美術館のコレクションからなっている。オーストラリア、大したものだ。
おかげで、私は、一気に、150点以上のデューラーをまとめて鑑賞することができたわけだ。
まず、第一印象は、数学的ともいえるほどに、その作品が精緻であること。技術は素晴らしく高く、とにかく「完璧」な感じ。これが、ドイツ・ルネサンス芸術か。
しかし、ずっと見ていくと、別の、実はもっと別のことに気づく。
デューラーは、いわゆる早熟の天才タイプで、15歳ぐらいですでに才能を見せ、20代半ばには画家としての名声を確立していた。
にもかかわらず、彼は、絵画ではなく、あえて、より手間のかかる版画へと進む。
それは彼の父親が、かの誇り高いニュールンベルグの金細工職人だったこともあるだろう。
なんたって、ワーグナーのオペラ「ニュールンベルグのマイスタージンガー」では、職人が、貴族の御曹司に対して、「貴族は馬鹿でもなれるが、職人は才能がないとなれない」と豪語する世界なのである。そして、事実、ニュールンベルグでは、職人の親方(マイスター)は同時に名歌手だった。まあ、デューラー自身が歌ったかどうかは定かではないけれど、少なくとも父親はマイスタージンガーでもあった可能性は高い。
その誇り高いマイスタージンガーの系譜にいる天才画家少年アルブレヒト・デューラーは、金細工や彫刻の技術も身につけ、版画家となる。
その背景には、彼の後見人のコーベルガーが、金細工職人から出版者に転職し、成功を収めた人物だったこともあるだろう。
しかし、並んでいる大量の作品を見ていて、私は別の感動に襲われた。
「宗教画」という観念にまどわされてはならない。
これは、複製芸術という、この当時の最先端を走っていたものだったのだ、という感銘だ。
一点しか存在しないがゆえに、王侯貴族や富裕階級でもなければ、その鑑賞すらなしえない絵画でも彫刻ではなく、大量に安価に複製でき、それゆえに中産階級や庶民の目に届くという、おそるべき革命。
同じく同時期のドイツはグーテンベルグによる活版印刷が、文書の世界に革命を起こしている。筆写ゆえに限定した読者しか獲得し得ず、それゆえに、それを読むことができること自体が特権であった「書物」が、解放されたのだ。
デューラーが生きたのは、まさに、その時代である。そして、そのグーテンベルグが活版印刷でなしえた偉業も、聖書の印刷だった。
デューラーの版画とは、この時代と呼応した結果なのだ。
そして、天才であったがゆえに、デューラーは、自分の作品の「大量複製」という最先端を走ったのだ。
関連展示として、国立西洋美術館から徒歩圏内の、東京芸術大学美術館の「黙示録ーデューラー/ルドン」も見応えのある内容だった。
どちらも、日本での知名度が低いゆえに、入場料が安いし、たぶんそれほど混んでいないだろう。この秋の一押しである。
それから、もうひとつ。
六本木のサントリー美術館での「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展
浮世絵や戯作の文化が花開いた18世紀後半の江戸を、それらの文化の仕掛け人・当時の流行の発信人としての出版人・蔦屋重三郎にスポットを当てた、ちょっと面白い切り口だ。
偶然とはいえ、どちらも、「出版黎明期」の最先端を行った人たちを取り上げた企画であるということが、何とも象徴的だ。
2010年の日本、その「紙」の出版文化が、もはや疑いようもなく、デジタルという別のものに主役の座を奪われ、「紙と印刷」が可能にした大量複製・大量消費が、インターネットによる情報の伝播という、まったく次の次元のものへと移りつつあるその年の瀬に、このふたつの展覧会があるのは、主催者の意図か、それとも偶然か。
そういう意味でも、あえて訪れる価値のある美術展である。
最後に、そこまで考えた上で改めて読むと、これは尖閣ビデオ問題に関する、大変興味深い分析である以上に、本質的な問題提起であることに気づかされる。
日経ビジネスOnline 「尖閣ビデオ流出、守秘義務違反は問題の本質ではない」 郷原信郎
私たちは、ルネサンス以上の時代の大きな転換点にいるのに、そのことに気づいている人といない人、その落差の大きさが、社会と政治を引き裂いているのだ。
その間にも、ネットの情報は世界を駆ける。日本のメディアが沈黙する検察の問題が、イタリアの大学で語られ、Twitterだけで連絡を取り合う人たちが、週末には各地で同時多発デモを起こす。
私たちは、いま、そんな時代にいる。
「時代は心を生み出している、その苦しみに耐えかねて死んでゆく。だから走っていかなくては、未来が落ちてしまうだろう(シルビオ・ロドリゲス)」
最近見た美術展の中で、出色だったのが、国立西洋美術館のアルブレヒト・デューラー版画・素描展だった。
デューラーは15世紀から16世紀のドイツ・ルネサンス期の版画家で、非常に正確なデッサンに基づく緻密精細な宗教版画などで知られている。とはいっても、日本での認知度はそれほど高くはない。
この国立西洋美術館の作品展、意外だったのだが、大半がメルボルン国立ヴィクトリア美術館のコレクションからなっている。オーストラリア、大したものだ。
おかげで、私は、一気に、150点以上のデューラーをまとめて鑑賞することができたわけだ。
まず、第一印象は、数学的ともいえるほどに、その作品が精緻であること。技術は素晴らしく高く、とにかく「完璧」な感じ。これが、ドイツ・ルネサンス芸術か。
しかし、ずっと見ていくと、別の、実はもっと別のことに気づく。
デューラーは、いわゆる早熟の天才タイプで、15歳ぐらいですでに才能を見せ、20代半ばには画家としての名声を確立していた。
にもかかわらず、彼は、絵画ではなく、あえて、より手間のかかる版画へと進む。
それは彼の父親が、かの誇り高いニュールンベルグの金細工職人だったこともあるだろう。
なんたって、ワーグナーのオペラ「ニュールンベルグのマイスタージンガー」では、職人が、貴族の御曹司に対して、「貴族は馬鹿でもなれるが、職人は才能がないとなれない」と豪語する世界なのである。そして、事実、ニュールンベルグでは、職人の親方(マイスター)は同時に名歌手だった。まあ、デューラー自身が歌ったかどうかは定かではないけれど、少なくとも父親はマイスタージンガーでもあった可能性は高い。
その誇り高いマイスタージンガーの系譜にいる天才画家少年アルブレヒト・デューラーは、金細工や彫刻の技術も身につけ、版画家となる。
その背景には、彼の後見人のコーベルガーが、金細工職人から出版者に転職し、成功を収めた人物だったこともあるだろう。
しかし、並んでいる大量の作品を見ていて、私は別の感動に襲われた。
「宗教画」という観念にまどわされてはならない。
これは、複製芸術という、この当時の最先端を走っていたものだったのだ、という感銘だ。
一点しか存在しないがゆえに、王侯貴族や富裕階級でもなければ、その鑑賞すらなしえない絵画でも彫刻ではなく、大量に安価に複製でき、それゆえに中産階級や庶民の目に届くという、おそるべき革命。
同じく同時期のドイツはグーテンベルグによる活版印刷が、文書の世界に革命を起こしている。筆写ゆえに限定した読者しか獲得し得ず、それゆえに、それを読むことができること自体が特権であった「書物」が、解放されたのだ。
デューラーが生きたのは、まさに、その時代である。そして、そのグーテンベルグが活版印刷でなしえた偉業も、聖書の印刷だった。
デューラーの版画とは、この時代と呼応した結果なのだ。
そして、天才であったがゆえに、デューラーは、自分の作品の「大量複製」という最先端を走ったのだ。
関連展示として、国立西洋美術館から徒歩圏内の、東京芸術大学美術館の「黙示録ーデューラー/ルドン」も見応えのある内容だった。
どちらも、日本での知名度が低いゆえに、入場料が安いし、たぶんそれほど混んでいないだろう。この秋の一押しである。
それから、もうひとつ。
六本木のサントリー美術館での「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展
浮世絵や戯作の文化が花開いた18世紀後半の江戸を、それらの文化の仕掛け人・当時の流行の発信人としての出版人・蔦屋重三郎にスポットを当てた、ちょっと面白い切り口だ。
偶然とはいえ、どちらも、「出版黎明期」の最先端を行った人たちを取り上げた企画であるということが、何とも象徴的だ。
2010年の日本、その「紙」の出版文化が、もはや疑いようもなく、デジタルという別のものに主役の座を奪われ、「紙と印刷」が可能にした大量複製・大量消費が、インターネットによる情報の伝播という、まったく次の次元のものへと移りつつあるその年の瀬に、このふたつの展覧会があるのは、主催者の意図か、それとも偶然か。
そういう意味でも、あえて訪れる価値のある美術展である。
最後に、そこまで考えた上で改めて読むと、これは尖閣ビデオ問題に関する、大変興味深い分析である以上に、本質的な問題提起であることに気づかされる。
日経ビジネスOnline 「尖閣ビデオ流出、守秘義務違反は問題の本質ではない」 郷原信郎
私たちは、ルネサンス以上の時代の大きな転換点にいるのに、そのことに気づいている人といない人、その落差の大きさが、社会と政治を引き裂いているのだ。
その間にも、ネットの情報は世界を駆ける。日本のメディアが沈黙する検察の問題が、イタリアの大学で語られ、Twitterだけで連絡を取り合う人たちが、週末には各地で同時多発デモを起こす。
私たちは、いま、そんな時代にいる。
「時代は心を生み出している、その苦しみに耐えかねて死んでゆく。だから走っていかなくては、未来が落ちてしまうだろう(シルビオ・ロドリゲス)」
アート三昧
9.11の日なんですが、あえてアート話題てんこ盛り。
昨日、箱根・ポーラ美術館のアンリ・ルソー展に行っていました。
ポーラ美術館は、これがはじめて。で、ちょっと観光地にさくっとできた小さい美術館だと思っていたのですが、これがびっくり。逆に都内では不可能な広大な敷地に、凝った建築の、すばらしい美術館ではありませんか。
で、アンリ・ルソー。
パリの徴税役人で、熱帯の画家として有名ですが、じつは実際に国を出たことは一度もなかったそうな。
私はかつて、アンリ・ルソーがナポレオン三世軍の軍楽隊にいて、それでメキシコに行ったことがあるとかいう話を聞いたことがあったのですが、それはガセだそうです。
ナポレオン三世の軍楽隊といえば、じつは、オアハカ民謡のソン・イストメーニョに多大な影響を与えています。ナポレオン軍とゲリラ戦で徹底抗戦して追い出したメキシコ側の英雄で、後にメキシコ大統領となったのが、オアハカの先住民出身のベニート・フアレスですが、彼は、ナポレオン軍は敵としたものの、その敵軍の軍楽隊はえらく気に入って、メキシコに取り入れたのです。
ここで、ブラスバンド音楽とワルツがメキシコ民謡となって根付いていくのです。
と.....いう物語があるだけに、ここで、ルソー=元フランス軍楽隊員説がデマとわかってよかった。知らなきゃ、どこかで(下手すりゃ、次の本で)とっておきネタとして書くところでした。超あぶねー。(笑)
とはいえ、ルソーが音楽好きだったというのは本当で、ワルツを作曲をしたり、バイオリンを人に教えたり、ファミリーパーティーレベルとはいえ、演奏会などもやっていたようです。
で、そのルソーが描いた19世紀末から20世紀初頭のパリの街から展示は始まります。
工業化の時代のパリ。エッフェル塔が建ち、飛行船や飛行機の時代です。
そのルソーの描くパリと、彼の交友を主なテーマに企画された美術展であるため、熱帯ものの作品はあまり数としてはありませんが、しかし、交友があったという周辺の画家たちの作品に、驚くほど見応えのあるものが。とくにジョルジュ・ブラックのすばらしい作品がありました。他、モジリアニ、ピカソ、マリー・ロランサンから、直接交流はなかったけれど、素朴派の系譜に連なる作品としてコロンビアのボテロまで。
また、同様にルソーと交流があったわけではないけれど、同時代の人として、ジョルジュ・メリエスの日本の短編映画も会場で公開中。そのうちの一本は、世界最初のSF映画「月世界探検」なのが、にやり。
そうです。飛行船の時代なのですよ。
また、その下の階にある常設展示も、印象派と近代日本画を中心に、なかなかのコレクションではありませんか。なにげに小企画してあるのも、アンドレ・ドランの挿絵集だったりするんだもんな。絵画好きであるなら、半日は楽しめます。
また、箱根とは別に、銀座のポーラギャラリーでも、10/24まで、マティスの「Jazz」展。
晩年の傑作の20点全点の一挙展示。その展示方法もなかなかおしゃれです。こちらは無料。
それから、やはり今日から公開のイラン映画。「彼女の消えた浜辺」
これ、じつは同日の案内ハガキを間違えて試写会に行ったんです。で、着いてから「しまったぁ」
なわけで、本当なら、試写案内が届いていたにもかかわらず見なかったはずの映画。
悪い言い方をすれば、それだけ私にイラン映画についての関心が低かったということですな。
ところが、これが想定外のすばらしさだったのです。
イランの中流の普通の人々の生活と価値観が淡々と描かれる。これが、このなんというか、あまりの「普通さ」って、「イラン」という国名のレッテルがあることで私たちが忘れ去ってしまう普通さです。
もちろん、ムスリムだから、女性たちは髪を覆っているのだけど、それだって、そこにきっちりコーディネートして、オシャレを楽しんでいる。持ってるバッグもなにげにルイ・ヴィトン。
そういう「あまりにもふつうの」暮らし。
で、週末にカスピ海の別荘を借りて遊びに行く3組の夫婦と、彼らに同行した若い女性をめぐるサスペンスフルな人間ドラマというわけです。
なぜ一人の独身美女が入っているのかといえば、実は他にもう一人、バツイチイケメン独身男性の参加があり、要するに、ちょっとお節介な、ゆるや~かな「ご紹介」旅行というわけね。
で、予約ミスで予定のホテルに泊まれなくなったものの、代わりに海辺の一軒家の別荘を借り切れることになり、彼らはパーティーを始め、イケメンと少し神経質な感じの美女も良い雰囲気。
その翌日、突然、美女が行方不明になる。
彼女は事故で海に落ちたのか?
なにか気に触ることがあって、黙って先に帰ったのか?
それとも何か、別の事件に巻き込まれたのか?
警察の捜査が始まって、彼らはさらに気づく。彼女の名前、経歴。実は誰もはっきり知らなかったという事実に。
さらに、家に連絡してみると、彼女の母親は彼女の旅行自体を否定する。さらに、存在しないはずの「兄」が名乗り出てくる。
いったい真実はどこにあるのか。
という物語です。最後まで息がつけません。
もちろん、ハリウッドのサスペンスとは違うノリですが、しかし、俳優一人一人の演技が素晴らしいくて、上質の演劇を見ているようです。
ああ、そして、イランなのですよ。
この物語の舞台の国にアメリカがいま攻撃を仕掛けようとしている国という現実に私たちが生きているのだとすれば、なんという怖ろしい時代なのでしょうか。
それから、もひとつ。
すでに好評開催中ですが、国立近代美術館の上村松園展。
レギンスファッションって、男性が嫌いで、女性が好きなスタイルなんですが、まさに女性の感じる「女性の美しさ」って、男性の求める「女性の美しさ」とは違うものがあります。
松園の求める美、松園の描く美人画は、まさに「女性の、女性による、女性のための美人画」。
とはいえ、べつに松園はジェンダーだのフェミニズムだとの意識していたわけではなくて、とっても色っぽいんですよ。すごく色っぽいんだけど、視線がやっぱりセックスの対象としての女性を見る目ではないんだな。
晩年になるほど、彼女の作品は様式化していく傾向もあるんだけど、その様式化も、まさにその「女性にとっての女性美の完璧さ」を追求しているよう。
中でも惚れたのは、「草紙洗小町」。
和歌盗作の冤罪を着せられた小野小町が身の潔白を立てようと、草紙を洗うという物語ですが、立て膝をついて、扇を振りあげ、啖呵を切るようなその凛々しい姿ときたら。
とここで気づいたのですが、松園の描く女性って、いかにやさしげでたおやかに見えても、「男に頼る女性」でも「男に媚びる女性」でもないのですね。そこが、私にとってとても違和感がないところかもしれないな。
昨日、箱根・ポーラ美術館のアンリ・ルソー展に行っていました。
ポーラ美術館は、これがはじめて。で、ちょっと観光地にさくっとできた小さい美術館だと思っていたのですが、これがびっくり。逆に都内では不可能な広大な敷地に、凝った建築の、すばらしい美術館ではありませんか。
で、アンリ・ルソー。
パリの徴税役人で、熱帯の画家として有名ですが、じつは実際に国を出たことは一度もなかったそうな。
私はかつて、アンリ・ルソーがナポレオン三世軍の軍楽隊にいて、それでメキシコに行ったことがあるとかいう話を聞いたことがあったのですが、それはガセだそうです。
ナポレオン三世の軍楽隊といえば、じつは、オアハカ民謡のソン・イストメーニョに多大な影響を与えています。ナポレオン軍とゲリラ戦で徹底抗戦して追い出したメキシコ側の英雄で、後にメキシコ大統領となったのが、オアハカの先住民出身のベニート・フアレスですが、彼は、ナポレオン軍は敵としたものの、その敵軍の軍楽隊はえらく気に入って、メキシコに取り入れたのです。
ここで、ブラスバンド音楽とワルツがメキシコ民謡となって根付いていくのです。
と.....いう物語があるだけに、ここで、ルソー=元フランス軍楽隊員説がデマとわかってよかった。知らなきゃ、どこかで(下手すりゃ、次の本で)とっておきネタとして書くところでした。超あぶねー。(笑)
とはいえ、ルソーが音楽好きだったというのは本当で、ワルツを作曲をしたり、バイオリンを人に教えたり、ファミリーパーティーレベルとはいえ、演奏会などもやっていたようです。
で、そのルソーが描いた19世紀末から20世紀初頭のパリの街から展示は始まります。
工業化の時代のパリ。エッフェル塔が建ち、飛行船や飛行機の時代です。
そのルソーの描くパリと、彼の交友を主なテーマに企画された美術展であるため、熱帯ものの作品はあまり数としてはありませんが、しかし、交友があったという周辺の画家たちの作品に、驚くほど見応えのあるものが。とくにジョルジュ・ブラックのすばらしい作品がありました。他、モジリアニ、ピカソ、マリー・ロランサンから、直接交流はなかったけれど、素朴派の系譜に連なる作品としてコロンビアのボテロまで。
また、同様にルソーと交流があったわけではないけれど、同時代の人として、ジョルジュ・メリエスの日本の短編映画も会場で公開中。そのうちの一本は、世界最初のSF映画「月世界探検」なのが、にやり。
そうです。飛行船の時代なのですよ。
また、その下の階にある常設展示も、印象派と近代日本画を中心に、なかなかのコレクションではありませんか。なにげに小企画してあるのも、アンドレ・ドランの挿絵集だったりするんだもんな。絵画好きであるなら、半日は楽しめます。
また、箱根とは別に、銀座のポーラギャラリーでも、10/24まで、マティスの「Jazz」展。
晩年の傑作の20点全点の一挙展示。その展示方法もなかなかおしゃれです。こちらは無料。
それから、やはり今日から公開のイラン映画。「彼女の消えた浜辺」
これ、じつは同日の案内ハガキを間違えて試写会に行ったんです。で、着いてから「しまったぁ」
なわけで、本当なら、試写案内が届いていたにもかかわらず見なかったはずの映画。
悪い言い方をすれば、それだけ私にイラン映画についての関心が低かったということですな。
ところが、これが想定外のすばらしさだったのです。
イランの中流の普通の人々の生活と価値観が淡々と描かれる。これが、このなんというか、あまりの「普通さ」って、「イラン」という国名のレッテルがあることで私たちが忘れ去ってしまう普通さです。
もちろん、ムスリムだから、女性たちは髪を覆っているのだけど、それだって、そこにきっちりコーディネートして、オシャレを楽しんでいる。持ってるバッグもなにげにルイ・ヴィトン。
そういう「あまりにもふつうの」暮らし。
で、週末にカスピ海の別荘を借りて遊びに行く3組の夫婦と、彼らに同行した若い女性をめぐるサスペンスフルな人間ドラマというわけです。
なぜ一人の独身美女が入っているのかといえば、実は他にもう一人、バツイチイケメン独身男性の参加があり、要するに、ちょっとお節介な、ゆるや~かな「ご紹介」旅行というわけね。
で、予約ミスで予定のホテルに泊まれなくなったものの、代わりに海辺の一軒家の別荘を借り切れることになり、彼らはパーティーを始め、イケメンと少し神経質な感じの美女も良い雰囲気。
その翌日、突然、美女が行方不明になる。
彼女は事故で海に落ちたのか?
なにか気に触ることがあって、黙って先に帰ったのか?
それとも何か、別の事件に巻き込まれたのか?
警察の捜査が始まって、彼らはさらに気づく。彼女の名前、経歴。実は誰もはっきり知らなかったという事実に。
さらに、家に連絡してみると、彼女の母親は彼女の旅行自体を否定する。さらに、存在しないはずの「兄」が名乗り出てくる。
いったい真実はどこにあるのか。
という物語です。最後まで息がつけません。
もちろん、ハリウッドのサスペンスとは違うノリですが、しかし、俳優一人一人の演技が素晴らしいくて、上質の演劇を見ているようです。
ああ、そして、イランなのですよ。
この物語の舞台の国にアメリカがいま攻撃を仕掛けようとしている国という現実に私たちが生きているのだとすれば、なんという怖ろしい時代なのでしょうか。
それから、もひとつ。
すでに好評開催中ですが、国立近代美術館の上村松園展。
レギンスファッションって、男性が嫌いで、女性が好きなスタイルなんですが、まさに女性の感じる「女性の美しさ」って、男性の求める「女性の美しさ」とは違うものがあります。
松園の求める美、松園の描く美人画は、まさに「女性の、女性による、女性のための美人画」。
とはいえ、べつに松園はジェンダーだのフェミニズムだとの意識していたわけではなくて、とっても色っぽいんですよ。すごく色っぽいんだけど、視線がやっぱりセックスの対象としての女性を見る目ではないんだな。
晩年になるほど、彼女の作品は様式化していく傾向もあるんだけど、その様式化も、まさにその「女性にとっての女性美の完璧さ」を追求しているよう。
中でも惚れたのは、「草紙洗小町」。
和歌盗作の冤罪を着せられた小野小町が身の潔白を立てようと、草紙を洗うという物語ですが、立て膝をついて、扇を振りあげ、啖呵を切るようなその凛々しい姿ときたら。
とここで気づいたのですが、松園の描く女性って、いかにやさしげでたおやかに見えても、「男に頼る女性」でも「男に媚びる女性」でもないのですね。そこが、私にとってとても違和感がないところかもしれないな。