キューバでの想い出(その2)

 80年代。
 キューバの田舎は、なかなか楽しいところだった。なにより、首都では不足気味の野菜が豊富だった。
 ハバナから始まって、マタンサス、サンタ・エスピリトゥ、トリニダード、カマグエイ、オルギン、バヤモ、サンティアゴ。すべて、乗り合いバスの旅だ。
 どこでも、キューバの人たちは、最初のうちは、「バス停にいる外国人」をうさんくさげに見ていたが、すぐに誰かが話しかけてきて、うちとけ、いろいろ教えてくれた。

 古都トリニダードに着いて、安ホテルに向かうと、満室だと断られた。そこのフロントで教えてもらった別のホテルに行ったら、見るからに外国人向けホテルで高そうだ。これは、まずいよ。
trinidad1.jpg
 しょうがないので、もう一回安ホテルで交渉しようと道を戻っていくと、教会前の公園から、なんとも美しい歌声が流れてくる。
 わお。

 公園に入っていくと、ベンチで美少年がギターを弾きながら歌っていた。
 思わず前で聞き惚れていると、少年は「あなた、どこから来たの?」と問う。
「日本から。もっと歌ってくれる?」
「いいけど.......今夜はこの街に泊まるの?」
「.....それが、ホテルがいっぱいでね、いま泊まれるところを捜してるの」
「ああ、じゃあちょうどいい」
 意外なことを少年は言った。
「うちに泊まればいい。今晩『トローバの夜』があるんだ」
「なにそれ?」
「この街のトロバドールが集まって、みんなで歌を歌う集まりだよ」

 トロバドールというのは、19世紀末ぐらいからキューバで起こった叙情的な歌を歌う人たちだ。中世ヨーロッパの吟遊詩人(トロバトゥール)のキューバ版である。
 それって、ものすごい幸運じゃないか!

 そこでさっそく誘いに乗ることにして、バッグを担いで、少年の後ろについていった。

 と。

「お嬢さん、外国の人だね。どこに行くの?」と、すれ違ったおじさんが、見とがめたように声をかけてきた。
「『トローバの夜』に招待したんだ」と、少年。
「トロバドールの集会があるんですって」と、私。

 おじさんは、なんともいえない表情になった。
「お嬢さん、お泊まりのホテルはどこですか?」
「それが、ホテルがいっぱいで泊まるところがなくて」と、私。
「ぼくんちに泊まるんだ。どうせ『トローバの夜』だし」と、少年。

 おじさんは、さらになんともいえない顔をして眼鏡を拭くと、私にこう言った。
「あのですね。先に言っておきますが、私はおすすめしませんからね」
「失礼ですけど、あなたはどなた?」
「革命防衛委員会のものです」

 出たっ! 革命防衛委員会だってよ! やっぱ社会主義!

「つまり、この人の家に泊まるのは禁止っていうことですか」
 おじさんはまた困った顔をした。
「禁止、ではありません。あなたにはどこにでも泊まることができます。ただ、あまりおすすめできないと...」
「なぜですか?」
「だって、今夜は街中のトロバドールが集まるんですよ」
「それのどこがいけないんですか?」
「いや、いけなくはないが....」

と、少年が私の手を引っぱった。「さ、放っといて。さ、行こう」

 おじさんを残して、私たちは歩いていく。
「あのさ、外国人の私を家に泊めたりして、迷惑はかからないの?」
「いや、べつに。きっとみんな喜ぶよ」

 荷物を置いて一休みすると、もう日が暮れかけていた。
 すると、三々五々、人が集まってくる。白い人、黒い人。

「あたしは、ラ・プロフンダ」
 見るからにキャラの濃ゆそうなおばさんが、ドスの利いた声で自己紹介した。「この街イチの、トローバの歌い手さ」
 プロフンダというのは、深淵という意味だ。深遠なる女性。すごい渾名だ。

trinidad3.jpg 彼女は、ギターを取って、弾きはじめた。スペインの船にまつわる物語の歌。たぶん古い歌だ。すぐに少年が3度並行でハーモニーをつけた。美しい。なんて贅沢。
 続いて、別の、愛の歌。
 それから、みなが順番に弾き歌いの宴会が始まった。

 ........そして、朝の4時ごろ。
 私は外気と夜明けの光を浴びに、よろよろと外に出た。

「おお、大丈夫かね」
 なんとそこにいたのは、革命防衛委員会のおじさんである。

「え、ずっと外にいたんですか?」
「まさか。ただ、朝早く目が覚めたんで、気になってきてみたんだ........眠れなかっただろ」
「...........はい」
「気分は大丈夫か? 水飲む?」
「...........大丈夫です」

 おじさんは私を自分の家に案内した。そこから2ブロックほどのところだった。
 奥さんがにこにこしながら水を出してくれて、「ベッドがあるから、眠りたかったら、寝てもいいのよ」と言う。
 お言葉に甘えて、少し眠らせてもらい、目が覚めたら8時ぐらいだった。
 朝ご飯ができていた。

「外国の人が泊まるところがなくて、トロバドールの家に泊まるなんて言うから、私はあの人に怒ったの。うちに連れてくれば良かったのにって」
「だって、お前に無断で決めるわけにはいかないし、それにこの人が」
「いえいえ、私が自分で泊まりたいって言ったんです」

 その時点で、私は、なぜ、おじさんが「禁止ではないが、おすすめできない」と言ったのか理由がわかっていた。

 連中は、呑む。

 一曲弾き歌うとギターを回し、次の人が一曲歌う。これが延々と続く。そして、その間、延々とラム酒がふるまわれる。
 ラ・プロフンダの歌はすばらしく味があった。他の人たちの歌もそれぞれ良かった。さらに、ギターの弾き語りだけではなくて、パーカッショニストの人もいて、トゥンバドーラ(コンガ)の妙技を、曲芸もどきの技まで披露してくれ、私にリズムの取り方やクラベスの叩き方を指南してくれた。(だいぶあとでわかったが、この人は「伝説の名手」として有名な人だった)
 それはすばらしい体験だった。言葉にできないほどの贅沢だ。

 しかし、連中は呑む。trinidad2.jpg

 明け方、歌い疲れ、呑み疲れて、皆がひっくり返るまで。
 それが『トローバの夜』の正体だった。

「あいつら、ものすごい呑むやろ」
「すごかったっす」
「君、よく倒れなかったな。酒強いんやね」
「いや、かなりセーブしてごまかしてましたから」

 途中で、このままだと急性アルコール中毒になると思ったので、呑んでるふりしてごまかしてたのだ。
 つまり、おじさんは、朝の4時ぐらいに皆が酔いつぶれるだろうと踏んで、様子を見に来たってわけだ。

「トリニダードは、アル中ばっかりというわけではないから」
「いや、それはわかってます」

 おいしい朝ご飯のあと、おじさんはやはり近所に住んでいるという、街の地元史研究家のところに連れていってくれた。そこで美味しいコーヒーとやたらに甘いお菓子をいただきながら、トリニダードの街の歴史についての講義を受けた。革命防衛委員会のおじさんとしては、トリニダードがアル中だらけだというイメージを断固として外国人に持ってもらいたくなかったようだった。

 でも、おじさんごめん。
 いまでも私はトリニダードを想うとき、やっぱり思い出すのは、あの教会とトローバと強烈なラムなんだよね。
 みんな、どんだけタフなの〜!
 
※:この時代、外国人はどこでも民泊できたが、現在、法律が改正され、無認可ホテルの脱税を防ぐため、キューバ人の家に泊まるには、査証が必要になっている(一般観光客は、ビザ無し+ツーリストカードのみで入国できる)。
 一方で、ホテルや民宿の数は劇的に増えたため、泊まれないことはほぼなくなっている。

※その後も、私はあちこちで「トロバドールの宴会」に行く機会があったが、ほぼ例外なく、酒がつきものだった。

キューバでの想い出(その1)

 私がキューバに最初に行ったのは1983年のことだった。それはメキシコ人学生向けの激安パックツアーで、往復の航空チケットと安ホテルだけ、というパッケージだった。
 その頃の私は、キューバって北朝鮮みたいなところだと信じていたので、話の種に行ってみよう、これが最初で最後だし、と思ったのだ。
 到着したハバナの空港はしょぼくて、葉巻の香りが漂っていた。
 空港からホテルまでバスで着くと、国営旅行社クーバツールのお姉ちゃんが、
「帰国便に乗るための送迎バスの時間だけは厳守してくださいね。乗り遅れたら自腹で正規運賃払ってもらうことになりますよ。ではあとはご自由に」
 ツアーの中にいたメキシコ人の男の子が、「あのー、このホテル以外のところに泊まってもいいですか?」
 私は、その質問に、こいつ馬鹿じゃないのかと思った。『社会主義国』だよ、ここは。
 しかし旅行者のお姉ちゃんは、にっこり笑ってこういった。
「キューバ人の彼女できるかもしれないじゃない。野暮なこと言わないわよ。あんたの守らなきゃいけないルールは、帰りの送迎バスの時間厳守だけ」

 その日からハバナの街を散策しまくった。街で知り合いになった人の家にも遊びに行った。
 それでも疑いを捨てきれなかった。私が見ているのは一面ではないのか。
 知り合いになったキューバ人にそう言ったら、あっさりと「だったら、田舎に行ってみればいい」
「えっ、行けるの?」
 相手は呆れたように答えた。「そりゃバスか列車に乗ったらね」

 ただ、そのパック旅は地方に行くには短すぎた。数年後、私はキューバに戻った。
 その前に、ダイヤモンド社の『地球の歩き方』編集部に売り込んだ。私はすでにメキシコ編の一部を執筆しているライターだったからだ。しかし、答えはノーだった。
「社会主義国で、自由旅行なんてできるわけないでしょ。できないとわかっているものに取材費は出せません」
(当時の「地球の歩き方」は今と違って、個人自由旅行者向けの本だったのだ)

 そこで、私は、「自由旅行をしてみせたら、キューバ編を刊行する」という約束を取りつけてキューバに旅立つことにした。そして、まずメキシコで情報を集め、ビザを取った。
 そんなある日、メキシコのホテルのロビーで、まったく偶然に、ちょうどキューバからメキシコに公演に来ていた音楽家のパブロ・ミラネスにばったり会った。
 見たで、その顔。ポスターで。
 げ。パブロ・ミラネスやん。本物の。

 驚いていたら、当のパブロ・ミラネスは私を見て、隣にいた友人に言った。
「中国人の子が、オレ見てびびってるよ。きっと、はじめてナマで黒人見たんだぜ」

「私は中国人じゃなくて、びびってるんでもありません。パブロ・ミラネスさん」
 スペイン語でそう返すと、パブロは真っ赤になって(黒人だけど)、謝罪した。お詫びにとコーラをおごってくれた。(子供扱いやな)
 その時に、彼に尋ねた。
「キューバにちょっと長期で行きたいと思ってるんですけど、なんか問題ありますかね」
「問題って?」
「危険とか犯罪とか」
 すると、パブロ・ミラネスはにたっと笑って、こう言った。
「キューバはすごく危険だよ。行ったらキミはぜったい心を奪われるね」

 それで、私はキューバに行った。ハバナでは外国人向けの高いホテルは最初の一泊だけして、あとはキャンセル。キューバ人向けの激安ホテルに引っ越した。そのホテルに外国人が泊まったことは長らくなかったらしく、ホテルのスタッフは大喜びだった。ついでに、他の宿泊客(地方から出張で来ていたキューバ人)ともいろいろ知り合い、地方旅行の情報をせしめることができたのは僥倖だった。

 日本の映画関係者の人に頼まれた資料のために、地方に出る前に、国営映画公社ICAICのオフィスを訪ねた。ちょうど、黒澤明映画週間の準備中だった。たまたま、そこにいた背の高い兄ちゃんに訊かれた。
「お父さんは(日本)大使館の人?」
「違います」
「キューバに親戚とかいるの?」
「いません」
「なんかの団体?」
「ひとりです」
「ひとりで? なにしにキューバに来たの?」
「来たらいけませんか」
 その人は困った顔で言った。
「いやだって、日本は米国べったりだろ。だから、キューバのことも、散々ひどいことを言われてるんじゃないかと思って」
「それはまあ、そのとおりですね」
「それなのに、キューバに来るって....怖いとか思わなかったの」
「自分の目と足で確認しないことは、たやすくは信じないたちなんです」
「君、変わってるな」
「よく言われますね」
 すると、その兄ちゃんは、ポケットからメモ用紙を出して、自分の名前と電話番号をメモして、こう言った。
「じゃあ、こうしよう。僕が君の最初のキューバ人の友達になるから、君がぼくの最初の日本人の友達になってくれないかな」
「あなたと友達になって、私に何かメリットあります?」
「......困ったことがあったら、できるだけのことはするよ。それが友達ってことだと思うから」
 その『私のキューバ人の最初の友達』とは、いろいろ紆余曲折はあったが、いまでも友情が続いている。

 その友達の最初のアドバイスはこうだった。ヒッチハイクする時は、アメ車よりラダ(ソ連製の車)かモスコビッチ(ソ連製の車)を狙え。(※1986年時の話です)
「ラダとかモスコビッチに乗っているのって政府関係者が多いので、犯罪に巻き込まれる可能性が圧倒的に低いと思う」
「キューバって犯罪多いんですか」
「いや、あんまり聞かないけど、ただ、どんな国でも犯罪はあるよ。用心はするに越したことないからね」

 そして、地方を2か月弱歩いた。どこでも日本人は珍しかったので(※1980年代のことね)、よく「可哀想なベトナム人の留学生」と間違われて、道ゆくおばあさんとかがお菓子とかパンをめぐんでくれた。
 地方での旅も、キューバ人向けの激安ホテルに泊まり、宿のないところでは、バスの中で知り合ったキューバ人のご家庭に泊めてもらった。

 そういう旅が可能だったのが、日本では「とんでもなく危険な国」「そもそも自由旅行なんてできるわけがない」と思われていたその頃のキューバだった。
 この貧乏旅行でとったメモは、その後、ダイヤモンド社から出た日本で最初のキューバの旅行ガイドブック「地球の歩き方 メキシコ・キューバ・中米編」という形で日の目を見る。


『生きていくために』パブロ・ミラネス

法的に虐殺を裁くということ:映画「グラニート 独裁者に爪をかけろ!」

 80年代のグァテマラで、20万人もの人々が虐殺されたという恐ろしい事実をご存じの方は、どれぐらいおられるだろうか。
 現在のシリア内戦に匹敵する数字で、言うまでもなく、たくさんの難民も生み出した。
 にもかかわらず、このとんでもない事実が日本ではあまり知られていないのは、当時、国際的に大きく報道されることがなかったからだった。

 虐殺を行ったのは、当時のグァテマラ政府。そして、そのグァテマラ政府の所行を知りながら、黙認し、軍事援助さえ行っていたのが、ほかならぬ、アメリカ合衆国だったのだ。

 そして、20年の時を経て、この虐殺を検証し、当時の責任者を訴追するという動きが現れた。

 といっても、実はそれほど簡単なことではない。20年前に虐殺が存在したことを立証し、かつ、その虐殺が、当時の大統領や政府高官の命令でおこなわれ、彼らはそれを認識していたということを、法的に、証拠をもって、立証しなくてはならない。

 この訴追事件を追ったスリリングな映画が、本邦初公開される。それも無料

 フライヤー掲載の「あらすじ」をここに引用する。

 ある日、ニューヨークのドキュメンタリー映画作家パメラのもとに、スペインの国際弁護士アルデムナから連絡が入る。現在、スペインで進行中の、「80年代の中米グァテマラでの先住民大量虐殺事件」について、当時の独裁者リオス = モント将軍を国際法廷で訴追するための証拠を捜しているというのだ。パメラは、80年代にグァテマラで、虐殺事件の取材をしたことがあった。その経験をもとにドキュメンタリー映画『山が震えるとき』を発表し、サンダンス映画祭グランプリを獲得、また、その主要出演者だったマヤ・キチェー族の女性運動家リゴベルタ・メンチュウを世界に紹介したことがある。しかしまだ、グァテマラでの膨大な未編集のフィルムが倉庫に眠っている。

 これらを証拠に、行方不明者45000人を含んで、20万人にも及ぶグァテマラのジェノサイドとその責任を立証できるか。

 アルデムナの依頼に応じてフィルムを捜すうち、彼女の過去の記憶が鮮烈に蘇る。山地のゲリラ軍に極秘裏に接触した経験、その事実を隠して軍関係者と親しくなり同行取材した経験、大統領自身とのインタビュー ....。

 そして、この国際法廷での証拠捜しと証言を通じて、20年の時を経て、ふたたび彼女は、当時の関係者と相まみえることになる。彼女に山で取材することを許したゲリラ司令官、彼女が乗っていた軍のヘリを撃墜した先住民ゲリラ兵士、何者かかから軍の秘密書類を託された女性ジャーナリスト。そして、軍によって村ごと虐殺され、家族も皆殺しにされた中で、奇跡的に生き残った先住民の男性...。さらにパメラの取材は、現在のグァテマラに続く。生命の脅迫を受けながら、グァテマラ市内から次々発掘される死体を調査する死体考古学者、父親が行方不明になったまま成長した少女。大量に発見された警察の 極秘文書。笑って虐殺の存在そのものを否定する大統領自身に対し、彼が当時のジェノサイドの最高責任者であったことをどう立証するか。スペインの裁判所は、それに対してどう判断を下すのか。彼らの息が詰まるような攻防が始まる。

 内容の重いドキュメンタリーだが、一級のサスペンス映画に似た見応えのある作品である。
 日本語字幕製作には、私もかかわらせて頂いた。

 お時間のある方は、是非、ごらん頂きたい。

2015年11月11日(水) 17:00-19:00
上智大学四ツ谷キャンパス 2号館409教室

(最寄り駅:JR/地下鉄東京メトロ南北線・丸ノ内線四ツ谷駅)

参加費無料・事前登録不要・日本語字幕付

主催:上智大学グローバル・コンサーン研究所 
お問い合わせ: i-glocon@sophia.ac.jp / 03-3238-3023
フライヤーダウンロードはこちら


予告編(英語版)

ベネズエラではいま何が起こっているのか

テレビ朝日がこのところ日和っている件について、現場では放送免許取消を恐れているとかいないとか。

しかし、実際に放送免許の更新停止と言えば、ベネズエラのテレビ局RCTVの件が有名だ。
この件は、ベネズエラのチャベス政権の言論の自由弾圧と世界中に喧伝され、非難を浴びたが、実際には、このテレビ局が行ったことがクーデターの露骨な幇助のための捏造報道であったことはほぼ明らかになっている。

そして、今年の2月にもベネズエラではクーデター計画が発覚して、カラカス市長が逮捕される事態になり、さらに3月に米国による対ベネズエラ経済制裁が発表され、激しい中南米各国の反発を招いた。

キューバと米国の歴史的な雪解けの一方で、ベネズエラでいったい何が起きているのか。
ちょうど良いタイミングで興味深い講演会があるのでご紹介する。

セイコウ・イシカワ大使は名前の通り日系の方だが、講演はスペイン語(通訳付き)。面白いイベントになりそうである。

<アジア記者クラブ5月定例会>

ボリバル革命17年の歩みを語る
ベネズエラは米国の脅威ではない

■日時:2015年5月20日(水)18時45分〜21時
■会場:明治大学グローバルフロントホール/★要予約(定員120名)
(東京都千代田区神田駿河台2-1/JR・地下鉄「御茶ノ水」/都営線・地下鉄「神保
町」下車)
■主催:アジア記者クラブ(APC)
■資料代:非会員1500円/会員1000円
■ゲスト:セイコウ・イシカワ駐日ベネズエラ・ボリバル共和国大使

フライヤーダウンロード

CNNスペイン語放送の記者が首都カラカスのスラム街バリオの住民に、「ベネズエラがキューバのような国になってもいいのですか?」と尋ねたのは13年前のことだ。
電気も水道もなく、学校や病院にも行けない住民は、キューバのような社会になって問題が解決するなら「その方がいい」と答えた途端、生放送が遮断されてしまった。貧困にあえいでいた国民の70%を代表するチャベス政権が誕生して以来、国民生活の水準は劇的に改善した。しかし、そうした実情は17年間、米政権と一体となった旧支配層が経営する国内メディア産業と欧米主流メディアによって真実が遮断され、チャベス大統領の改革を強権政治、人権侵害だと批判するキャンペーンが繰り返されてきた。
 既存メディアが殆ど伝えなかった軍事クーデターが発覚した2月、マドゥーロ大統領は、米国民衆に宛て「ベネズエラは米国の脅威ではない」という書簡を発表した。ロドリゲス外相も記者会見で対等な関係を米国に求めた。中南米諸国は一致してベネズエラ政府を支持しており、3月にベネズエラへの制裁を発表したオバマ政権も手が出せない状況だ。
 昨年7月からは今年で開局10周年を迎える衛星放送局テレスールが待望の英語放送を開始した。世界中から参加を求めて制作者やジャーナリストが集まっている。
 5月定例会は、セイコウ・イシカワ大使をお迎えし、ベネズエラ情報が統制・操作されている中で、なぜチャベス政権が民衆に支持され、17年間で劇的に何が変化したのか、テレスールが民衆のための放送局(メディア)として果たしている役割についても語っていただき、みなさんと対話していただきます。

★予約⇒お名前、所属、会員の有無、Eメール、電話番号を記載の上、必ず2日前までにEメール(apc@cup.com 宛)でお申込み下さい。
 非会員の方には、ベネズエラ特集を組んだAPC通信2号分を差し上げます。他にも配布資料が多いので、準備の関係上、必ず2日前までの予約をお願いします。

カウントダウン段階になってきたキューバ・米国の国交回復

 共同通信から最新のニュースが入った。
「米CNNテレビは7日、米国務省当局者の話として、同省が8日にもキューバに対するテロ支援国家指定解除をオバマ大統領に勧告する見通しだと報じた。
 キューバ側は指定解除を強く求めており、1959年のキューバ革命以来、半世紀以上にわたって敵対してきた米国との国交正常化交渉が一気に加速する可能性が高まった。

 10日からパナマで開かれる米州首脳会議に出席するオバマ氏とキューバのカストロ国家評議会議長による正式な首脳会談が実現する公算も出てきた。」
 http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/international/international/1-0120928.html

 これで、一気にキューバと米国の国交正常化が加速することになりそうだ。

 ここで、4ヶ月ほど前に書いたキューバ・米国関連のブログ記事がよく読まれているようなので、少し補足しておく。

 キューバの首都ハバナには、世界文化遺産に指定されている、美しい植民地建築の残る旧市街と、20世紀前半に米国スタイルで建築された新市街がある。
 数年前の段階で、すでに、キューバの新市街のランドマークで、革命前はヒルトン・ホテルだったホテル・ハバナ・リブレのロビーは、英語を話す観光客で一杯だった。米国とキューバとの国交がないという事実は、まるでそこにないようだった。30年前からハバナで見かける観光客と言えばロシア人やドイツ人ばかりだったし、20年前なら、メキシコ人かヨーロッパ人だったが、いまでは、ハバナの街では普通に米国人観光客を見かける。

 それもそのはず。メキシコやジャマイカからの便に加えて、1999年から、チャーター便という形式ながら、米国財務省の許可を受けて、フロリダ州タンパやマイアミ、カリフォルニアからも毎日飛んでいるのだ。
 
 これらのチャーター便を飛ばしていたのは、カリフォルニアの旅行代理店キューバン・トラベル・サービス社。まず、ロサンゼルスからハバナまでの直行便をチャーター機で飛ばし、さらに2001年には、マイアミーシエンフエゴ便を開設。さらに、フロリダ州タンパとラスベガスに支店を開設して、マイアミーハバナ間のチャーター便も毎日定期運行されるようになっていた。さらに、細々とながら、このチャーター便はキューバの地方都市にも路線を拡充していた。
 そして、今年、2015年1月には、オバマ大統領が、米国とキューバ間の旅行がもっと自由にできるようにと発言したことを受けて、3月18日から、ニューヨーク・ハバナ間の定期便をボーイング727-800機で週1回運行させることが発表された。価格も片道849ドル、往復で1334ドルと、少し高いがリーズナブルともいえる。この第1回のフライトの144席はあっという間にソールド・アウトになったという。

 この歴史的なフライトのニュースは、英国や米国では大々的に報じられた。
 http://www.theguardian.com/travel/2015/mar/18/new-york-to-cuba-first-direct-charter-flight-takes-off
 http://nypost.com/2015/03/18/nyers-enjoy-first-jfk-to-havana-flight-since-easing-of-travel-restrictions/

 最初の頃の、「親戚訪問」のためのチャーター便ではなく、公式には米国人はキューバに訪問できないはずであるにもかかわらず、すでに完全に、米国人のための、観光便である。

 いまだに日本では、海を越えて越境するキューバ人をニュースで流したりしているが、これが20年前なら「政治的迫害」を受けたことにしての「政治亡命者」扱いをしていたところが、すでに、その実態が「経済難民」であることは隠しようもなくなっている。
 実際に、技能の高い人たちの間では、すでに「亡命」ではなく米国で普通に活動するキューバ人も数年前から普通になっていた。
 とっくに実態は、硬直した政治よりも先を進んでいたのである。共和党がいかに反対しようとも、もはやせき止められない流れになっていると言って良いと思う。
 
 ちなみに日本からキューバに行かれる場合は、この米国のチャーター便は座席数が少ないので、あまりお勧めはできない。米国の大手エアラインが正式にキューバに就航するまでは、エア・カナダのトロント経由便(これが一番安くて便利)、または、メキシコ観光も楽しむなら、メキシコからアエロメヒコやLCCのInterjet社を使うのが一般的だろう。
 キューバのホテルは、すでにネットで簡単に予約できる。

 というところでライブのお知らせです。
◆4月23日(木) 六本木 ノチェーロ
(東京都港区六本木6-7-9 川本ビルB1) お問い合わせ/03-3401-6801
1st 19:30 2nd 20:45 3rd 22:00(入れ替えなし) Charge:2,600円(おつまみ一品付)
アクセス/日比谷線・大江戸線六本木駅より徒歩2分   地図
メキシコでの充電を終え、六本木駅至近の最高の立地の音響の良いステージで、美しい歌曲の数々、是非ご堪能あれ! ギター福島久雄さん


 公式サイトも全面リニューアルしましたので、ぜひごらんください。
 http://nobuyoyagi.com
 Videoページ、CDページからは、キューバで絶賛を浴びたラテンジャズ&サルサバンドHAVATAMPAのライブ音源もお聴きになれます。
プロフィール

PANDORA

Author:PANDORA
ラテンアメリカと日本を拠点に活動する音楽家・作家 八木啓代のBlog
公式サイト http://nobuyoyagi.com

★CD情報
新作CD”Lagrimas”試聴やご購入はこちらから

★新刊情報
刑事司法への問い (シリーズ 刑事司法を考える 第0巻) (岩波書店)
日本の刑事司法の何が問題か、どのような改革が求められているか。刑事法研究者、実務法曹の他、八木も執筆しております。
禁じられた歌ービクトル・ハラはなぜ死んだか(Kindle版)
長らく絶版状態だった書籍をリクエストにより電子書籍で再版いたしました。八木啓代の原点です。
検察崩壊 失われた正義(毎日新聞社)
5刷。この一冊が検察にトドメを刺すことになるかもしれません
リアルタイムメディアが動かす社会(東京書籍)
超濃ゆいメンバーによる講義録!
ラテンに学ぶ幸せな生き方(講談社)
なぜラテン人は自殺しないの?に応えて3刷!好評発売中!
キューバ音楽(青土社)
ラテン音楽ファン必読!キューバ音楽のすべてが理論も歴史もわかります。浜田滋郎氏激賞
貧乏だけど贅沢(文春文庫)
沢木耕太郎氏との対談収録
ハシズム!(第三書館)
共著で橋下大阪市長を解剖します。

★ライブ情報
3月30日(木) 六本木・Nochero
Vo. 八木啓代 G. 福島久雄

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