フィクションの中の現実を生きていきましょう
レベル7になっちゃいましたね。
もうほんとに2ヶ月前ならSF小説の設定でしかなかったようなことが、すでに日常となっている日本でございます。
そして興味深く、かつ、確実に言えることは、政府は3月15~17日ぐらいの段階でレベル7であることを知っていながら、統一地方選が終わるまでその事実を開示しなかったということです。
もはやSFの世界に住んでいる私たちですから、では、ここでもう少し、仮定の話をしてみましょう。
もしこの3月半ば過ぎの時点でレベル7が発表されていたなら、統一地方選はすべて延期になっていたでしょうね。だって、日本の原発事故がチェルノブイリ並みであるという衝撃のもとでは、選挙どころではないでしょう。実際に、浦安市など、延期を強く求めている自治体もあったのです。
むろん、このような状況で選挙をやれば、圧倒的に現職及び与党、また、いわゆる「有名人」が有利になります。選挙カーでの連呼が自粛と称してあまり行われず、テレビでも選挙関連のニュースがほかのもっとインパクトのあるニュースによって扱いが押さえられている状況で、新人の名前や主張などが行き渡るはずもない。
それでも民主党は負けたじゃないか、と言われる方は多いでしょう。
その通りです。
でも、もしこの震災がなかったら、そもそも献金問題で菅首相はバッシングを受け、地方選での負け方もこんな程度のものでは済まなかったでしょう。当然、現執行部の責任の問われ方は半端ではなかったはず。原発推進派の方の当選だって、どうなっていたことやら。
歴史的に非常時は内閣に支持が集まりやすいという傾向があり、極めて低支持率の政権がそれで復活した例はいくらでもあります。最近のわかりやすい例だと、チリ・コピアポの鉱山事故時のチリの政権がそうですね。支持率低迷にあった大統領は、この事故の対応で存在感をアピールし、米国との好関係を強調し、支持を伸ばすことに成功した。
以前に書いた、小沢問題とあまりに酷似していたメキシコの大統領選のケースでも、疑惑の得票率で当選し、その結果として、まっとうな大統領就任式さえできなかったほど史上最低の支持率だった大統領は、その後、突然起こった「豚インフル騒動」と「麻薬戦争」で、そこそこの支持率を回復することができたのです。
この日本でも震災当初、こまめに記者会見する枝野氏に声援が送られるという現象がありました。一般的には災害時には「一生懸命やっている官邸+政府与党」が注目され、選挙でも現職が圧倒的に有利になるものです。
だから原発事故がそれほどひどい状態にならず、1週間ぐらいで収束できていれば、おそらく管政権にかなりの支持が戻り、枝野氏にも次期首相の声が出ていた可能性は高い。レベル7を隠していたのは、つまり官邸が未曾有の事態に及んでも、政局を優先していたということでしょう。
選挙をやらないわけにはいかない以上、むしろ、このタイミングでやる方が、大敗を小敗程度にできると踏んだのだと私は考えます。
この震災のどさくさまぎれに仙谷氏も復帰し、菅氏も問題の献金を返却していた。この震災が、政局に利用されたことは、残念ながら明らかで、そのような内閣を持ってしまったことは私たちの不幸です。
けれど現状を嘆いていても仕方がない。今後、原発事故がさらに重大な問題となっていくことが明らかになった今、私たちは目を開き、耳を澄ませて、積極的に事態を見ていくしかないでしょう。そこでなにができるか、なにを選ぶか。結局は一人一人が自分の頭で考え、判断していくしかないのですから。
そして、そんな中でも、時間が来ればお腹が空き、眠くなります。
未来が見えない中でも、仕事は続きます。そのような日々だけが未来を紡いでいくようです。
私たちの特別企画のライブもリハーサルが始まりました。
実をいうと、郷原先生をゲストにというライブ、昨年の岩上安身さんのパーティーで生まれた企画です。とはいえ、この震災で、実現はやっぱり無理かと思ったのですが、そこは郷原先生がとんでもなく剛胆なところを見せて下さいました。
分刻みのスケジュールの中、息を切らせて、サックス抱えてスタジオに駆け込んでこられたのには驚きましたが.....。
「やるじゃないですか....」
というわけで、Twitter上ではやたらに謙遜していらっしゃいますが、ゲストといっても、ほんの一曲ぐらいだけ、無難な曲の無難なフレーズをちょこっと....なんてものじゃないですよ。スケジュール押さえが大変だった売れっ子ピアニスト阿部篤志さんの繊細で華麗なピアノの上で、郷原先生ご自慢のセルマーの名器 Firebird が炸裂です。
4.11高円寺デモでは、15000人の先頭で楽団を率いていらっしゃった大熊さんの超絶クラリネットがそこに切なく絡み、私の3オクターブ超ボイス・パーカションも曲によって乱入するかもしれません。
とにかく、かなりたっぷりと、いろいろ堪能できるてんこ盛りライブです。
もちろん、トークが楽しみで、という方もいらっしゃるかもしれませんが、プレイヤーとしての郷原先生と、個性派プロ軍団の華やかな掛け合いは、これだけでも値打ちがあると断言してしまいましょう。
それにもしこれが本当ならば、緊張していらっしゃる郷原弁護士を目撃できる機会なんて、もう二度とないかもしれませんし。(笑)
郷原先生が、なんと、ビジネススーツ以外のコスチュームも見せていただけるかもしれないというお話でもありますので、このあたくしも、久々にイブニングドレスで、迎撃させていただきます。
もちろんトークでも......やはり他では聞かれないお話をして頂けるものと確信しております。
まだお席には余裕がございますので、ぜひ、この機会をお見逃し無きよう。
もうほんとに2ヶ月前ならSF小説の設定でしかなかったようなことが、すでに日常となっている日本でございます。
そして興味深く、かつ、確実に言えることは、政府は3月15~17日ぐらいの段階でレベル7であることを知っていながら、統一地方選が終わるまでその事実を開示しなかったということです。
もはやSFの世界に住んでいる私たちですから、では、ここでもう少し、仮定の話をしてみましょう。
もしこの3月半ば過ぎの時点でレベル7が発表されていたなら、統一地方選はすべて延期になっていたでしょうね。だって、日本の原発事故がチェルノブイリ並みであるという衝撃のもとでは、選挙どころではないでしょう。実際に、浦安市など、延期を強く求めている自治体もあったのです。
むろん、このような状況で選挙をやれば、圧倒的に現職及び与党、また、いわゆる「有名人」が有利になります。選挙カーでの連呼が自粛と称してあまり行われず、テレビでも選挙関連のニュースがほかのもっとインパクトのあるニュースによって扱いが押さえられている状況で、新人の名前や主張などが行き渡るはずもない。
それでも民主党は負けたじゃないか、と言われる方は多いでしょう。
その通りです。
でも、もしこの震災がなかったら、そもそも献金問題で菅首相はバッシングを受け、地方選での負け方もこんな程度のものでは済まなかったでしょう。当然、現執行部の責任の問われ方は半端ではなかったはず。原発推進派の方の当選だって、どうなっていたことやら。
歴史的に非常時は内閣に支持が集まりやすいという傾向があり、極めて低支持率の政権がそれで復活した例はいくらでもあります。最近のわかりやすい例だと、チリ・コピアポの鉱山事故時のチリの政権がそうですね。支持率低迷にあった大統領は、この事故の対応で存在感をアピールし、米国との好関係を強調し、支持を伸ばすことに成功した。
以前に書いた、小沢問題とあまりに酷似していたメキシコの大統領選のケースでも、疑惑の得票率で当選し、その結果として、まっとうな大統領就任式さえできなかったほど史上最低の支持率だった大統領は、その後、突然起こった「豚インフル騒動」と「麻薬戦争」で、そこそこの支持率を回復することができたのです。
この日本でも震災当初、こまめに記者会見する枝野氏に声援が送られるという現象がありました。一般的には災害時には「一生懸命やっている官邸+政府与党」が注目され、選挙でも現職が圧倒的に有利になるものです。
だから原発事故がそれほどひどい状態にならず、1週間ぐらいで収束できていれば、おそらく管政権にかなりの支持が戻り、枝野氏にも次期首相の声が出ていた可能性は高い。レベル7を隠していたのは、つまり官邸が未曾有の事態に及んでも、政局を優先していたということでしょう。
選挙をやらないわけにはいかない以上、むしろ、このタイミングでやる方が、大敗を小敗程度にできると踏んだのだと私は考えます。
この震災のどさくさまぎれに仙谷氏も復帰し、菅氏も問題の献金を返却していた。この震災が、政局に利用されたことは、残念ながら明らかで、そのような内閣を持ってしまったことは私たちの不幸です。
けれど現状を嘆いていても仕方がない。今後、原発事故がさらに重大な問題となっていくことが明らかになった今、私たちは目を開き、耳を澄ませて、積極的に事態を見ていくしかないでしょう。そこでなにができるか、なにを選ぶか。結局は一人一人が自分の頭で考え、判断していくしかないのですから。
そして、そんな中でも、時間が来ればお腹が空き、眠くなります。
未来が見えない中でも、仕事は続きます。そのような日々だけが未来を紡いでいくようです。
私たちの特別企画のライブもリハーサルが始まりました。
実をいうと、郷原先生をゲストにというライブ、昨年の岩上安身さんのパーティーで生まれた企画です。とはいえ、この震災で、実現はやっぱり無理かと思ったのですが、そこは郷原先生がとんでもなく剛胆なところを見せて下さいました。
分刻みのスケジュールの中、息を切らせて、サックス抱えてスタジオに駆け込んでこられたのには驚きましたが.....。
「やるじゃないですか....」
というわけで、Twitter上ではやたらに謙遜していらっしゃいますが、ゲストといっても、ほんの一曲ぐらいだけ、無難な曲の無難なフレーズをちょこっと....なんてものじゃないですよ。スケジュール押さえが大変だった売れっ子ピアニスト阿部篤志さんの繊細で華麗なピアノの上で、郷原先生ご自慢のセルマーの名器 Firebird が炸裂です。
4.11高円寺デモでは、15000人の先頭で楽団を率いていらっしゃった大熊さんの超絶クラリネットがそこに切なく絡み、私の3オクターブ超ボイス・パーカションも曲によって乱入するかもしれません。
とにかく、かなりたっぷりと、いろいろ堪能できるてんこ盛りライブです。
もちろん、トークが楽しみで、という方もいらっしゃるかもしれませんが、プレイヤーとしての郷原先生と、個性派プロ軍団の華やかな掛け合いは、これだけでも値打ちがあると断言してしまいましょう。
それにもしこれが本当ならば、緊張していらっしゃる郷原弁護士を目撃できる機会なんて、もう二度とないかもしれませんし。(笑)
郷原先生が、なんと、ビジネススーツ以外のコスチュームも見せていただけるかもしれないというお話でもありますので、このあたくしも、久々にイブニングドレスで、迎撃させていただきます。
もちろんトークでも......やはり他では聞かれないお話をして頂けるものと確信しております。
まだお席には余裕がございますので、ぜひ、この機会をお見逃し無きよう。
取りいそぎ
明日予定しておりました。六本木Nocheroでのライブは、東日本大震災および福島原発事故、また、停電による交通混乱などに鑑みまして、中止とさせて頂きます。
危険な男は囁く
「50年代のハバナ。ホテル・サン・ジョーンのピコ・トゥルキーノにいる気分でギターを弾くから、君もそのつもりで」
凄い指定である。
キューバ人以外で、こう言われてわかる人間がいたら、それは相当なヲタクである。
いや、キューバ人であっても、若い世代やカタギの人にはわかんないかもしれない。
50年代の革命前夜のハバナ。フィーリンの黄金時代。
フィーリン (Filin) とは、英語のFeelingからきた単語で、トローバとジャズが融合した、ロマンティックなキューバのバラード歌曲だ。
ハバナはヌエボ・ベダード地区の、当時のヒルトンホテル(現ハバナ・リブレ・ホテル)裏手にあったこぢんまりしたホテル・サンジョーン。その最上階にあった伝説的なバー「ピコ・トゥルキーノ」こそが、そのフィーリンの本拠だった。
ホセ・アントニオ・メンデス、セサル・ポルティージョ・デ・ラ・ルス、フランク・ドミンゲスといったあの時代の綺羅星のような作曲家たちが、みずから自作自演で弾き歌っていた場所。
むろん、私と同世代のフェリペ・バルデスがリアルタイムでそこにいたわけではない。というか生まれてすらいない。
しかし、彼は、伝説的な作曲家たちにかわいがられ、彼らの晩年にともに演奏し、フィーリンの女帝と呼ばれた大歌手エレーナ・ブルケの専属ギタリスト長年勤めてきた。誰もが認めるフィーリンのギターの第一人者だ。
そして、彼は、私が、「50年代のホテル・サン・ジョーンのピコ・トゥルキーノ」と言われて、それがどういうことを意味するか即座にわかる人間であることを知っている。
その瞬間、目を閉じれば、私はメキシコのレコーディングスタジオでTシャツとジーンズではなく、ラムと葉巻の香りに包まれて、黒い長いドレスを着てハイヒールを履いていた。
セサル・ポルティージョの名曲「愛の苦しみ」。
超絶技巧的でタイトでトリッキーなギターが、絶妙なバランスで歌を華やかに彩る。
そういう「古き良き時代のラテンの名曲なら全部インプットされていて、どんなキーででも完璧に演奏できる」生き字引みたいなギタリストに、あえて新曲の演奏まで頼む私は、かなり根性が悪い。というか、贅沢癖がついている。.....とは思う。
「君だからやるんだ。他の歌手なら断っている。たとえマレーナ・ブルケ(エレーナ・ブルケの娘)でもだ。ほかならぬ君だから、だよ」
出たあっ! そういうことを1mmのためらいもなく、耳元で囁くのが彼である。
すなわち、骨の髄までラテン男なんである。でも、ありがとう、恩に着るよ。
そしてもうひとつのジョローナ。こちらはギター・ヴァージョンだ。タイトで美しいギターが響く。
1時間半ほどで3曲の収録を終えると、フェリペは別れ際に私の頬にキスして言った。
「なにか政治関連で揉めてるらしいという話を聞いたときには、昔、君がニカラグアやキューバにいたせいでの、CIAがらみの蒸し返しなのかとばかり思っていたが、なんと日本のことだったとはねえ」
やっぱりその話かよ。
「新聞読んだよ。ホームページも見に行った。日本人は真面目で几帳面なだけに、暴走するとシャレにならんようだ」
あー、なるほどね、真面目で几帳面だから、暴走すると行くとこまで行っちゃうわけね。で、そういうことを君は熱く瞳を見つめながら、耳元で囁くわけね。
「アルバムの出来は問題ない。それ以外のことも大丈夫だとも。なにせあの時代の中米を経験している君だから、ビビることなんてどうせ何もないんだろう。ま、何かあったらいつでも電話してくれ。ここにいつだって君の役に立つ男がいる」
あのね。それって歌手にたいしての褒め言葉じゃないし、口説き文句にもなってないぞ、フェリペ。たとえ君が元特殊部隊だとしてもな。
凄い指定である。
キューバ人以外で、こう言われてわかる人間がいたら、それは相当なヲタクである。
いや、キューバ人であっても、若い世代やカタギの人にはわかんないかもしれない。
50年代の革命前夜のハバナ。フィーリンの黄金時代。
フィーリン (Filin) とは、英語のFeelingからきた単語で、トローバとジャズが融合した、ロマンティックなキューバのバラード歌曲だ。
ハバナはヌエボ・ベダード地区の、当時のヒルトンホテル(現ハバナ・リブレ・ホテル)裏手にあったこぢんまりしたホテル・サンジョーン。その最上階にあった伝説的なバー「ピコ・トゥルキーノ」こそが、そのフィーリンの本拠だった。
ホセ・アントニオ・メンデス、セサル・ポルティージョ・デ・ラ・ルス、フランク・ドミンゲスといったあの時代の綺羅星のような作曲家たちが、みずから自作自演で弾き歌っていた場所。
むろん、私と同世代のフェリペ・バルデスがリアルタイムでそこにいたわけではない。というか生まれてすらいない。
しかし、彼は、伝説的な作曲家たちにかわいがられ、彼らの晩年にともに演奏し、フィーリンの女帝と呼ばれた大歌手エレーナ・ブルケの専属ギタリスト長年勤めてきた。誰もが認めるフィーリンのギターの第一人者だ。
そして、彼は、私が、「50年代のホテル・サン・ジョーンのピコ・トゥルキーノ」と言われて、それがどういうことを意味するか即座にわかる人間であることを知っている。
その瞬間、目を閉じれば、私はメキシコのレコーディングスタジオでTシャツとジーンズではなく、ラムと葉巻の香りに包まれて、黒い長いドレスを着てハイヒールを履いていた。
私がどんなにあなたを想っているか
その気持ちを伝えることができたら....
その気持ちを伝えることができたら....
セサル・ポルティージョの名曲「愛の苦しみ」。
超絶技巧的でタイトでトリッキーなギターが、絶妙なバランスで歌を華やかに彩る。
そういう「古き良き時代のラテンの名曲なら全部インプットされていて、どんなキーででも完璧に演奏できる」生き字引みたいなギタリストに、あえて新曲の演奏まで頼む私は、かなり根性が悪い。というか、贅沢癖がついている。.....とは思う。
「君だからやるんだ。他の歌手なら断っている。たとえマレーナ・ブルケ(エレーナ・ブルケの娘)でもだ。ほかならぬ君だから、だよ」
出たあっ! そういうことを1mmのためらいもなく、耳元で囁くのが彼である。
すなわち、骨の髄までラテン男なんである。でも、ありがとう、恩に着るよ。
そしてもうひとつのジョローナ。こちらはギター・ヴァージョンだ。タイトで美しいギターが響く。
死者は理由を捜す
この世を離れていくために
そして私は生きていく
あなたを愛しているがゆえ
明日には死んでもいい
必要であれば、今日でさえ
それでもあなたの墓碑を建てずに
私がここから去ることはない
魚は口から朽ちると
古えの賢人は言う
あなたに口づけられるなら
あなたのために死ぬだろう
この世を離れていくために
そして私は生きていく
あなたを愛しているがゆえ
明日には死んでもいい
必要であれば、今日でさえ
それでもあなたの墓碑を建てずに
私がここから去ることはない
魚は口から朽ちると
古えの賢人は言う
あなたに口づけられるなら
あなたのために死ぬだろう
1時間半ほどで3曲の収録を終えると、フェリペは別れ際に私の頬にキスして言った。
「なにか政治関連で揉めてるらしいという話を聞いたときには、昔、君がニカラグアやキューバにいたせいでの、CIAがらみの蒸し返しなのかとばかり思っていたが、なんと日本のことだったとはねえ」
やっぱりその話かよ。
「新聞読んだよ。ホームページも見に行った。日本人は真面目で几帳面なだけに、暴走するとシャレにならんようだ」
あー、なるほどね、真面目で几帳面だから、暴走すると行くとこまで行っちゃうわけね。で、そういうことを君は熱く瞳を見つめながら、耳元で囁くわけね。
「アルバムの出来は問題ない。それ以外のことも大丈夫だとも。なにせあの時代の中米を経験している君だから、ビビることなんてどうせ何もないんだろう。ま、何かあったらいつでも電話してくれ。ここにいつだって君の役に立つ男がいる」
あのね。それって歌手にたいしての褒め言葉じゃないし、口説き文句にもなってないぞ、フェリペ。たとえ君が元特殊部隊だとしてもな。
日記を書き続けることを止めない人たち
「なんで本番で、リハーサルと全然違うピアノを弾くのかなあ」
と、私はよろけながら、録音ブースから出てくる。
「ピアノが違うから」と平然とレオナルド。「それに今の出来は悪くなかったよ」
悪くないのはわかっている。くやしいことに良い出来だ。が。私が思っていたのと微妙に違う。
「こいつがこういう奴だと君は知らなかったわけじゃないだろ」とエンジニアのハビエル。「ピアノが弾けるだけが取り柄の、世間の一般常識が通用しない、どーしようもない奴だ」
そう言いながら、いまや有名プロデューサーなのに、初日開幕早々にボランティアの音響エンジニアとして、ほいほい来ている君だって。
罵倒を平然と受け流して、ピアニストは言う。
「じゃ今の保存しといて。違うピアノ弾くから、次のテイクいこう」
そしてマルシアル・アレハンドロのもうひとつの遺作曲。うって変わって、静謐なピアノが流れる。
「日々を生きていくために日記を書き続けることを止めない人たち」
歌い終わって余韻が消えても、誰もOKともNGとも言わなかった。
ブースから出ると、音響のハビエルが赤い目をしていた。
「やっぱりバカピアニストの話に乗って良かった。いまのこれを聴けただけで」
「だから俺の言うことを聞いてりゃ間違いないんだよ、アホエンジニアが」
ピアニストも袖で目頭をぬぐっていた。
と、私はよろけながら、録音ブースから出てくる。
「ピアノが違うから」と平然とレオナルド。「それに今の出来は悪くなかったよ」
悪くないのはわかっている。くやしいことに良い出来だ。が。私が思っていたのと微妙に違う。
「こいつがこういう奴だと君は知らなかったわけじゃないだろ」とエンジニアのハビエル。「ピアノが弾けるだけが取り柄の、世間の一般常識が通用しない、どーしようもない奴だ」
そう言いながら、いまや有名プロデューサーなのに、初日開幕早々にボランティアの音響エンジニアとして、ほいほい来ている君だって。
罵倒を平然と受け流して、ピアニストは言う。
「じゃ今の保存しといて。違うピアノ弾くから、次のテイクいこう」
そしてマルシアル・アレハンドロのもうひとつの遺作曲。うって変わって、静謐なピアノが流れる。
平穏に生きてゆく人たち
通りすがりに悪さなどしない人たち
そんな人たち万歳
ものを創りあげていく人たち
自らの手で
求めるより与えることを知る人たち
そんな人たち万歳
そんな人たちこそ称賛に値する
ニスを塗らなくても輝く人たち
惨めにも不幸にならないよう
一人でも口笛を吹いて歩いていく人たち
口づけに心の半分を込めることのできる人たち
そういう人たち
自らの野生を御しつつ
生き抜いていく人たち
そんな人たち万歳
日々を生きていくために
日記を書き続けることを止めない人たち
そんな人たち万歳
そんな人たちこそ称賛に値する
一献の酒を捧げ
地平が灰色に塗りつぶされても歌い続ける
そんな人たち
幸せなときに
ただ微笑んでいる
そんな人たち万歳
通りすがりに悪さなどしない人たち
そんな人たち万歳
ものを創りあげていく人たち
自らの手で
求めるより与えることを知る人たち
そんな人たち万歳
そんな人たちこそ称賛に値する
ニスを塗らなくても輝く人たち
惨めにも不幸にならないよう
一人でも口笛を吹いて歩いていく人たち
口づけに心の半分を込めることのできる人たち
そういう人たち
自らの野生を御しつつ
生き抜いていく人たち
そんな人たち万歳
日々を生きていくために
日記を書き続けることを止めない人たち
そんな人たち万歳
そんな人たちこそ称賛に値する
一献の酒を捧げ
地平が灰色に塗りつぶされても歌い続ける
そんな人たち
幸せなときに
ただ微笑んでいる
そんな人たち万歳
「日々を生きていくために日記を書き続けることを止めない人たち」
スペイン語の詩を歌いながら、私の頭に日本が浮かぶ。たくさんのたくさんのブロガーたち。ツイッターで呟く人たち。出口の見えない暗雲が頭の上にある時代だからこそ、日記を書き続け、発信していくことを生のエネルギーへと変えていく人たち。いや、日本だけではない。世界中にそんな人々がいるのかもしれない。
この歌は、まさに、いまの時代の歌だ。詩人の遺作にふさわしく。
そして「地平が灰色に塗りつぶされても歌い続ける」人たち。
....これは、私が歌わなくてはならなかった歌だ。この歌は、まさに、いまの時代の歌だ。詩人の遺作にふさわしく。
そして「地平が灰色に塗りつぶされても歌い続ける」人たち。
歌い終わって余韻が消えても、誰もOKともNGとも言わなかった。
ブースから出ると、音響のハビエルが赤い目をしていた。
「やっぱりバカピアニストの話に乗って良かった。いまのこれを聴けただけで」
「だから俺の言うことを聞いてりゃ間違いないんだよ、アホエンジニアが」
ピアニストも袖で目頭をぬぐっていた。
カナリアを歌わせる人々
「君はしばらく録音していない。レコーディングが必要なら、このスタジオを好きに使えばいい」
オーナーの言葉に、私は耳を疑った。
ソニーやユニバーサルのようなメジャーの自社スタジオに匹敵するメキシコシティで最高の設備を誇るエスピラル。通常なら、1時間当たり数百ドルだ。
「悪いけど、私にそんな払えるお金なんかないわ」
「金など要らない」ぴしゃりとオーナーは言う。
「これはぼくの『友情の証し』だ。それに君は闘っているのだし」
「なんでそれを知ってるの?」
声明文は、ラテンアメリカの主要な人権団体や活動家には送っているが、友人知人津津浦々にまで送ってはいない。ましてや、富裕層に属する彼とは政治の話などしたことがない。てっきり新自由主義者だと思っていたからだ。
彼は驚いた顔をした。
「フェイスブックで.....たぶん、みんな知ってるよ」
「あのエスピラルを好きに使っていいって?」
メキシコ一美味しい(店のメニューには、「宇宙一の美味」と書いてある)アトレを啜りながら、ピアニストのレオナルドが言う。「夢のような美味しい話だ。で、録音したい曲はあるの?」
「....マルシアル・アレハンドロが、死ぬ前に私に送ってきた遺作が」
「なんてこった! では、すぐにとりかかればいい」
「そうはいかないわ。スタジオが無料でも人件費は実費だし、ミュージシャンのギャラだって必要だし。でも、いま、私はぜんぜんお金がないの。だから現実には....」
「ピアニストなら、最高のがここにいる」
「だって、あなたは...」
レオナルドは、この国の業界では有名なピアニストの一人だ。マンサネーロを始め、メジャーの人たちのレコーディングやコンサートに参加している売れっ子である。
「幸い、今月は数日ならスケジュールに空きがある。俺のピアノと君の歌。僕たちなら一発録りで大丈夫さ。シンプルだが素晴らしい録音ができるぞ。むろん、金は要らない」
「でも.....」
「この世で、俺以上に、君を美しく歌わせられるピアニストが他にいるとでも?」
いる。残念ながら。キューバのあの人が。でも、別格としかいいようのないあの人を別にすれば、確かに、レオナルドに文句の付けようはない。このメキシコなら、彼ほど私を美しく歌わせるピアニストはいないだろう。
「おまけに素材はマルシアル・アレハンドロの遺作。素晴らしい。そして、君は人をはらはらさせるばかりが能じゃないってことを証明できるさ」
「....だからなんでそれを?」
「俺が、きみのやっていることを知らないとでも?」
その翌日、ライブ用のリハーサルに来たホセ・モランが言った。
「君がレコーディングするという噂を聞いた」
「早耳ね。実はそうなの」
「ピアニストは?」
「レオナルド・サンドバルが....」
ホセは、一息ついてまくし立てる。
「あのさ。ぼくはここ数年、きっちり君のサポートをしてきたし、君とは仲良しだと思ってたんだけどな」
「いや、そうじゃなくて、レオナルドが自分から....つまりお金を払う話じゃないのよ」
「だからなに? ぼくがいままで一度でも、カネのこと言ったことある?」
その日から電話が鳴り出した。
「サックス奏者がいるなら声かけてね」
「バイオリンは....」
お祭り状態だ。
それでいったい何を録音するの? 遺作は一曲しかないんだが。
「ぼくにも、君が録音するのにぴったりの曲がいくつもある。いくつもだ」と、ラファエル・メンドーサが言った。
「もう一曲、マルシアル・アレハンドロの未発表曲がある」と、ホセ。「『人間たちへの讃歌』、あれは君に良いと思うよ。ぼくが編曲してもいい」
「駄目駄目駄目駄目。あの曲は俺が頂く」とレオナルド。「それから俺の作品にも、君の声にぴったりのがある」
「ぼくら吟遊詩人の歌は、コード進行や音楽理論ではない」
ギターを置いて、ダビッド・アロが言う。
「言葉が詩を産み出し、詩が旋律を連れてくる。ハーモニーはあとからついてくる」
吟遊詩人の歌の本質だ。
「そういうことを理解している人はどんどん減っている。音楽が産業になって、売るための工業製品になったからだ。ぼくらは絶滅危惧種だ」
遠い目で彼は言う。「マルシアルが逝ってしまって、ネグロが逝ってしまった。ぼくの仲間はどんどん減っていく」
私はため息をつく。すぐれた作曲家はいる。すぐれた作詞家もいる。シンガーソングライターといわれる人たちもいる。でも、吟遊詩人はそれとは違う。職業としてではなく、本能で言葉を弄び、詩を産み出し、歌わずにはいられない。それは死に至る病だ。むしろ、21世紀にいまだに存在することの方が、不思議な人種だ。
「わからないのは、なぜ、いまになって君が政治に首を突っ込んだのかだ」
私にだってわからない。ただ、そうしなくてはならないと思ったからだ。このきなくさい臭いに。誰かがやるべきことを。たまたまそこに居合わせたから。
「たぶん、私はカナリアだから」
「炭坑のカナリアか......」ダビッドは呟いた。
「そう。空気がおかしくなってくると、一番先に気がついて騒ぐの」
「それはそのとおりだ」ダビッドは目を細める。「でもね、そのカナリアの役割は、一番先に死ぬことなんだよ」
私は黙って苦笑いする。
「だからぼくにはわからない。きみは国境も言葉も飛び越えて、自由に飛んでいた。なぜいまになって、好きこのんで、自分から炭坑に入るのか」
「だから、いまがその時期だと思ったから。私の国の民主主義が...」
「....友達を護ろうとしたんだろう」
私は答えない。ダビッドは微笑む。
「なにもなければ、それでいい。しかし、もし本当に危険なことになったときに、君の友達が警告に気づくときには、カナリアは死んでいるんだよ」
なにもかもお見通しの詩人に私は答える。
「そう簡単にはいかないわ。だって炭坑の外に、私にはたくさんの友達がいて、みんな私が炭坑に入ったことを知っているのよ」
「カナリアの友達はカナリアだ。きみや、きみが護ろうとしている坑夫たちに何かがあれば、皆で大合唱を始める。............ぼくは詩を書くだろう。カナリアの詩をね」
ダビッドは目を細める。
「けれど、いまは君に、希望の歌をあげよう。昔書いたきり、なぜか一度も録音にも舞台にも出さなかった曲だ。あれは、いまの君のための曲だ.....希望の曲をあげよう」
気がつくと、10曲が揃っていた。
そして、皆が待っていた。
カナリアを美しく歌わせるために。.........私の背中を護るために。
オーナーの言葉に、私は耳を疑った。
ソニーやユニバーサルのようなメジャーの自社スタジオに匹敵するメキシコシティで最高の設備を誇るエスピラル。通常なら、1時間当たり数百ドルだ。
「悪いけど、私にそんな払えるお金なんかないわ」
「金など要らない」ぴしゃりとオーナーは言う。
「これはぼくの『友情の証し』だ。それに君は闘っているのだし」
「なんでそれを知ってるの?」
声明文は、ラテンアメリカの主要な人権団体や活動家には送っているが、友人知人津津浦々にまで送ってはいない。ましてや、富裕層に属する彼とは政治の話などしたことがない。てっきり新自由主義者だと思っていたからだ。
彼は驚いた顔をした。
「フェイスブックで.....たぶん、みんな知ってるよ」
「あのエスピラルを好きに使っていいって?」
メキシコ一美味しい(店のメニューには、「宇宙一の美味」と書いてある)アトレを啜りながら、ピアニストのレオナルドが言う。「夢のような美味しい話だ。で、録音したい曲はあるの?」
「....マルシアル・アレハンドロが、死ぬ前に私に送ってきた遺作が」
「なんてこった! では、すぐにとりかかればいい」
「そうはいかないわ。スタジオが無料でも人件費は実費だし、ミュージシャンのギャラだって必要だし。でも、いま、私はぜんぜんお金がないの。だから現実には....」
「ピアニストなら、最高のがここにいる」
「だって、あなたは...」
レオナルドは、この国の業界では有名なピアニストの一人だ。マンサネーロを始め、メジャーの人たちのレコーディングやコンサートに参加している売れっ子である。
「幸い、今月は数日ならスケジュールに空きがある。俺のピアノと君の歌。僕たちなら一発録りで大丈夫さ。シンプルだが素晴らしい録音ができるぞ。むろん、金は要らない」
「でも.....」
「この世で、俺以上に、君を美しく歌わせられるピアニストが他にいるとでも?」
いる。残念ながら。キューバのあの人が。でも、別格としかいいようのないあの人を別にすれば、確かに、レオナルドに文句の付けようはない。このメキシコなら、彼ほど私を美しく歌わせるピアニストはいないだろう。
「おまけに素材はマルシアル・アレハンドロの遺作。素晴らしい。そして、君は人をはらはらさせるばかりが能じゃないってことを証明できるさ」
「....だからなんでそれを?」
「俺が、きみのやっていることを知らないとでも?」
その翌日、ライブ用のリハーサルに来たホセ・モランが言った。
「君がレコーディングするという噂を聞いた」
「早耳ね。実はそうなの」
「ピアニストは?」
「レオナルド・サンドバルが....」
ホセは、一息ついてまくし立てる。
「あのさ。ぼくはここ数年、きっちり君のサポートをしてきたし、君とは仲良しだと思ってたんだけどな」
「いや、そうじゃなくて、レオナルドが自分から....つまりお金を払う話じゃないのよ」
「だからなに? ぼくがいままで一度でも、カネのこと言ったことある?」
その日から電話が鳴り出した。
「サックス奏者がいるなら声かけてね」
「バイオリンは....」
お祭り状態だ。
それでいったい何を録音するの? 遺作は一曲しかないんだが。
「ぼくにも、君が録音するのにぴったりの曲がいくつもある。いくつもだ」と、ラファエル・メンドーサが言った。
「もう一曲、マルシアル・アレハンドロの未発表曲がある」と、ホセ。「『人間たちへの讃歌』、あれは君に良いと思うよ。ぼくが編曲してもいい」
「駄目駄目駄目駄目。あの曲は俺が頂く」とレオナルド。「それから俺の作品にも、君の声にぴったりのがある」
「ぼくら吟遊詩人の歌は、コード進行や音楽理論ではない」
ギターを置いて、ダビッド・アロが言う。
「言葉が詩を産み出し、詩が旋律を連れてくる。ハーモニーはあとからついてくる」
吟遊詩人の歌の本質だ。
「そういうことを理解している人はどんどん減っている。音楽が産業になって、売るための工業製品になったからだ。ぼくらは絶滅危惧種だ」
遠い目で彼は言う。「マルシアルが逝ってしまって、ネグロが逝ってしまった。ぼくの仲間はどんどん減っていく」
私はため息をつく。すぐれた作曲家はいる。すぐれた作詞家もいる。シンガーソングライターといわれる人たちもいる。でも、吟遊詩人はそれとは違う。職業としてではなく、本能で言葉を弄び、詩を産み出し、歌わずにはいられない。それは死に至る病だ。むしろ、21世紀にいまだに存在することの方が、不思議な人種だ。
「わからないのは、なぜ、いまになって君が政治に首を突っ込んだのかだ」
私にだってわからない。ただ、そうしなくてはならないと思ったからだ。このきなくさい臭いに。誰かがやるべきことを。たまたまそこに居合わせたから。
「たぶん、私はカナリアだから」
「炭坑のカナリアか......」ダビッドは呟いた。
「そう。空気がおかしくなってくると、一番先に気がついて騒ぐの」
「それはそのとおりだ」ダビッドは目を細める。「でもね、そのカナリアの役割は、一番先に死ぬことなんだよ」
私は黙って苦笑いする。
「だからぼくにはわからない。きみは国境も言葉も飛び越えて、自由に飛んでいた。なぜいまになって、好きこのんで、自分から炭坑に入るのか」
「だから、いまがその時期だと思ったから。私の国の民主主義が...」
「....友達を護ろうとしたんだろう」
私は答えない。ダビッドは微笑む。
「なにもなければ、それでいい。しかし、もし本当に危険なことになったときに、君の友達が警告に気づくときには、カナリアは死んでいるんだよ」
なにもかもお見通しの詩人に私は答える。
「そう簡単にはいかないわ。だって炭坑の外に、私にはたくさんの友達がいて、みんな私が炭坑に入ったことを知っているのよ」
「カナリアの友達はカナリアだ。きみや、きみが護ろうとしている坑夫たちに何かがあれば、皆で大合唱を始める。............ぼくは詩を書くだろう。カナリアの詩をね」
ダビッドは目を細める。
「けれど、いまは君に、希望の歌をあげよう。昔書いたきり、なぜか一度も録音にも舞台にも出さなかった曲だ。あれは、いまの君のための曲だ.....希望の曲をあげよう」
気がつくと、10曲が揃っていた。
そして、皆が待っていた。
カナリアを美しく歌わせるために。.........私の背中を護るために。