ハロウィーンとメキシコの死者の日
日本でも10月の末になると、そこらじゅうで、かぼちゃの飾りをつけたり、かぼちゃのお菓子や料理メニューが紹介されるようになってきています。
米国のハロウィーンでのかぼちゃって、あくまで飾り物で、あれ、食べるわけではないんですけどね。
ちなみに、日本のかぼちゃはpampkinではなくて、squash。日本のスーパーで売られているのは、けっこう、メキシコ産のかぼちゃだったりします。まあ、かぼちゃの原産はメキシコなんで不思議というほどではないのですが、ただ、メキシコに行くと、少なくとも私が半分住んでいるメキシコシティでは、この日本風の中が黄色くて甘みのあるかぼちゃって売ってるの見たことないんですよね。少なくともあまり一般的ではない。あれって、日本向けに作って輸出しているんでしょうかね。

で、この時期、正確には、11月の最初の2日、メキシコでも死者の日(Dia de los muertos)を祝います。米国のハロウィーンは、ケルトの祭りに起源があるとされているキリスト教の祭りですが、メキシコの死者の日は、マヤやアステカの祭りに起源があるものです。
今年はコロナのせいで、あまり大々的にはやらないようですが、毎年、この時期になると、メキシコでは、墓地はもちろん、憲法広場や街の小広場、公園、それに公共や半公共のスペースには、オフレンダと呼ばれる死者の日の飾りつけが華やかに行われます。メキシコ人にとっては、クリスマスに匹敵する大イベントなのでして、10月に入ろうものなら、死者の日の飾り付けグッズがそこここに並び、皆さん、ご家庭でも凝った飾り付けをする方多数。
オレンジ色のマリーゴールドと紫色の乾燥花。お香。ひらひらした色とりどりの切り絵(パペル・ピカード)は、中国の切り絵がメキシコ化したもの。そして、髑髏のお人形やお菓子。たくさんの蝋燭。パン・デ・ムエルト(死者のパン)と呼ばれる砂糖をまぶしたさくさくの菓子パンを並べます。

私の家のあるコヨアカンの広場などでは、ポソーレ(大粒とうもろこしのシチュー)やタマル(トウモロコシ粉のチマキ)の屋台も建ち並び、本来なら、この期間は、すっかりお祭り気分。チョコレート(メキシコ原産のカカオ豆を石臼ですりつぶしてスパイスを利かせたメキシコ風で、ものすごく香り高い)やアトーレ(アーモンドの熱い飲み物)などのメキシコの伝統的な飲み物も売られます。
カトリーナという立派な名前まである、羽根帽子で着飾ったエレガントな骸骨の貴婦人の扮装をした人たちも、街角に現れます。
米国のハロウィーンの仮装の悪魔とか魔女とか果てはゾンビみたいなのではなくて、骸骨の顔をしているけれど、優美な貴婦人や紳士です。

メキシコでは、死はけっして恐ろしいものでも呪わしいものではなく、生の延長。というより、より良き別の世界へのいざない、という発想がそこにあるからです。
そういえば、2年ほど前に日本でもヒットしたディズニー・ピクサーの映画「リメンバー・ミー」(原題 Coco)も、まさにメキシコの死者の日の出来事をテーマにした映画でしたね。
で、コロナのせいでメキシコに行けない私は、そのせいもあって、メキシコ料理がむしょうに食べたくて仕方なくなったわけ。
というわけで、昨日は、お客さんも招いて、メキシコ料理三昧といきました。
ご存知ない人も多いですが、メキシコ料理って、和食より先にユネスコの世界文化遺産に認定されています。アステカやマヤの古代文明の頃からの先住民のスパイス文化に、植民化したスペインの料理、さらに一時、ナポレオン三世時代のフランスに侵略されたので、そのときにフランス料理も入ってきています。その複雑なミクスチュアがメキシコ料理の肝です。
残念ながら、日本でメキシコ料理として紹介されているのは、その大半が、本物のメキシコ料理ではなく、テックス・メックスと言われる米国人向けのメキシコ料理。なんというか寿司界におけるカリフォルニアロールみたいな存在です。本場のメキシコには、ひき肉で作ったタコスの具とか、チリコンカンなんてありませんからね。
問題は、本場風のメキシコ料理を再現するには、日本で食材やスパイスが入手困難であることです。幸い、香草のシラントロ(パクチー)はブームのおかげで、どこのスーパーでも売られるようになったのはありがたいのですが、それ以外のスパイスがねえ。
で、ちょうど、開店当初からのお付き合いの下北沢のメキシコ料理店の「テピート」さんが、冷凍料理の宅配を始められたというので、お試しです。
ここの久美ママは、もともと懐石料理の料理人でいらしたところを、ドラマみたいな大恋愛の末、ゴールインしたメキシコ人の夫君のお母上に教わった家庭の味から初めて、いまや本格的なメキシコ料理店のオーナシェフをなさっている方です。
もっとも、お取り寄せのレンチンだけでは芸がないので、自分でも、スーパーで手に入る材料で少し作ってみました。
まず、メキシコでは超定番のコンソメ・デ・ポージョ (consome de pollo) 。
テピート本店では、ちゃんと鶏ガラを一晩煮込んで作っていらっしゃるそうですが、久美ママに教えてもらったご家庭用の驚きのやり方は、手羽先を使うというもの。
いや、これだと簡単に手に入るし、ご家庭でも少量でもすぐ美味しく作れるんですよ。
鶏の手羽先と、月桂樹の葉、パクチーの茎と根のところを、水からゆっくり煮出します。それに、1.5cmぐらいの角切りにした、にんじん、ズッキーニ、じゃがいも、手に入れば、はやとうり(これ、メキシコではチャヨーテといってよく食べられます)、お米を大さじ一杯を入れて、15分から20分ぐらい。コツは、煮立てないこと。アクをすくって、味付けは塩と胡椒だけでも、手羽先とパクチーの根から、すごく美味しい出汁が出ています。
この出来上がったスープに、生の粗みじんにした玉ねぎ、みじん切りのパクチーの葉、指で少し潰して香りを立てたオレガノ、好みでライム汁(またはレモン)を少し絞って入れて食べるのが、メキシコ風。薄切りにしたアボカドを仕上げに入れても結構です。
それからワカモレ(guacamole)。 完熟のアボカドをスプーンかフォークで潰し(私は、グレープフルーツ用のぎざぎざのあるスプーンで潰します)、少し粗めのみじん切りの玉葱、パクチー、トマトを混ぜ、塩胡椒オレガノ少々に、ライム汁かレモン汁を混ぜます。辛いのが平気なら、ハラペーニョのみじん切りも入れます。これね、パンに塗っても美味しいよ。
もう一点、ピリ辛のフレッシュなサルサ。完熟トマト、玉ねぎ、にんにく、パクチーの粗みじんと、ハラペーニョ(生だとベストですが日本では入手困難ですので、輸入食料品店で売ってる缶詰で)のみじん切りに、サラダ油とライムかレモン汁(なければリンゴ酢)、塩を適宜混ぜるだけ。辛いのがだめな人はハラペーニョなしでもおいしいですし、メキシコ料理以外にも合います。
(どれもパクチー使うので、パクチーを一束買って余ったときなどに、ぜひお試しください)
と、ほぼスーパーの食材で、ぱぱっとできてしまうサブメニューを揃えたうえで、開封の儀を行い、温めてお出ししたのが、まさに本格料理。
まず、テピートさん謹製の「ティンガ・デ・ポージョ(tinga de pollo)」。
茹でて割いた鳥の胸肉をチリ・チポトレの入ったトマトソースで煮込んだものです。チリ・チポトレで煮込んだといっても、全然辛くありません。普通のトマトソースでは出ない独特の旨味とコクがあって本当に美味しい、まさに本場のタコスの定番の具です。メキシコ風の鳥のだしで炊いたお米と、メキシコ風の煮豆、トルティージャもついているので、これ一品で完璧に、メキシコ。
それから、豚肉をオレンジソースで煮込んだ、タコス・デ・カルニータス (tacos de carnitas)、メキシコ東部ユカタン地方の伝統料理コチニータ・ピビル (cochini-ta pibil) は、オレンジとライムでマリネした豚肉の塊を、アチョーテの種のペーストなどをスパイスに使って、バナナの葉で包み、蒸し煮にするもので、大鍋で一昼夜かけて煮込むのだとか。 このあたりのものが日本で食べられるというのは、けっこう感動します。
それから、アロス・コン・マリスコス(arroz con mariscos)。立派なエビがどんと乗っていて海老の出汁が効いています。ただ、スペインのパエジャと違って、リゾット風、ごはんかなりやわらかめなので、多少好みが分かれるかもしれません。
正直、思っていたより、分量があったので、お客さん含め、おなかいっぱいになりました。ご馳走様。
( 文中の死者の日の写真は、音楽写真家の岡部好さんの作品から。骸骨の貴婦人の絵は、ホセ・グァダルーペ・ポサーダの版画から。それぞれクリックで拡大してご覧いただけます。なお、料理の写真がひとつもないのは、撮るの忘れて食べちゃったからです)
米国のハロウィーンでのかぼちゃって、あくまで飾り物で、あれ、食べるわけではないんですけどね。
ちなみに、日本のかぼちゃはpampkinではなくて、squash。日本のスーパーで売られているのは、けっこう、メキシコ産のかぼちゃだったりします。まあ、かぼちゃの原産はメキシコなんで不思議というほどではないのですが、ただ、メキシコに行くと、少なくとも私が半分住んでいるメキシコシティでは、この日本風の中が黄色くて甘みのあるかぼちゃって売ってるの見たことないんですよね。少なくともあまり一般的ではない。あれって、日本向けに作って輸出しているんでしょうかね。

で、この時期、正確には、11月の最初の2日、メキシコでも死者の日(Dia de los muertos)を祝います。米国のハロウィーンは、ケルトの祭りに起源があるとされているキリスト教の祭りですが、メキシコの死者の日は、マヤやアステカの祭りに起源があるものです。
今年はコロナのせいで、あまり大々的にはやらないようですが、毎年、この時期になると、メキシコでは、墓地はもちろん、憲法広場や街の小広場、公園、それに公共や半公共のスペースには、オフレンダと呼ばれる死者の日の飾りつけが華やかに行われます。メキシコ人にとっては、クリスマスに匹敵する大イベントなのでして、10月に入ろうものなら、死者の日の飾り付けグッズがそこここに並び、皆さん、ご家庭でも凝った飾り付けをする方多数。
オレンジ色のマリーゴールドと紫色の乾燥花。お香。ひらひらした色とりどりの切り絵(パペル・ピカード)は、中国の切り絵がメキシコ化したもの。そして、髑髏のお人形やお菓子。たくさんの蝋燭。パン・デ・ムエルト(死者のパン)と呼ばれる砂糖をまぶしたさくさくの菓子パンを並べます。

私の家のあるコヨアカンの広場などでは、ポソーレ(大粒とうもろこしのシチュー)やタマル(トウモロコシ粉のチマキ)の屋台も建ち並び、本来なら、この期間は、すっかりお祭り気分。チョコレート(メキシコ原産のカカオ豆を石臼ですりつぶしてスパイスを利かせたメキシコ風で、ものすごく香り高い)やアトーレ(アーモンドの熱い飲み物)などのメキシコの伝統的な飲み物も売られます。
カトリーナという立派な名前まである、羽根帽子で着飾ったエレガントな骸骨の貴婦人の扮装をした人たちも、街角に現れます。
米国のハロウィーンの仮装の悪魔とか魔女とか果てはゾンビみたいなのではなくて、骸骨の顔をしているけれど、優美な貴婦人や紳士です。

メキシコでは、死はけっして恐ろしいものでも呪わしいものではなく、生の延長。というより、より良き別の世界へのいざない、という発想がそこにあるからです。
そういえば、2年ほど前に日本でもヒットしたディズニー・ピクサーの映画「リメンバー・ミー」(原題 Coco)も、まさにメキシコの死者の日の出来事をテーマにした映画でしたね。
で、コロナのせいでメキシコに行けない私は、そのせいもあって、メキシコ料理がむしょうに食べたくて仕方なくなったわけ。
というわけで、昨日は、お客さんも招いて、メキシコ料理三昧といきました。
ご存知ない人も多いですが、メキシコ料理って、和食より先にユネスコの世界文化遺産に認定されています。アステカやマヤの古代文明の頃からの先住民のスパイス文化に、植民化したスペインの料理、さらに一時、ナポレオン三世時代のフランスに侵略されたので、そのときにフランス料理も入ってきています。その複雑なミクスチュアがメキシコ料理の肝です。
残念ながら、日本でメキシコ料理として紹介されているのは、その大半が、本物のメキシコ料理ではなく、テックス・メックスと言われる米国人向けのメキシコ料理。なんというか寿司界におけるカリフォルニアロールみたいな存在です。本場のメキシコには、ひき肉で作ったタコスの具とか、チリコンカンなんてありませんからね。
問題は、本場風のメキシコ料理を再現するには、日本で食材やスパイスが入手困難であることです。幸い、香草のシラントロ(パクチー)はブームのおかげで、どこのスーパーでも売られるようになったのはありがたいのですが、それ以外のスパイスがねえ。
で、ちょうど、開店当初からのお付き合いの下北沢のメキシコ料理店の「テピート」さんが、冷凍料理の宅配を始められたというので、お試しです。
ここの久美ママは、もともと懐石料理の料理人でいらしたところを、ドラマみたいな大恋愛の末、ゴールインしたメキシコ人の夫君のお母上に教わった家庭の味から初めて、いまや本格的なメキシコ料理店のオーナシェフをなさっている方です。
もっとも、お取り寄せのレンチンだけでは芸がないので、自分でも、スーパーで手に入る材料で少し作ってみました。
まず、メキシコでは超定番のコンソメ・デ・ポージョ (consome de pollo) 。
テピート本店では、ちゃんと鶏ガラを一晩煮込んで作っていらっしゃるそうですが、久美ママに教えてもらったご家庭用の驚きのやり方は、手羽先を使うというもの。
いや、これだと簡単に手に入るし、ご家庭でも少量でもすぐ美味しく作れるんですよ。
鶏の手羽先と、月桂樹の葉、パクチーの茎と根のところを、水からゆっくり煮出します。それに、1.5cmぐらいの角切りにした、にんじん、ズッキーニ、じゃがいも、手に入れば、はやとうり(これ、メキシコではチャヨーテといってよく食べられます)、お米を大さじ一杯を入れて、15分から20分ぐらい。コツは、煮立てないこと。アクをすくって、味付けは塩と胡椒だけでも、手羽先とパクチーの根から、すごく美味しい出汁が出ています。
この出来上がったスープに、生の粗みじんにした玉ねぎ、みじん切りのパクチーの葉、指で少し潰して香りを立てたオレガノ、好みでライム汁(またはレモン)を少し絞って入れて食べるのが、メキシコ風。薄切りにしたアボカドを仕上げに入れても結構です。
それからワカモレ(guacamole)。 完熟のアボカドをスプーンかフォークで潰し(私は、グレープフルーツ用のぎざぎざのあるスプーンで潰します)、少し粗めのみじん切りの玉葱、パクチー、トマトを混ぜ、塩胡椒オレガノ少々に、ライム汁かレモン汁を混ぜます。辛いのが平気なら、ハラペーニョのみじん切りも入れます。これね、パンに塗っても美味しいよ。
もう一点、ピリ辛のフレッシュなサルサ。完熟トマト、玉ねぎ、にんにく、パクチーの粗みじんと、ハラペーニョ(生だとベストですが日本では入手困難ですので、輸入食料品店で売ってる缶詰で)のみじん切りに、サラダ油とライムかレモン汁(なければリンゴ酢)、塩を適宜混ぜるだけ。辛いのがだめな人はハラペーニョなしでもおいしいですし、メキシコ料理以外にも合います。
(どれもパクチー使うので、パクチーを一束買って余ったときなどに、ぜひお試しください)
と、ほぼスーパーの食材で、ぱぱっとできてしまうサブメニューを揃えたうえで、開封の儀を行い、温めてお出ししたのが、まさに本格料理。
まず、テピートさん謹製の「ティンガ・デ・ポージョ(tinga de pollo)」。
茹でて割いた鳥の胸肉をチリ・チポトレの入ったトマトソースで煮込んだものです。チリ・チポトレで煮込んだといっても、全然辛くありません。普通のトマトソースでは出ない独特の旨味とコクがあって本当に美味しい、まさに本場のタコスの定番の具です。メキシコ風の鳥のだしで炊いたお米と、メキシコ風の煮豆、トルティージャもついているので、これ一品で完璧に、メキシコ。
それから、豚肉をオレンジソースで煮込んだ、タコス・デ・カルニータス (tacos de carnitas)、メキシコ東部ユカタン地方の伝統料理コチニータ・ピビル (cochini-ta pibil) は、オレンジとライムでマリネした豚肉の塊を、アチョーテの種のペーストなどをスパイスに使って、バナナの葉で包み、蒸し煮にするもので、大鍋で一昼夜かけて煮込むのだとか。 このあたりのものが日本で食べられるというのは、けっこう感動します。
それから、アロス・コン・マリスコス(arroz con mariscos)。立派なエビがどんと乗っていて海老の出汁が効いています。ただ、スペインのパエジャと違って、リゾット風、ごはんかなりやわらかめなので、多少好みが分かれるかもしれません。
正直、思っていたより、分量があったので、お客さん含め、おなかいっぱいになりました。ご馳走様。
( 文中の死者の日の写真は、音楽写真家の岡部好さんの作品から。骸骨の貴婦人の絵は、ホセ・グァダルーペ・ポサーダの版画から。それぞれクリックで拡大してご覧いただけます。なお、料理の写真がひとつもないのは、撮るの忘れて食べちゃったからです)
新型コロナ:ブラジルで何が起こったのか?
新型コロナのおかげで、ずっとライブが休止となっております。
7月は大丈夫かと思ったのですが、それどころか、8月も難しいかもしれません。
日本を含むアジア圏では謎の理由により重症化率や死亡率が低いので、米国やブラジルのようなことになっていないだけで、和牛券にアベノマスク、GO TO TRAVELと次々に国民の税金をドブに捨てて、お友達に利権をばらまくという、世界でも例を見ない政策てんこ盛りの中、新型コロナ蔓延には終わりの兆しが見えません。
で、その、ブラジルですが。
確認されているだけで、感染者が230万近く。死亡者も85000人近くです。
一日あたりの感染者数が6万超えとか、大統領も陽性とか。
日本でも知名度が上がってきた、そのボルソナロ大統領は、軍が担ぎ出した人物です。
ブラジルは1964年から85年まで軍事政権で、反対派を激しく弾圧し、暗殺が横行し、音楽家などもほとんど亡命してしまうぐらいひどい状況だったのですが、それが85年にやっと民主化しました。
ただ、そのあとも、政権が不安定な状況が続いていたのですが、2006年に、労働組合の代表だったルーラが大統領になって、やっと安定して、国民のための政策が取られるようになってきます。
左派政権て、よく「バラマキ」に走って経済を悪化させると日本で思われているんですが、ルーラの時代、ブラジル経済は絶好調となります。ちなみに、中南米では、70年代から80年代に、軍事政権が軒並み新自由主義をガンガンに導入し、10年がかりで、国民からボロボロにむしりとってしまいますが、その反動で生まれた一連の左派政権が、新自由主義と決別することで、ガタガタになった格差社会や教育を是正し、経済を少しづつ立て直します。
そんなわけで、ルーラの人気は抜群でしたが、ブラジルでは大統領の再選ができないので、ルーラの後継者のジウマ・ルセフが大統領に立候補、ブラジル初の女性大統領になります。
ところが、このルセフに汚職疑惑が持ち上がり、弾劾されることに。
この汚職疑惑自体が、結局、まともな証拠は出てこず、まるで陸山会事件みたいな話なのですが、メディアが「黒」と決めつけて、ものすごいバッシングをおこなったのと、副大統領だったテメルが、ルセフに不利な証言をしたので、弾劾が通ってしまったのです。もちろん、後ろにいたのは、米国とブラジル財界です。(ちなみに、そのあと、汚職をしていたのは、このテメルの方だったことが明らかになります)
自分が大統領になるために、ルセフをハメた疑惑もあって、テメルの人気は最悪。リオ・オリンピックでは開会式の大統領の挨拶のときに、前代未聞の大ブーイングが起きるほどでした。
そのテメルの任期満了後の大統領選挙で、再度、立候補しようとしたのが、元大統領のルーラです。
ルーラの国民的人気は絶大だっただけに、これはもう当選確実、となっていたところに、今度はルーラに汚職疑惑が持ち上がり、なんとブラジル検察はルーラを逮捕し、立候補できないようにしてしまいました。
まあ、これも具体的な証拠はほとんどないに等しい疑惑で、そのせいで、ルーラはパリ市から「世界で最も有名な政治犯」として名誉市民に選出されています。この件は、世界的にはそういう評価です。
とはいえ、逮捕されてしまったので、立候補は無理。党もすぐに有力な後継者を出せなかったということもあって、2018年の大統領選では、軍と経団連をバックに付けたボルソナロが通ってしまったわけです。
2018年といえば、軍事政権が終わって33年。もう若い世代には実感がなかったというのが大きかったようです。
で、この人は、まあ、軍がバックアップしているだけあって、軍事政権にも賛成しているような人。なんとチリのピノチェトを尊敬していると発言したり、トランプのことも大好きというような筋金入りの極右で、ベネズエラが揉めていたときには、野党の指導者を全面バックアップして、ベネズエラ現政権潰しに尽力していました。
人種差別発言などもひどく、黒人や先住民、女性や同性愛者に対する露骨な差別はもちろん、アジア人蔑視丸出しの発言もしていますが、日本経済新聞の特派員さんなどは、そのアジア人蔑視発言ですら「悪意はない」とか必死で庇ってヨイショしていた、と、まあ、そういうところに、日本の経団連との関係は実にわかりやすい、というような人です。
今回のコロナでは、コロナは風邪だと言い張って、ブラジルを感染者・死者世界二位に押し上げました。
ポピュリストが人気を集めただけ、とレッテルを貼るのは簡単ですが、こういうトンデモな政治家がのさばるようなことになった理由として、一つ言えるのは、メキシコの2006年の大統領選挙や2010年の陸山会事件でやられたように、検察とメディアがタッグを組めば、(あるいはその両方を丸め込めたら)、世論操作やでっちあげが簡単だということです。
強力で目障りな政治家がいたら、司法取引かそれに類するもので「証人」を一人か二人作れば、汚職疑惑なんていくらでもでっち上げることができるし、そうやって逮捕や起訴すれば、政治活動を止めることができる。なにより、左派寄りの支持者ほど、指導者に清廉潔白さを求めるので、メディアが「汚職だ腐敗だ、政治とカネだ」と連日騒ぐだけで、簡単に水をぶっかけることができるんです。そこは自民党支持層とは逆。
逆に、誰が見ても明白な汚職があっても、検察が動かず、メディアがあんまり騒がなければ、人の噂も75日で、なんとなく。ずるずる立ち消えになって忘れ去られるんです。今の安倍政権下の日本がまさにそうですが、
で、これが面白いほどうまくいくものだから、ここ10年ほど、世界のトレンドとしては、「目障りな左派政治家は、メディアを使って、汚職疑惑を盛り上げて潰す」という感じになっています。去年のボリビアのクーデターも、エクアドルも、全く同じ手口です。
まあ、新自由主義っていうのは、国民を痛めつけますが、富裕層にとっては笑いが止まらない政策なので、利権を享受するためならなんでもやるんでしょうね。
安倍政権にしたって、大企業や富裕層への課税を極力減らし、さらに、国民の年金を溶かして株の買い支えなんてやっているわけですから、そういう人たちにとっては打出の小槌なわけです。
ついでに、政権に近いと、犯罪でも不起訴にしてもらえたり、コネを期待してオイシい話がいくらでも転がり込んでくるわけですから、こうなるともう笑いが止まりません。是が非でもそういうオイシい状況は維持したいわけですし、そこに至らない人も、なんとか近づいておこぼれに預かろうと、一生懸命、ヨイショに励むわけですね。
40年ぐらい前の中南米が、けっこうオーバーラップしてくる感じですが。
と、まあ、日本はそれほど特別なわけではなく、世界はこういうふうにつながっているわけです。
とはいえ、それでも、今回のコロナ騒ぎで、トランプやボルソナロのトンデモさが明らかになってきましたし、思いつきと利権誘導まみれの日本の政策に、さすがに批判の声が高まりつつあるというところで、少し流れが変わるのではないかとほんのちょっぴり期待はしています。
ただ、そう言ってしまうには、犠牲が大きすぎるのですけどね。
7月は大丈夫かと思ったのですが、それどころか、8月も難しいかもしれません。
日本を含むアジア圏では謎の理由により重症化率や死亡率が低いので、米国やブラジルのようなことになっていないだけで、和牛券にアベノマスク、GO TO TRAVELと次々に国民の税金をドブに捨てて、お友達に利権をばらまくという、世界でも例を見ない政策てんこ盛りの中、新型コロナ蔓延には終わりの兆しが見えません。
で、その、ブラジルですが。
確認されているだけで、感染者が230万近く。死亡者も85000人近くです。
一日あたりの感染者数が6万超えとか、大統領も陽性とか。
日本でも知名度が上がってきた、そのボルソナロ大統領は、軍が担ぎ出した人物です。
ブラジルは1964年から85年まで軍事政権で、反対派を激しく弾圧し、暗殺が横行し、音楽家などもほとんど亡命してしまうぐらいひどい状況だったのですが、それが85年にやっと民主化しました。
ただ、そのあとも、政権が不安定な状況が続いていたのですが、2006年に、労働組合の代表だったルーラが大統領になって、やっと安定して、国民のための政策が取られるようになってきます。
左派政権て、よく「バラマキ」に走って経済を悪化させると日本で思われているんですが、ルーラの時代、ブラジル経済は絶好調となります。ちなみに、中南米では、70年代から80年代に、軍事政権が軒並み新自由主義をガンガンに導入し、10年がかりで、国民からボロボロにむしりとってしまいますが、その反動で生まれた一連の左派政権が、新自由主義と決別することで、ガタガタになった格差社会や教育を是正し、経済を少しづつ立て直します。
そんなわけで、ルーラの人気は抜群でしたが、ブラジルでは大統領の再選ができないので、ルーラの後継者のジウマ・ルセフが大統領に立候補、ブラジル初の女性大統領になります。
ところが、このルセフに汚職疑惑が持ち上がり、弾劾されることに。
この汚職疑惑自体が、結局、まともな証拠は出てこず、まるで陸山会事件みたいな話なのですが、メディアが「黒」と決めつけて、ものすごいバッシングをおこなったのと、副大統領だったテメルが、ルセフに不利な証言をしたので、弾劾が通ってしまったのです。もちろん、後ろにいたのは、米国とブラジル財界です。(ちなみに、そのあと、汚職をしていたのは、このテメルの方だったことが明らかになります)
自分が大統領になるために、ルセフをハメた疑惑もあって、テメルの人気は最悪。リオ・オリンピックでは開会式の大統領の挨拶のときに、前代未聞の大ブーイングが起きるほどでした。
そのテメルの任期満了後の大統領選挙で、再度、立候補しようとしたのが、元大統領のルーラです。
ルーラの国民的人気は絶大だっただけに、これはもう当選確実、となっていたところに、今度はルーラに汚職疑惑が持ち上がり、なんとブラジル検察はルーラを逮捕し、立候補できないようにしてしまいました。
まあ、これも具体的な証拠はほとんどないに等しい疑惑で、そのせいで、ルーラはパリ市から「世界で最も有名な政治犯」として名誉市民に選出されています。この件は、世界的にはそういう評価です。
とはいえ、逮捕されてしまったので、立候補は無理。党もすぐに有力な後継者を出せなかったということもあって、2018年の大統領選では、軍と経団連をバックに付けたボルソナロが通ってしまったわけです。
2018年といえば、軍事政権が終わって33年。もう若い世代には実感がなかったというのが大きかったようです。
で、この人は、まあ、軍がバックアップしているだけあって、軍事政権にも賛成しているような人。なんとチリのピノチェトを尊敬していると発言したり、トランプのことも大好きというような筋金入りの極右で、ベネズエラが揉めていたときには、野党の指導者を全面バックアップして、ベネズエラ現政権潰しに尽力していました。
人種差別発言などもひどく、黒人や先住民、女性や同性愛者に対する露骨な差別はもちろん、アジア人蔑視丸出しの発言もしていますが、日本経済新聞の特派員さんなどは、そのアジア人蔑視発言ですら「悪意はない」とか必死で庇ってヨイショしていた、と、まあ、そういうところに、日本の経団連との関係は実にわかりやすい、というような人です。
今回のコロナでは、コロナは風邪だと言い張って、ブラジルを感染者・死者世界二位に押し上げました。
ポピュリストが人気を集めただけ、とレッテルを貼るのは簡単ですが、こういうトンデモな政治家がのさばるようなことになった理由として、一つ言えるのは、メキシコの2006年の大統領選挙や2010年の陸山会事件でやられたように、検察とメディアがタッグを組めば、(あるいはその両方を丸め込めたら)、世論操作やでっちあげが簡単だということです。
強力で目障りな政治家がいたら、司法取引かそれに類するもので「証人」を一人か二人作れば、汚職疑惑なんていくらでもでっち上げることができるし、そうやって逮捕や起訴すれば、政治活動を止めることができる。なにより、左派寄りの支持者ほど、指導者に清廉潔白さを求めるので、メディアが「汚職だ腐敗だ、政治とカネだ」と連日騒ぐだけで、簡単に水をぶっかけることができるんです。そこは自民党支持層とは逆。
逆に、誰が見ても明白な汚職があっても、検察が動かず、メディアがあんまり騒がなければ、人の噂も75日で、なんとなく。ずるずる立ち消えになって忘れ去られるんです。今の安倍政権下の日本がまさにそうですが、
で、これが面白いほどうまくいくものだから、ここ10年ほど、世界のトレンドとしては、「目障りな左派政治家は、メディアを使って、汚職疑惑を盛り上げて潰す」という感じになっています。去年のボリビアのクーデターも、エクアドルも、全く同じ手口です。
まあ、新自由主義っていうのは、国民を痛めつけますが、富裕層にとっては笑いが止まらない政策なので、利権を享受するためならなんでもやるんでしょうね。
安倍政権にしたって、大企業や富裕層への課税を極力減らし、さらに、国民の年金を溶かして株の買い支えなんてやっているわけですから、そういう人たちにとっては打出の小槌なわけです。
ついでに、政権に近いと、犯罪でも不起訴にしてもらえたり、コネを期待してオイシい話がいくらでも転がり込んでくるわけですから、こうなるともう笑いが止まりません。是が非でもそういうオイシい状況は維持したいわけですし、そこに至らない人も、なんとか近づいておこぼれに預かろうと、一生懸命、ヨイショに励むわけですね。
40年ぐらい前の中南米が、けっこうオーバーラップしてくる感じですが。
と、まあ、日本はそれほど特別なわけではなく、世界はこういうふうにつながっているわけです。
とはいえ、それでも、今回のコロナ騒ぎで、トランプやボルソナロのトンデモさが明らかになってきましたし、思いつきと利権誘導まみれの日本の政策に、さすがに批判の声が高まりつつあるというところで、少し流れが変わるのではないかとほんのちょっぴり期待はしています。
ただ、そう言ってしまうには、犠牲が大きすぎるのですけどね。
桜もさることながら、いま、中南米がすごいことに
日本では、「桜を見る会」問題が炎上しております。
桜の花びらのように、次から次から、はらはらと火の粉が飛び散る姿が、もうなんともいえないですが、この件に関しては、郷原先生や米山先生の記事が、問題点を実にわかりやすく解説しておられるので、私からはあえて、説明はいたしますまい。
それにしても、あちら様の言い訳も日ごとに支離滅裂になってきていまして、もう、日本の劣化ぶりを象徴するような状況になってきています。いや、モリカケでの公文書廃棄あたりでもう十分劣化し、詰んでたんですけどね、今回の、言った端から嘘がばれる感て、東大まで出た官僚が、幼稚園児レベルの言い訳が通用すると思っているらしいところが、ほんとに凄いっす。金融緩和が異次元なら、倫理はブラックホールでございますわ。
まあ、ニューオータニも、アレなことに巻き込まれてしまいましたね。
5000円で飲み放題付きの立食パーティーができるんなら、うちの会でも来年の総会はあそこで決まりかなと思ったぐらいですし、申し込みが殺到しているんじゃないでしょうか。でもねえ、唐揚げで水増しなんて言われちゃって、あそこのダイニングバー、けっこう私は個人的に好きなんですけど、料理長さんが号泣しておられそうです。ていうか、安く見られそうで、もう接待に使えないじゃんねえ。(笑) それに、ああも現政権とつーかーだってバレちゃうと、会話とか録音されてそうで厭だし。
でも、それはそれとして、いま、中南米が、ほんとうにすごいことになっているのです。
ボリビアのクーデターについては先日書きましたが、その後、どさくさまぎれに自称暫定大統領に就任した ジャニーヌ・アニェスが、本来なら、選挙管理内閣として、早々にやり直し大統領選の期日発表をするはずが、(そして、本来なら、それは11月17日の日曜であったはずが)、それどころか、軍にエボ・モラレス支持派のデモの武力弾圧を指示し、キューバの医療団を逮捕拘束、ベネズエラ現政府と事実上断行して、米国の傀儡の自称大統領グァイド野党代表を承認、と、矢継ぎ早に、スーパー極右政策を実施。すでに、政府軍の弾圧で、死者も数十人出ていると。
もともと、ヘイトツイートなどをしていた疑惑が持たれている人だけに、いまさら驚くべきことではないのですが、一方で、アメリカとヨーロッパの二つのシンクタンクが、ボリビアの選挙結果はそもそも不正でも何でもなかったとして、不正選挙の疑いを煽って反政府デモを引き起こした米州機構を非難する流れも出てきていて、ボリビアの混乱が続くのは必至となりました。
で、その一方、チリも10月末から、反政府デモが大盛り上がりを見せています。
こちらは、反・新自由主義デモです。これで、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議も、急遽、開催地変更になりました。
発端は、地下鉄の値上げ発表で、これは日本でも多少報じられたので、たかが5円ぐらいの地下鉄値上げで、なんでそこまでの騒ぎになるの、なんか裏があるの?....と思われた方も多かったかと思います。
そうなんです。これは発端に過ぎません。
というか、積もり積もったものが、最後の一滴でコップから溢れた、というアレです。
新自由主義で格差が進んだ社会で、庶民の人たちが「もうこれ以上は騙されないぞ」と一気に爆発した、という感じ。
なので、最初、地下鉄駅や工場への放火など暴力的な面ばかりが日本でも報道されましたが、実際には、暴力的なのはごく一部で、しかも、ピニェラ大統領が、地下鉄値上げを凍結を発表した後も、むしろ平和的なデモや抗議行動が、各地に広がっています。
(不思議なことに、もともとかなり暴力色が強かったのに、それがネット動画などの拡散で隠しきれなくなるまでは、徹底して「平和的な抗議行動」と報道されまくっていた香港とは真逆のパターンです)
まあ、暴力的である、ということを口実にして、チリの現政府は、早々に非常事態宣言と外出禁止令を出して、軍で武力鎮圧しようとしたので、日本の新聞はそれに早々と迎合したってコトでしょうね。ベネズエラなんて、あれだけ争乱があっても、非常事態宣言出したりしなかったんですけどねえ。
それで、そのチリの抗議行動で、テーマ曲として復活したのが、かつて、軍事クーデターで虐殺された音楽家ビクトル・ハラの作った「平和に生きる権利」です。この歌は、ビクトルが1971年に発表した曲で、本来は、ベトナム戦争への米国の介入を非難した曲です。
それが、ほぼ半世紀の時代を超えて、米国べったりの政策で民衆を抑圧しようとする政権への抗議の象徴として、蘇ったと。
この10月25日の抗議行動のビデオを見ていただくだけで、その状況がおわかりになるだろうと思います。
これが Youtube で大拡散されたことで、27日には、チリのジャンルを超えたアーティストたちによる2019年版改訂版歌詞のオフィシャルビデオも登場。
(あら、八木のお友達がいっぱい出ているわ)
もちろん、チリの団結ソングの定番、「不屈の民」も健在です。それも、こんな感じで。
ということで、日本の報道とは裏腹に、チリの抗議活動に参加しているのは、平和的な人たちが大半であることはご理解いただけたかと思います。こういうのを朝日新聞が報道しないのって、ほんと不思議でなりません。
という間もなく、昨日はコロンビアで、反政府大デモと全国ストライキです。
これも、チリと同じく、格差が激化したコロンビアでも、新自由主義を押し進める政府に対しての抗議行動。
これに関して、チリでやったように「過激派の暴動」「暴力行為」を口実にして、政府側が、非常事態宣言で武力弾圧する事態を避けるために、先手を打って、ボゴダ芸術アカデミーの学生たちが、「私たちは芸術家、過激派じゃない」というテーマ曲を作って、Youtube で大アピール。
なるほど、軍の介入を防ぐ、新手の手段ですね。それも、芸大の学生と先生たちが総力を結集しただけあって、急遽作ったわりに、ものすごいクオリティの高さなので、必見です。
などというのもつかの間、前のエントリでも触れたように、左派のラファエル・コレアを追い出して極右化したエクアドルでも、先住民グループを中心に、政府への抗議行動が顕在化しており、一時、首都機能を移転するほどの騒ぎになっていたのですが、その中で、エクアドルの「新しい歌」の代表的グループ、プエブロ・ヌエボの歌手のフアン・パレーデスが、逮捕されるという事態が起こり、全ラテンアメリカの音楽家たちに、事態の拡散と抗議行動を呼びかける触書がまわってきております。
いまごろ、ラテンアメリカ各地でエクアドル大使館に対しての抗議行動が準備されています。
ということで、反新自由主義の高まり VS 極右回帰 が熾烈なことになっているラテンアメリカでは、音楽家が表舞台で、正面から、もちろん覆面などしないで、政治にコミットしている、ということをご理解いただけましたでしょうか。
桜の花びらのように、次から次から、はらはらと火の粉が飛び散る姿が、もうなんともいえないですが、この件に関しては、郷原先生や米山先生の記事が、問題点を実にわかりやすく解説しておられるので、私からはあえて、説明はいたしますまい。
それにしても、あちら様の言い訳も日ごとに支離滅裂になってきていまして、もう、日本の劣化ぶりを象徴するような状況になってきています。いや、モリカケでの公文書廃棄あたりでもう十分劣化し、詰んでたんですけどね、今回の、言った端から嘘がばれる感て、東大まで出た官僚が、幼稚園児レベルの言い訳が通用すると思っているらしいところが、ほんとに凄いっす。金融緩和が異次元なら、倫理はブラックホールでございますわ。
まあ、ニューオータニも、アレなことに巻き込まれてしまいましたね。
5000円で飲み放題付きの立食パーティーができるんなら、うちの会でも来年の総会はあそこで決まりかなと思ったぐらいですし、申し込みが殺到しているんじゃないでしょうか。でもねえ、唐揚げで水増しなんて言われちゃって、あそこのダイニングバー、けっこう私は個人的に好きなんですけど、料理長さんが号泣しておられそうです。ていうか、安く見られそうで、もう接待に使えないじゃんねえ。(笑) それに、ああも現政権とつーかーだってバレちゃうと、会話とか録音されてそうで厭だし。
でも、それはそれとして、いま、中南米が、ほんとうにすごいことになっているのです。
ボリビアのクーデターについては先日書きましたが、その後、どさくさまぎれに自称暫定大統領に就任した ジャニーヌ・アニェスが、本来なら、選挙管理内閣として、早々にやり直し大統領選の期日発表をするはずが、(そして、本来なら、それは11月17日の日曜であったはずが)、それどころか、軍にエボ・モラレス支持派のデモの武力弾圧を指示し、キューバの医療団を逮捕拘束、ベネズエラ現政府と事実上断行して、米国の傀儡の自称大統領グァイド野党代表を承認、と、矢継ぎ早に、スーパー極右政策を実施。すでに、政府軍の弾圧で、死者も数十人出ていると。
もともと、ヘイトツイートなどをしていた疑惑が持たれている人だけに、いまさら驚くべきことではないのですが、一方で、アメリカとヨーロッパの二つのシンクタンクが、ボリビアの選挙結果はそもそも不正でも何でもなかったとして、不正選挙の疑いを煽って反政府デモを引き起こした米州機構を非難する流れも出てきていて、ボリビアの混乱が続くのは必至となりました。
で、その一方、チリも10月末から、反政府デモが大盛り上がりを見せています。
こちらは、反・新自由主義デモです。これで、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議も、急遽、開催地変更になりました。
発端は、地下鉄の値上げ発表で、これは日本でも多少報じられたので、たかが5円ぐらいの地下鉄値上げで、なんでそこまでの騒ぎになるの、なんか裏があるの?....と思われた方も多かったかと思います。
そうなんです。これは発端に過ぎません。
というか、積もり積もったものが、最後の一滴でコップから溢れた、というアレです。
新自由主義で格差が進んだ社会で、庶民の人たちが「もうこれ以上は騙されないぞ」と一気に爆発した、という感じ。
なので、最初、地下鉄駅や工場への放火など暴力的な面ばかりが日本でも報道されましたが、実際には、暴力的なのはごく一部で、しかも、ピニェラ大統領が、地下鉄値上げを凍結を発表した後も、むしろ平和的なデモや抗議行動が、各地に広がっています。
(不思議なことに、もともとかなり暴力色が強かったのに、それがネット動画などの拡散で隠しきれなくなるまでは、徹底して「平和的な抗議行動」と報道されまくっていた香港とは真逆のパターンです)
まあ、暴力的である、ということを口実にして、チリの現政府は、早々に非常事態宣言と外出禁止令を出して、軍で武力鎮圧しようとしたので、日本の新聞はそれに早々と迎合したってコトでしょうね。ベネズエラなんて、あれだけ争乱があっても、非常事態宣言出したりしなかったんですけどねえ。
それで、そのチリの抗議行動で、テーマ曲として復活したのが、かつて、軍事クーデターで虐殺された音楽家ビクトル・ハラの作った「平和に生きる権利」です。この歌は、ビクトルが1971年に発表した曲で、本来は、ベトナム戦争への米国の介入を非難した曲です。
それが、ほぼ半世紀の時代を超えて、米国べったりの政策で民衆を抑圧しようとする政権への抗議の象徴として、蘇ったと。
この10月25日の抗議行動のビデオを見ていただくだけで、その状況がおわかりになるだろうと思います。
これが Youtube で大拡散されたことで、27日には、チリのジャンルを超えたアーティストたちによる2019年版改訂版歌詞のオフィシャルビデオも登場。
(あら、八木のお友達がいっぱい出ているわ)
もちろん、チリの団結ソングの定番、「不屈の民」も健在です。それも、こんな感じで。
ということで、日本の報道とは裏腹に、チリの抗議活動に参加しているのは、平和的な人たちが大半であることはご理解いただけたかと思います。こういうのを朝日新聞が報道しないのって、ほんと不思議でなりません。
という間もなく、昨日はコロンビアで、反政府大デモと全国ストライキです。
これも、チリと同じく、格差が激化したコロンビアでも、新自由主義を押し進める政府に対しての抗議行動。
これに関して、チリでやったように「過激派の暴動」「暴力行為」を口実にして、政府側が、非常事態宣言で武力弾圧する事態を避けるために、先手を打って、ボゴダ芸術アカデミーの学生たちが、「私たちは芸術家、過激派じゃない」というテーマ曲を作って、Youtube で大アピール。
なるほど、軍の介入を防ぐ、新手の手段ですね。それも、芸大の学生と先生たちが総力を結集しただけあって、急遽作ったわりに、ものすごいクオリティの高さなので、必見です。
などというのもつかの間、前のエントリでも触れたように、左派のラファエル・コレアを追い出して極右化したエクアドルでも、先住民グループを中心に、政府への抗議行動が顕在化しており、一時、首都機能を移転するほどの騒ぎになっていたのですが、その中で、エクアドルの「新しい歌」の代表的グループ、プエブロ・ヌエボの歌手のフアン・パレーデスが、逮捕されるという事態が起こり、全ラテンアメリカの音楽家たちに、事態の拡散と抗議行動を呼びかける触書がまわってきております。
いまごろ、ラテンアメリカ各地でエクアドル大使館に対しての抗議行動が準備されています。
ということで、反新自由主義の高まり VS 極右回帰 が熾烈なことになっているラテンアメリカでは、音楽家が表舞台で、正面から、もちろん覆面などしないで、政治にコミットしている、ということをご理解いただけましたでしょうか。
Live Information
12月5日(木) 六本木 Nochero
(東京都港区六本木6-7-9 川本ビルB1) お問い合わせ/03-3401-6801
1st 19:30 2nd 21:00 (入れ替えなし) Charge:2,600円(おつまみ一品付)
アクセス/日比谷線・大江戸線六本木駅より徒歩2分
2019年も残りわずか。本年最後のNochero定例ライブです。どうぞご期待!
ギター福島久雄さん。
ネット予約はこちら http://www.nobuyoyagi.com/event.html
12月5日(木) 六本木 Nochero
(東京都港区六本木6-7-9 川本ビルB1) お問い合わせ/03-3401-6801
1st 19:30 2nd 21:00 (入れ替えなし) Charge:2,600円(おつまみ一品付)
アクセス/日比谷線・大江戸線六本木駅より徒歩2分
2019年も残りわずか。本年最後のNochero定例ライブです。どうぞご期待!
ギター福島久雄さん。
ネット予約はこちら http://www.nobuyoyagi.com/event.html
昨日、ボリビアでクーデターがありました

昨日、ボリビアでクーデターが起きた。そして、先住民出身の大統領エボ・モラレスが亡命した。
いやあ、革命とかクーデターのお盛んなラテンアメリカらしいですねえ…. (とか言ってる場合ではありませんよね)
クーデターではないと主張しておられる向きもありますが、官邸で軍と警察に辞任を強く要求されて、その後、大統領が亡命を余儀なくされているんですから、クーデターでしょうよ。辞任を要求されたその瞬間に、たとえ銃を突きつけられていなかったとしても、自分やそれ以外の多くの人間の命に真剣に関わる問題だと思うから、辞任し、亡命するからで。
もっとも、背景は、シンプルではない。
エボは、2006年、先住民としてはじめて大統領になり、先住民の権利向上に尽力した。先住民言語のアイマラ語を公用語化し、国名もボリビア共和国から、ボリビア多民族国家に変更した。劣悪な状態だった貧困層の保健衛生を劇的に向上させ、教育水準を上げ、ボリビアの地下に眠る天然ガスと石油を国有化し、農地改革を行い、大農場主から接収した土地の所有権を先住民に引き渡した。経済政策も成功させ、世界でも最貧国のひとつとされ、しかも極端なまでの格差社会だったボリビアに、曲がりなりにも中間層を生み出した。
そして、そういう大統領は、当然ながら、既得権益層からは、ポピュリストとレッテルを貼られ、嫌われ、叩かれる。
しかも、ボリビアは元々、複雑な国である。50年代から2000年代初頭まで、クーデターが頻発し、猫の目のように政権が変わることでも知られた。左派は分裂し、翻弄され、チェ・ゲバラが非業の死を遂げたのが、まさにボリビアであったことは、知られているが、これとて、単に CIA の陰謀が……というような話ではない。当時、ボリビアの共産党も農民も、社会主義革命を目指すゲバラを「敵」と見做し、攻撃する側に加わったのである。
貧困率が60%を超える国であったのに、だ。それがゲバラの誤算だった。
そういう、複雑極まりない背景があることも知っておかなければならない。
このあたりの、ボリビアの歴史的背景は日本ではほとんど知られていないし、参考資料も少ないのだが、興味のある方は、なんと、海堂尊氏の小説「ゲバラ漂流」に詳しいので、けっこうおすすめできる。

これはゲバラの生涯とキューバ革命を描いている大作で、現在で4巻まで出ているのに、まだキューバ革命がぜんぜん始まらない(笑)という超大作なのだが、その2巻目が、ちょうどゲバラ青年が、1952年のボリビア革命に巻き込まれるところから始まっていて、ボリビア政界の魑魅魍魎っぷりがじっくりと描かれている。1巻(いわゆる「モーターサイクル・ダイアリー時代」が描かれている)を未読で、ここから初めても面白いので、お薦め。
(このシリーズの良いところは、歴史書で読むと死ぬほど退屈で、しかも頭がこんがらがるラテンアメリカ現代史を、かなりわかりやすく、しかも小説仕立てで面白く読めるところだ。さすがに日本で一番退屈とされる厚生労働省の会議を、面白く読める長編小説に仕立て上げた作家だけのことはある。ただし、小説なので、一部、真っ赤な「作り話」もあるので、そこだけは注意されたいが、かなりおすすめできるラテンアメリカ近代史入門書である)
話戻るが、まあ、そういう歴史的背景のある国で、エボ・モラレスが圧倒的な支持を得て当選し、数々の社会改革を成し遂げてきたことは、本当に、特筆に値するのだが、当然ながら、就任直後から反対も根強かった。ブッシュなどは、彼を麻薬の売人呼ばわりしたものである。
さらに言うと、そこでエボは3選した。任期15年。そして4選を狙っての大統領選で躓いた。
ボリビアの憲法では4選を禁じている。そもそも3選も禁じていたのだが、これは憲法を改正したのだ。これは国民投票の60%以上の賛成で可決された。
そして、4選目を迎えたわけだが、ここで問題がある。この4選目を可能にするための国民投票は、否決された。つまり、国民はエボの第4期を望まなかった。4選となれば20年。長期独裁だと叩く野党側の主張の方が、国民に受け入れられたことになる。
にもかかわらず、エボは大統領選を強行し、自ら立候補した。
その結果、選挙不正があったという話になり、国内で反政府デモが起こる騒ぎとなった。
この状況に、エボは再選挙の実施を申し出たが、軍と警察が大統領に辞任を要求した、という流れだ。
そういう意味では、今回の流れは、そう簡単ではない。4選を可能にするための国民投票が否決になった段階で、彼は別の方法を採るべきであった、というのが正論だ。
後継者をうまく育てることができなかったのが失敗という批判もあるだろう。
しかし、隣の国のエクアドルで、ラファエル・コレア大統領は、同じく、2度の再選のあと、後継者として育ててきた(つもりだった)副大統領のレニン・モレノに見事なまでに裏切られた。モレノはコレアの全面的支援を受けて当選したにもかかわらず、その後、完全に掌を返して、財界と手を握って新自由主義へと180度の舵を切り、コレアのやってきた改革を次々に潰し、それに反発して反対派をまとめようとしたコレアやその側近をでっち上げの汚職の罪で逮捕しようと試み、亡命に追い込んだ。いわゆる「国の乗っ取り」だ。これがほんの2年前のことである
(ちなみに、先月、エクアドルの首都機能が移転させられるほどに激化した先住民デモは、このモレノ大統領の押し進める新自由主義政策の結果、悲惨なことになった先住民の人たちの抵抗運動である)
エボが、この事件に無関心でいられるわけがないのは当然だろう。うかつに後継者を決められなかったことも理解できる。
他にもっとなにかいい方法があっただろうと、口で言うのは簡単だが、実際には難しかっただろう。
さらに、ここに、日本でも人気の高い、かのウルグアイの「世界一貧乏な」ぺぺ・I ムヒカ元大統領の名言が重なる。
「左派は理想で分裂するが、右派は利権で団結する」
ああ、真理である。(日本もそうだよね)
右派の政治家は、相当のことをやらかしていても、利権をばらまける限り、その支持者は離れないし、左派やリベラルの政治家は些細なスキャンダルや疑いで、己の支持者から辞職勧告を突きつけられがちってことだ。
ボリビアでもこれが起こった。従来、エボを支持していた人たちが、長期独裁だなんだという極右のデモに扇動されて大統領を叩く事態になったわけ。
それが、警察や軍に大義名分を与えたと。
まあ、それに加えて、このロイターの記事の「暮らしにゆとりが出るほど、国民は政治指導者の不正に寛大でなくなることがあるのだ。そもそも指導者が良い変化をもたらすのを助けたのであっても」という指摘も、今回の場合、なかなかいいところを突いているといえる。
そのエボが亡命申請をし、瞬殺で受理したのがメキシコのロペス=オブラドール大統領。米州機構に緊急総会を呼びかける と共に、速攻でメキシコ外務大臣自身が護衛を引き連れて、エボの保護にボリビアに向かい、飛行機に乗せて、メキシコに連れ帰った。
その間も、ずっとツイートしてたというのが、とっても今っぽいが、そもそも、30年代メキシコはトロツキーを受け入れ、スペイン市民戦争時は大量のスペイン共和国支持者を受け入れ、その後はアルゼンチンやチリや中米の軍事政権亡命者を受け入れてきたという伝統がある。日本からは佐野碩さんもお世話になっていますね。
メキシコでは、#BienvenidoEvo (ようこそエボ)というハッシュタグで、お祭り騒ぎの大盛り上がり、というのが現況。ワールドカップ決勝かよ。
一方で、米ホワイトハウスはというと、速攻でボリビアの政変に祝意を表明し、「ベネズエラやキューバにも波及するように」と表明した。(エクアドルやチリにも、と言っていないところにご注目。これで、この件の意味がよくわかりますね)
https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/statement-president-donald-j-trump-regarding-resignation-bolivian-president-evo-morales/
ボリビアでは、今後、まともな選挙が行われるのか。野党統一候補となっていたメサが政権に就いたとして、(選挙では、彼は、天然ガスや石油の民営化は行わないとは言っていましたが)、その後の政策がどうなるのか。
ちなみに、ボリビアの天然ガスは南米2位、リチウムの埋蔵量は世界一というところも注目ポイントだ。
これから注視してきたいところである。
エボ・モラエスがメキシコに到着したところのニュース映像
超絶面白いラテンアメリカ映画の件
さて、ひさびさの映画ネタです。
じつは、ものすごく面白い映画を見つけ、それを字幕翻訳することにしました。
....という、ガルシア=マルケスの小説顔負けの、「衝撃の実話」のドキュメンタリーです。
どうです。面白そうでしょう?

ファンタジーのようでいて、じつは、法とは何か、裁くとは何か、正義とは何か、ということを考えさせる内容でもあります。民間伝承の生まれ方、という点でも興味深い。
そして、話の内容もさることながら、最高峰の音楽家たちが参加した、アルゼンチン北西部の民俗音楽も素晴らしいのです。
.....というわけで、この映画の字幕制作のためのカンパを、いま、集めております。
下記でクラウドファンディングを開始いたしましたので、ぜひ、予告編だけでもごらんください。(もちろん日本語字幕付きです)
https://readyfor.jp/projects/caido
映画やミュージカルでも有名な「エビータ」の死後、国内混乱の末にクーデターで成立したアルゼンチン軍事政権は、数万人とも言われる行方不明者を出したあげく、1982年のフォークランド紛争後に崩壊します。
しかし、その後も軍事政権の恐怖政治の爪痕は残っていたと言われており、長い時間をかけて、いまも軍事政権時代に何が起こっていたのかという事実の検証が行われているのです。
この映画は、その検証調査の中で明らかになって、全アルゼンチンに衝撃を与えた事件の詳細が、ドキュメンタリーになったというだけではありません。
真実が明らかになっていく過程は、ミステリ小説のようにスリリングです。そして、恐怖政治の下に置かれた人間の心理というものの普遍性にも迫っていくように思われます。
そして、すべてが明らかになったとき、「聖人」に対して、村の人々の取った行動は? そこで下した決断とは?
それは、日本に生きる私たちにとっても、とても興味深い80分となることを保障します。
本当に素晴らしい、そして内容の深い映画ですので、是非、ご協力いただけましたら、幸いです。また、もし可能なようでしたら、お友達などにも、声をかけていただけましたら、心から感謝いたします。
映画公式ページ(日本語)
http://caido.latinamerica-movie.com/
じつは、ものすごく面白い映画を見つけ、それを字幕翻訳することにしました。
1970年代、軍事政権下のアルゼンチン・トゥクマン州の片田舎ポソ・オンドの村に、天から男の遺体が落ちてきた。
軍のヘリから落とされたらしいその遺体を、村人たちは丁重に供養するが、いつしか、拝むと御利益があると信じられるようになり、聖人として信仰の対象となっていった。
それから40年の時を経て、その村に、調査団の法医学者たちがやってきた。
「聖人の遺体」を掘り返すことに抵抗する村人を説得し、DNA鑑定を行ったことで、その「天から落ちてきた男」にかかわる驚くべき真実が明らかになっていくー。
遺体は本当に聖人にふさわしい存在だったのか?
そもそも、どうして天から落ちてきたのか?
なぜ村人は彼を祀ったのか?
1970年代、軍事政権下のアルゼンチンで何が起こっていたのか?
「男」の出身地に伝わっていた悪魔伝説の真相は?
そして、すべてが明らかになったとき、「聖人」に対して村の人々の取った意外な行動とは?
軽快なアルゼンチン民謡のリズムに乗って、信じられないような実話を追う中で、今もアルゼンチンの社会に影を落としている事件が、ミステリアスに浮かび上がってくる。
軍のヘリから落とされたらしいその遺体を、村人たちは丁重に供養するが、いつしか、拝むと御利益があると信じられるようになり、聖人として信仰の対象となっていった。
それから40年の時を経て、その村に、調査団の法医学者たちがやってきた。
「聖人の遺体」を掘り返すことに抵抗する村人を説得し、DNA鑑定を行ったことで、その「天から落ちてきた男」にかかわる驚くべき真実が明らかになっていくー。
遺体は本当に聖人にふさわしい存在だったのか?
そもそも、どうして天から落ちてきたのか?
なぜ村人は彼を祀ったのか?
1970年代、軍事政権下のアルゼンチンで何が起こっていたのか?
「男」の出身地に伝わっていた悪魔伝説の真相は?
そして、すべてが明らかになったとき、「聖人」に対して村の人々の取った意外な行動とは?
軽快なアルゼンチン民謡のリズムに乗って、信じられないような実話を追う中で、今もアルゼンチンの社会に影を落としている事件が、ミステリアスに浮かび上がってくる。
....という、ガルシア=マルケスの小説顔負けの、「衝撃の実話」のドキュメンタリーです。
どうです。面白そうでしょう?

ファンタジーのようでいて、じつは、法とは何か、裁くとは何か、正義とは何か、ということを考えさせる内容でもあります。民間伝承の生まれ方、という点でも興味深い。
そして、話の内容もさることながら、最高峰の音楽家たちが参加した、アルゼンチン北西部の民俗音楽も素晴らしいのです。
.....というわけで、この映画の字幕制作のためのカンパを、いま、集めております。
下記でクラウドファンディングを開始いたしましたので、ぜひ、予告編だけでもごらんください。(もちろん日本語字幕付きです)
https://readyfor.jp/projects/caido
映画やミュージカルでも有名な「エビータ」の死後、国内混乱の末にクーデターで成立したアルゼンチン軍事政権は、数万人とも言われる行方不明者を出したあげく、1982年のフォークランド紛争後に崩壊します。
しかし、その後も軍事政権の恐怖政治の爪痕は残っていたと言われており、長い時間をかけて、いまも軍事政権時代に何が起こっていたのかという事実の検証が行われているのです。
この映画は、その検証調査の中で明らかになって、全アルゼンチンに衝撃を与えた事件の詳細が、ドキュメンタリーになったというだけではありません。
真実が明らかになっていく過程は、ミステリ小説のようにスリリングです。そして、恐怖政治の下に置かれた人間の心理というものの普遍性にも迫っていくように思われます。
そして、すべてが明らかになったとき、「聖人」に対して、村の人々の取った行動は? そこで下した決断とは?
それは、日本に生きる私たちにとっても、とても興味深い80分となることを保障します。
本当に素晴らしい、そして内容の深い映画ですので、是非、ご協力いただけましたら、幸いです。また、もし可能なようでしたら、お友達などにも、声をかけていただけましたら、心から感謝いたします。
映画公式ページ(日本語)
http://caido.latinamerica-movie.com/